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068:そうして、旅に出ると決めた。

 

 あんまりだ。

 大好きな人から忘れられるなんて、イルミカがかわいそうだ。


 ミライは立ち上がれないまま、ひたすらに溢れてくる涙を拭う。


 イルミカは何も悪いことなどしていないのに、一方的に傷付けられた。


 父が忙しくて構って貰えなくても、文句ひとつ言わなかった。大変な仕事をしている母を気遣い、子供らしい我儘も言わなかった。


 両親が笑って居てくれるだけで、それだけで良いと思える、おとなしくて頭がよくて聞き分けの良い子供だった。


 それなのにどうして。






 座っていても、わかる。

 すでに一度見た光景だからだ。


 次の窓は、旅立ちのとき。


 上半分しか見えなくても、ミライには分かってしまう。そこにいるのはイルミカの母と、イルミカの母のために用意された偽物の母親役。



 イルミカの母は、このとき【国民の誰かの息子】を違う国に送った。


 自分の息子であったことを忘れて。




 どれくらい放心したのか分からない。

 ミライはイルミカの記憶と感情をぎゅうっと抱き締めるようにして小さくなり、その場からしばらく動かなかった。


 窓から受け取った情報を一つずつ整理していく。


 イルミカは優秀だった。

 父の後を継いで立派になれば母もいずれ会ってくれるのではないかと思って、必死に勉学に励んだ。


 幼いながらも弱音一つ吐かずに努力して、10歳を迎える頃には大人顔負けの知識と頭脳を身に着けた。


 国王は同情的でイルミカの希望は何でも叶えてくれた。この地域の詳しい情報が欲しい、これについての関連書物を集めて欲しい、など控え目なものばかりではあったが、出来る限り叶えた。


 そうして、いつか会える日を楽しみにしていたイルミカと、記憶を消してしまったイルミカの母が偶然にも城の中で――遭遇してしまう。


 それからは大変な騒ぎだった。

 当事者のイルミカはその場からすぐに遠ざけられたらしく、窓の中にそのときの光景はあまりない。

 けれど、その日のうちにもう一度、母と接触した記憶がある。対面ではなく、うっすらと開いた扉の向こうにイルミカは居て、室内では国王に言葉をぽつぽつ零す母が居た。


 きっとミライが一番初めに見た記憶だ。


 続いて、国王との話し合いの場でその後どうなったかを聞かされる。



 母がイルミカを見て心を乱したこと、イルミカが求めていた資料や情報を集めていたのは母であったこと、イルミカのことは名前だけ知っていて、優秀な人がいるのねと国王に絶賛していたこと。


 名前だけ知っていた優秀な人が、かつて亡くなった夫にそっくりであったことがトリガーとなって、イルミカの母は再びひどく取り乱し、反射のように再びイルミカにまつわる記憶を消してしまったという。


 ミライはその時の国王の言葉を思い出す。


「恨むなといっても難しいかもしれん。それでも、おぬしの母は“もう大切な人を亡くす事に耐えられない”と言っておった……おぬしのことが、大切過ぎたのだ……」


 魔女という存在について、イルミカは勉強した。

 彼女たちが強大な力を持っていることも知っている。

 できないことのほうが少なく、扱い方を間違えてしまえば大変な事になることも想像がつく。


 魔女は、母は、彼女は――自分が壊れないように必死だったのだ。


 もしも、イルミカまで失ってしまったら。そう考えてしまったのか。


 しかし、国王の言葉を受け取ったあと、イルミカはやっと諦めることを選択した。


 彼女のそばにいるのは、やめよう。


 そうして、旅立つことが決まった。




 ミライは自分の感情が、ぼろぼろになっていくのを感じていた。


イルミカがどうしてこんなにつらい思いをしなくてはならなかったのか、どうしてイルミカの母は残ったイルミカに寄り添ってあげられなかったのか。


けれど、どうしようもなく、どちらにも共感してしまう部分があって、心がめちゃくちゃだった。


 はっきり意識した訳ではなかったが、ミライの心の底が叫んでいたのかもしれない。


 この気持ちは一人で背負うには重すぎる、と。


 すっかり表情が抜け落ちて抜け殻のようになっていたミライの前に、淡い光が産まれる。


「うおっ」


 涙でぐしゃぐしゃなのに、世界に置いて行かれたような無表情で、長い時間へたり込んでいた次代の魔女は、光がおさまった後に現れた、間抜け顔の騎士を見て、やっと笑みを取り戻した。


「ごめん、よんじゃった」


 何があったと口から出そうになった言葉を飲み込んで、ベルガーはふーっと息を吐き出す。


 とりあえず、何も分からないなりに、しなければならないことは分かる。


「おう、正解だ」


 へたり込むミライの正面に、ベルガーは腰を下ろした。


 涙も鼻水も垂れ流しの少女の鼻の下を、ひとまず自分の袖で拭う。きったねぇなぁとつい出そうになったものの、代わりに出たのは溜め息だ。


「いいぞ泣いて」


 散々泣いたであろう顔を前にして、それでもベルガーはそう言った。


 ミライはうぅ、と小さくもらした後に声を上げてわんわん泣き始めた。


 唸るような叫ぶような泣き声を聞きながら、ベルガーは片腕をミライの首に回して胸元に引き寄せる。


 何を見たか、何を知ったか。

 いっそのこと全部見よう!とか思って一人の人生まるごと見始めてんじゃねぇだろうな、と苦々しく思う。

 びしょびしょになっていく自分の胸元と、真っ赤に染まるミライの目元と鼻を静かに見下ろした。





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