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067:報われぬ努力

 

 イルミカの記憶の中に入ることは、それほど難しい事ではなかった。

 仕組みを理解しようとすると頭が痛くなるものの、感覚で掴んでしまえば、それでとりあえずは問題ない。


 独特な魔法の扱い方なので、人に分かりやすく説明することは出来ないが、ミライは真っ暗な道程を導かれるように進んで、イルミカの記憶が集まる場所へと辿り着いた。


 様々な記憶が保管されているその空間は、かなり幻想的だった。けれど、ミライはこの空間を作ったのが自分だと理解していたので、あまり感動は得られない。


 人間の記憶の中は複雑で、それこそミライがこういうものだと定義して作り出さねば、触れること自体叶わない。


 ミライはイルミカの過去を覗く為に、イルミカの記憶の保管場所を想像し、自分という他人が入り込めるように作り変えた。

 本人に影響がないように気を付けたので、イルミカはこんな空間が出来たことも全く認知出来ない。



 開けた場所だが、その壁面に沢山の窓が映っている。

 窓の奥では記憶が再生されていた。


 ミライはそっと近付いて、覗き込む。




「もう嫌なんです、誰かを見送るのは」


 床に座り込み、耳を塞ぎ、涙をポロポロと流す少女。

 イルミカは扉に手を伸ばそうとして、やめた。




 心情がミライに伝わってくる。


 自分が何か言うことで更に苦しめてしまうのではないか、そう思っている。


「きっとわたしは、大切なものを……多く、作り過ぎたんですね……」


 零した言葉はまるで、誰に言っている訳でもない、独白のようだった。


 少女の言葉にイルミカは、やるせない気持ちになっていた。引きずられて、ミライの胸も締め付けられたように痛くなる。


 どうにもならないことへの悔しさ、目の前の少女への心配、胸が張り裂けそうなほどの悲しみ。


 気が付けばミライの目から涙が零れ落ちる。


「あ、あれ?おかしいな。涙がでてくる」


 ぽろりと溢れた涙を拭って、違うシーンを見ようとその窓から離れた。


「いまのがお母さんだったのかな……」


 とても若く見えた。

 ミライと変わらないように。


「たしか、不老不死って言ってたもんね」


 イルミカから聞いた話に信憑性が増してくる。


「これは?」


 覗き混んだ次の窓は、イルミカが船に乗るところだった。


「寂しくなるけれど、元気でやるのよ」


 小舟に乗ったイルミカに優しく微笑む女性は、先程とは違って年配の女性だ。その隣に、泣いていた少女がいる。


 少女は、さっきとは打って変わって、とても明るい笑みを浮かべていた。


「心配しないでください、ちゃあんと陸の近くに転移させますからね。安心して任せてください!」


 胸を張ってそういう少女に、イルミカはふっと微笑む。切ない笑みだった。


 ミライの心臓がぎゅうと握られたように苦しくなり、流れ込む感情に戸惑う。

 大声で泣きたいほどの悲しみが襲ってくる。


 一体どういうことなのか全然分からなかった。


 別れのシーンということは分かる。

 けれど、イルミカのこの気持ちと少女の明るさと苦笑する女性の感情がちぐはぐで、噛み合わなくて混乱した。


「順番に見ることができないかな……」


 一度組んだ魔法をゆっくりと見直していく。


 先程のショックで、まだ心臓が落ち着かない。


 描いた魔法陣に手を加えて、順番に過去を見ることができないか四苦八苦する。


「そっか、この部屋の中の窓を時系列順に整列させればいいんだ」


 そう思いついて、窓に指示を与える。

 音もなく静かに動いた窓は、綺麗に横並びに整列した。


「最初の窓は……」


 1番端にある窓に近付く。


 イルミカの最初の記憶だ。

 映像と言えるものはなく、磨りガラスのような場面だった。ぼやけて色くらいしか分からないなか、声だけが少し聞こえる。


「わたしは世界一の幸せ者だわ。こんなにかわいい子が産めるなんて。……名前はもう、決めてあるの」


 誰かと話しているらしき声の持ち主は、先程の少女だ。


「イル(希望の)・ミカ(星)にするわ。この子が誰かにとっての希望となれますように、輝いて生きていけますように」


 赤ん坊のイルミカはこの時あまり感情というものを抱いていないのか、ミライには伝わってこなかった。しかし、とても愛されていることだけは分かって、羨ましいような妬ましいような気持ちがミライの中に少し湧いた。



 次の窓は、少女と青年がイルミカを大切そうに見つめているシーンだった。

 イルミカは目の前にあるぬいぐるみに夢中で焦点はそこにばかり当たるが、少し離れた距離で両親が見つめているのがわかった。


 特別なにも起こる様子はなかったので、次の窓に移る。


「どうして……」


 崩れ落ちた少女に駆け寄るイルミカ。

 少女は真っ青な顔をしていて、イルミカはただ少女に抱き着いて離れなかった。


 啜り泣く声が聞こえる。

 その声を聞きながら、イルミカはとても悲しい気持ちになっていた。


 お母さま、泣かないで。

 イルミカはずっとそう思いながら少女を見つめていた。


 次の窓には豪華な服を着ている難しい顔をした男性と、執事のようなかっちりとした服を着ている男性が並んでいて、こちらを──イルミカを見つめている。


「イルミカ、落ち着いて聞いて欲しい。おぬしの父が、水難事故にあった。もう、命は空に還ってしまった……」


 心臓が跳ねる。全身が凍ったように固まった。

 泣き崩れた母の姿を思い出して、イルミカは幼いながらも理解した。


 自分の父が帰ってくる事はもうないのだ、と。


「おぬしの母はすっかり気落ちしておるようだ。食事も喉を通らんらしい。……おぬしの母は不老不死で、食事をとらずとも命が空に還ることはない。しかし、ひどい顔をしている。いま暫く、時間を与えてやって欲しい」

「お母さまは……僕に、会いたくない……?」

「イルミカ、よいか、おぬしは何も悪くない。父の美しさ、聡明さを受け継いだおぬしを見ていると、思い出してしまうそうだ。決して悪いことではないのだ。あの方を、おぬしの母君を……どうか、許してやってくれ……」

「僕は……国王さま、僕は、大丈夫、だから」


 苦しい。悲しい。心が震える。

 お母さまに会いたい。お父さまに会いたい。

 どうして僕はひとりぼっちなの?

 お母さま、僕のこと、嫌いになってしまうの?


 大きな不安がイルミカの心に広がっていく。

 それでも、心と正反対の言葉をイルミカは口にした。


 イルミカの記憶を見ているミライにしか分からない本心。

 あまりにも優しくて、賢くて、無理やりな成長にミライの感情も揺さぶられた。




 深呼吸をして考える。


 イルミカの母は夫を亡くした。

 イルミカの父だから、イルミカもこのときに父を亡くしたということになる。


 記憶の中にあった、イルミカによく似た優しそうな男の人がきっと父なのだろう。

 そして、夫に似ているイルミカを見ると辛くなってしまう、と顔を合わせられなくなっている。


 国王と呼ばれている男性はイルミカを前に苦しそうな顔をしていて、今にも泣いてしまいそうな雰囲気を見ると悪い人では無さそうだ。


 そんな国王が、会えない母の代わりにイルミカの面倒を見ているということらしい。




 次の窓では、イルミカは必死に勉強をしていた。

 伝わってくる感情は焦りと不安ばかりで、ミライも不安になった。


 優秀な父の後を継げるように、と努力しているらしい。国王はイルミカを気にして、こまめに様子を見に来ているようだった。


 しばらく勉強の日々が続く。

 寂しいという気持ちが日に日に増していく。

 イルミカの母は、イルミカに会いには、来ていないようだった。


 ふたつほど勉強だけの窓が続き、その次にあったのは真っ暗な闇だった。



 目にした瞬間、ミライは思わず身を引いた。



 窓の中には映像がいつもあったが、この窓には何もない。真っ暗に塗りつぶされたような深い闇の色だけが見える。


 ごくりと唾を飲み込んで、意を決して近付いた。


「なにも聞こえない……?」


 無音が続くので、窓の向こうに少しだけ身を乗り出す。そうすると、ノイズのようなバチバチとした大きな音が聞こえた。


「うわああああ!いった……っい!」


 次いで、ぐわんぐわんと脳を揺さぶられるような低い音がする。


 誰かが喋っている。

 喋っているけれど、耳に低い音と高い音が絶えず響いて全然何を言っているのかが分からない。


 耳が壊れてしまいそうな大きな雑音がたくさん聞こえてきて、ミライの目からは涙が溢れた。吐きそうなほどにうるさいノイズ、微かに聞こえる人間の声。



 ようやく拾いあげた言葉は──


「記憶を、消した?」



 イルミカの中に広がった絶望があまりにも大き過ぎて、ミライはその場にへたり込んだ。


「そんなのって、ない」


 イルミカの母は、イルミカという息子の記憶を自分の中から消してしまった。


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