032:王族と少女
謁見が終わり、ミライはようやく一息つけると思っていたが、本当の戦いはこれからだとトルティアはミライの肩に手を置いた。
「休みたいミルァイには残念だけど、今から陛下と非公式での謁見が始まるんだよねぇ」
「ええ……」
「ミラ、おまえ本当に着替えないのか? ドレス着りゃ少しはまともに見えるだろうに」
「着替えない」
すっぱりと断ったミライにベルガーは一瞬目を見開いたが、別に自分には関係がないので特に突っ込まなかった。
「ライさん、すごい怒ってたね。想像してた人とちょっと違ったなあ」
「本人の前でそんな呼び方するなよ。勝手に仲良しだと思われるぞ」
「えっ、やだ!」
「……案外ひどいな、ミラ」
ミライの想像していたライアネルはもっと細身で貴族っぽい人物であったが、小太りというだけで無駄に着飾っているわけでもなく、どちらかといえば地味な格好であった。
「似てないね……って、義理だもん。そりゃそうだよね」
サムニエルとは似ても似つかい貴族だったが、悪役面ということもなく何だか全体的にミライの思い浮かべたイメージとは違ったのだ。正直な印象としてはおしゃべりだな、とミライは思った。
「さて、そろそろ行こうか。あまり待たせるのも悪いからね」
サムニエルがそう言って腰を上げると、扉の横で控えていた使用人らしき男が扉を開けるために動いた。
まさか、王族を自分が待たせてしまっているとは思いもしなかったミライはぎょっとして立ち上がったが、その様子を見たベルガーが「今更だろ」とぼそっと言ったので危うくうっかり亜空間に閉じこもってしまうところだった。
拗ねるとすぐに閉じこもるのはミライの悪い癖である。
謁見の間よりも劣るがそれでも豪華な扉の前に立つと、サムニエルはミライに向かって微笑み念を押すように言った。
「ミルァイ、やりたいようにやって良いからね」
ミライはうん?と首を傾げたが、とりあえず頷いておいた。
部屋の中は外から見た雰囲気よりもずっと広かった。
一般的な学校の教室を四つほど合わせた広さだ。
部屋の中央にはテーブルが置いてあり、囲むように長椅子が四方に置かれている。
国王、王妃は二人並んで長椅子の一つを埋め、第一王子と第三王子がもう一つの長椅子を埋めていた。そして、もう一つある長椅子を三人の姫君が埋めているのだが、内二人はミライにあまり好意的でない視線を向けて座っている。
空いた場所に座れ、とそういうことなのだろうか。
「ミルァイ。よく参られた」
国王はにこやかにそう言った。
「うん」
ミライは普通にそう返した。
「もう我慢なりませんわ! お父様!」
姫君の一人が扇子をばちんっと閉じて立ち上がる。
緑、というよりライトグリーン色のドレスを着た姫君である。
メープル色の巻き毛を揺らして緑の姫君はミライに迫ってきた。
「あなた! 魔法使いらしいこともしないでその態度はゆるされないわ! 何か魔法を見せなさい!」
ふん!と鼻息荒くミライにそう言うと、緑の姫君は「できないでしょう?」と言わんばかりの表情で腕を組む。
良くも悪くも王族にとって魔法使いがどんな存在なのかをミライは知らないので、ただ困惑してサムニエルを振り返るが、サムニエルは柔和に微笑むだけで手出ししようとはしなかった。
「本当に魔法使いなら誤魔化したりはしないはずよ。どうしてクライシス辺境伯がお話にならなかったのか、私なりに考えましたの。お兄様との婚姻の為に娘を用意したのでしょう?」
何だか様子がおかしい。
ただ単にミライの態度や行動なんかに怒っているわけではなさそうだ。
サムニエルを見ながら、緑の姫は瞳を潤ませている。
「どうも姫は勘違いされていらっしゃるようだ。私はミルァイを魔法使いだと本当に思っているよ」
サムニエルの口調が穏やかで親しいものになる。
先ほどの国王陛下との謁見とは違う、やけに親しげな口調だ。
王族との関わりがサムニエルにはあるからだ。
「……ならば、どうして魔法についてお話にならないの?」
「謁見で言った通りだよ。あの場では話しても良いことと、悪いことがあるからね」
「では、王太子妃候補ではないと?」
「そうだね。そういうことだ。――ミルァイ、思ったことをそのまま話しても良いんだよ」
サムニエルの言いたいことはミライにも何となく分かる。
サムニエルは立場というものがあるから言っていいことと悪いことがきっと分かれているのだ。ミライならば何を言ってもおかしくないので、ミライがこの場で自分から話すことを第一にして、サムニエルはフォローに回るつもりでいるのだろう。
「じゃあ……お姫様はどうして怒っているんですか?」
「なんですって? 私にはちゃんとした名前が……!」
緑のドレスの姫はハッとして、それからこほんと小さな咳をした。
「お見苦しいところをお見せ致しました。お父様、申し訳ありませんでした」
ようやく、自分のしていることが見るに耐えない行為であることに気が付いた緑の姫は、丁寧に礼をして座っていた場所に戻る。
この国では客人への挨拶は家主(国王)が始め、家主(国王)に紹介されてから、ようやく家族(王族)の面々は自らの意思で客人と話せるようになるのである。
目を白黒させるミライに国王は薄く笑う。
「娘が失礼した。どうも、兄離れのできない娘でね……こちらに、ミルァイ」
国王が席を促し、ミライはやっと長椅子に座ることができた。
座ってホッとしたのか、ミライの表情は一息ついたような落ち着いたものに変わっている。
「紹介しよう。妃のリリアーノ、それから息子のサイリュートとセリアート。右からレオノーレ、マリアンヌ、アーミアだ」
覚えきれない。
ただでさえツェルの名前で頭を沢山使ったのだ。しかも間違っていた。
ミライは覚えることを早々に放棄して、どうせ呼ぶこともないだろうからと名前についてはスルーすることにした。
名前を呼ばれた順に王族は立ち上がってミライに挨拶をしてくれたが、ミライは正式な挨拶など知らないので会釈するだけにしておく。
「……なん、ですか」
国王と王太子二人がミライに近づいて来たので、ミライは思わず聞いてしまった。
「挨拶を……」
「さっきしてもらい……してもらったから、いい」
そんなに迫ってくる挨拶なんていらない。こわい。
ミライはこの国の挨拶がどんなものなのか気になる反面、知りたくなかった。
手の甲にキスを落とすだけとは知らないミライである。
「そ、そうか……? ふむ……」
国王は拒否されたことに驚いて、自然界の魔法使いとはこんなものかと認識を改める。
「あの……」
「なんだ?」
「私、マーメントでのことは……」
ミライがずっと気にしていたのは、あの街で犯した自分の罪だ。
それについて国王から判決を下されなければ、ミライの処遇も変わってしまう。
しかし――
「そのことについてはまた後日、ということでいいだろう」
国王はそれまでのどこか抜けた人の好い笑みを失くし、鋭い目つきでミライを見つめ返した。
「後日……?」
「そうだ。すぐに答えが出せる訳でもあるまい。街の半分が消失したというのだから」
すかさずサムニエルはミライの傍に立ち、ミライの困惑を解消する。
「僭越ながら申し上げます。魔法使いミルァイが出した損害は街の一部、半分ではありません」
「なんと。はっはっはっ、勘違いしておったかな? それでも、街を消失させたことに違いはなかろう」
「……陛下」
「辺境伯。わしは魔法使い殿と会話をしておるのだよ」
サムニエルは昔から、国王を知っている。
国の為、民の為、その意思が揺るいだことはない。
ミルァイはこの国に定住させられることになるだろう。
王族の持つ「何か」によって、屈服させられることになるのだろう。
この国も国王も民も、サムニエルは裏切れない。
国王への忠誠は――全く、揺らがない。
国王がそうであるように、サムニエルもまたそうである。
どれだけミライと親しくなろうが、どれだげミライを可愛く思おうが、最終的には国王の決断にサムニエルは抗わない。
「失礼致しました」
サムニエルが下がる。
騎士の控える壁際へと、サムニエルは近付いた。
ミライの傍から離れることを、一瞬にして決めたのである。
クォツェル、トルティアの両名もその意に気が付き受け入れた。あれだけ、ミライと親しくなろうとしていたトルティアでさえ、サムニエルの決断に逆らうことはしない。
それが、絆である。
決して解けることはない。――決して。
ミライと彼らとの間に、そんな絆があったかといえば、恐らくなかっただろう。
そもそも、ミライとこの世界の住人との思考にはかなりのずれがある。
好意を向けられていても、次の日には裏切られる。
それも、必ずしも本人の意思ではなく立場や取引などで態度が変わるのだ。
比較され、どちらが大事かと選ばなければならない状況で、サムニエルは国王と取った。
ただそれだけのことである。
付き合いの浅いミライと忠誠を誓った国王陛下、どちらを取るかと言われれば当然後者であった。
そして、その騎士たちもそうだ。
サムニエルとミライを選択するまでもなくサムニエルを取った。――それだけの、ことである。
「私は、そのことについて……ここへ聞きに来たの。そうじゃないと、ここに来た意味がないから、だから……その、教えて欲しい」
ミライは何も気が付いてなかった。
好きなことを言っていいとサムニエルから背中を押されたので、好きなことを言うと決めたのだ。
それが、自分の意思を守る――唯一の方法だと知らないままに、そう決めた。
サムニエルは内心で、それでいいとまたひっそり内心で背中を押した。
魔法使いは縛られない。ミライには可能性があった。
サムニエルがもしミライを守ろうと画策しても――王族の前では無駄になる可能性が高い。
ミライを守れるのは、ミライ自身が持つ従わない意思と魔法使いの力。
サムニエルが下手に動けば、それはきっと思うままに使えない。
「私がしたことを、王様はどう思いますか? この国で、私は……罪人に、なるのかな」
「そうだ、と言ったら魔法使い殿はどうする?」
これまでにも幾度となく、国王は探りを入れて腹芸を仕掛けたが、今のところそれに気づく様子も対応する様子もない。
まったく面倒な娘だ、と国王が苦々しく思うほどにミライは直球勝負でしか言葉を発さない。
「……謝ります。マーメントの街の人たちに、許して貰えるまで謝ります」
「それで本当に許して貰えると思っておるのか? 大事なものが消えたものもおろう。被害総額はまだ、出せていないようだが――」
ちらり、とサムニエルを国王は見る。
が、サムニエルは飄々と微笑んでいるだけだ。
「どこかの誰かが算出を怠っておるのだろう。まったく、困ったやつだ」
しかしそう言う声音は可笑しそうな、楽しそうなものではある。
「元通りにして、全部きちんと戻します」
ミライははっきりと言った。
その瞬間、国王は瞳を獰猛なものへ変えた。
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