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027:少女の記憶



「じゃあ、そのライ……さんはエルさんの命を狙っているとか、そういうわけじゃ……?」


 ミライはなんとなく、猫とネズミが追いかけっこをするアニメを思い出した。

 叔母夫婦の子がよく見ていたのだ。


「いいや、狙おうとはしているみたいだが……少し、考えが足りないようでね」


 サムニエルに勝てるレベルの貴族など国内にはほぼ存在しない。

 ライアネルはサムニエルさえいなければ、国で一番聡明だと言われるほどに一目置かれる存在なのである。それを知らないミライは「残念な人」という印象をライアネルに抱く。


「じゃあ、そんなに心配しなくても大丈夫ってこと、かな?」


 うん?大丈夫なのか?と首を捻るが、サムニエルは大きく縦に頷いたのでミライは納得することにした。


「ティアが言うには、ミルァイは怯えることもなく魔法を行使したんだろう? 怖くはなかったかい?」

「こわい、というより……逃げなきゃって思って……」


 囲まれている、と気がついたとき「逃げなければ」と反射的に思ったので、ミライは転移は使ったが、言われてみれば怖かったから逃げようと思ったのかも知れない。


「たぶん、こわかった……?」 


 恐怖の感覚が麻痺しているのかも知れない。主に元の世界のせいで。

 ミライの複雑そうな顔を見たサムニエルは、何かに気付いたように表情を厳しくさせた。クォツェルやトルティアもうっすらと気が付いたようである。


「ねぇ、ミルァイ。ミルァイが怖いと思うことはなに?」


 トルティアはサムニエルの考えを察知して、ミライの座る椅子の横に膝をついた。

 目線をじっと合わせて、ミライの表情の変化を見逃さないようにする。


「怖いこと?」

「そうだねぇ。こわいって最後に思ったのはどんなことがあったとき?」

「顔に……」


 クラスメイトがミライの顔に向かって拳を振りかぶったときだ。

 そう言いかけて口を閉じる。

 召喚前の話をすれば、ボロが出てしまうかも知れない。


「言わなきゃダメ?」

「……じゃあ、俺が聞くことに、はいかいいえで答えてくれる?」

「う、うん」


 トルティアは優しく笑ったつもりだったが、ミライは少し緊張したように身体を強ばらせた。


「……ベルガー。ミルァイの傍に」


 少しでも緊張が解ければ、とトルティアは思いベルガーを呼んだが、ベルガーは非常に嫌そうな顔でしぶしぶ立ち上がった。このあと、トルティアがベルガーにお仕置きするのは決定である。


「ベル、もう痛くないの?」

「わざわざ聞くなよ! 恥ずかしいだろ!」

「ごめん……お大事に……」

「うるせえよ……このやろう……」


 大変同情的なミライの視線にベルガーは情けなくなりつつも、トルティアとは反対の場所で同じ姿勢になる。


「ミルァイ、叩かれたことはある?」

「うん」

「殴られたことは、ある?」

「うん」


 二度目の問いは一度目の問いより遥かに重苦しい声でされた。

 トルティアの顔は曇る。

 あまり考えたくはないが、ミライは恐怖の感覚が鈍い可能性があった。

 答える返事に抑揚があまりないのだ。

 落ち込んでいるわけでもなく、感情が篭っているわけでもない。


「……縛られたことは、あるかな?」

「うん」


 あるのか……とベルガーは内心で思った。


「ねぇ、ミルァイ。怖かったこと、今までで一番怖かったことを、良ければ教えてくれる?」


 トルティアがそう聞いた瞬間、ミライは何かを思い出して表情をすっとなくした。


 ベルガーが反射的にミライの腕を引く。


「あ、いや……おお……変な、顔してたから」


 見たことがなかったのだ。

 ぼんやりとしているような、ぽっかり何かがなくなってしまったような、そんなミライの無表情なんて、ベルガーは見たことがなかった。


 こんな顔をさせていいような娘ではない。

 満面の笑みを浮かべることはないが、こんな風に表情をなくしていいような少女ではない。

 反射的にそう思ったのだ。


 ミライは前の世界でされたことをいくつか思い出していた。

 正直言って、どれも正気とは思えない嫌がらせばかりだ。

 一番怖かったこと、と聞かれて一番最初に浮かんだのは屋上から突き落とされたことだったが、あの時は渡り廊下の屋根がすぐ下にあったので、他の嫌がらせと比べても大きなものではなかった。


「言いたくなきゃ、言わなくていい」


 そう言ってからベルガーは慌ててサムニエルを見たが、サムニエルは頷いてベルガーの言葉に同意した。


「一番って言われると、どれか選べなくて……」


 正直にミライが言うと、そういう意味で悩んでいたのかとベルガーはがっくりしたが、「どれでもいい」と恐らくサムニエルが思っていそうなことをミライに言った。


「じゃあ、プールのとき。えっと……水の中に、無理やり入れられたとき」

「水の中? どういうことだそりゃ」

「水中では息ができない、よね?」

「おう」


 まさかこの世界では水中でも息ができるのか、と危惧してミライは聞いたが、ベルガーがきちんとミライの言葉に頷いたので、少しホッとして話を続ける。


「息ができないように顔をつけられたことがあって……」


 説明しにくい……とミライは思いながら一応わかりやすいように説明した。

 しかし、ミライは気が付いていなかった。

 サムニエルが話しを聞きながら眉間に皺を刻んでいたことを。


「ミルァイ。聞いてもいいかな?」

「うん」

「それは――誰に、されたんだい?」


 しまった……!気を付けていたのに!

 ミライは自分の馬鹿さ加減に泣きそうになった。



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