026:辺境伯と義理の弟
「そうか……ミルァイの所へ行ったか。狙いはやはり私では無かったか」
トルティアの報告を聞いてサムニエルは考え込んだ。
恐らくミライが目的であろうとは思っていたが、こうも予想がバンバン当たると面白くない部分もある。
相手が弱敵過ぎるので、それも致し方ないのだが。
「聞きたいかい? ミルァイ。実を言うとあまり大したことでもないんだが……」
「聞きたいです」
「おや、また言葉遣いが……」
「聞きたい!」
「そうか、では話そう」
サムニエルはご機嫌な表情でミライに微笑んだ。
「ここから先、そうだね……あと半日ほど進んだ所くらいから、私の領地ではなくなる。簡単に言うと、敵地に入るようなものだ」
「敵……」
「極端に言うとね。いやはや、しかしこの会話は絶対に聞かれてはならない。どうしたものだろう」
「……防音。この部屋の会話を誰にも聞かせないようにして」
「おお! ありがたい! そんな魔法もあるのか!」
絶対催促したんだ!絶対!とミライは思いつつも、魔力の提供者を詠唱せずに魔法が発動できたことを確認できて、ちょうど良かったとも思った。
数秒間、魔法陣が室内を包み込むようにして広がり光っていたが、魔法陣が壁に溶け込むと光はすうっと消えた。
本当に今更だが、ミライはすっかり忘れている。
持続効果について、期限の設定というものを。
転移、破壊、消失、巻き戻しなど、爆発的に魔力を使い、ほぼ一瞬で発動し役目を終える魔法ばかり使っていたので、すっかり忘れていた。
この部屋はサムニエル一行が発った後も防音の魔法が持続し続けており、ミライから魔力を吸い取って行使しているのだが、たっぷりと魔力を有り余らせているミライは気づかない。支障もない。恐らく、数百年そのままでもミライには何の支障もない。中に入ると声が聞こえなくなる部屋、として宿泊施設が大々的にアピールを始めるのはあと数年後のこと。
「さて、では簡単に話してしまおう。回りくどい表現を使わなくなっても良かったからね」
念のため、とクォツェルを外に出してからトルティアを使いベルガーに絶叫を上げさせたサムニエルは、効果の程を実感して満足そうにそう言った。
「敵と言っても、本当の敵じゃない。同じ国に遣える仲間でもあり、傍から見ると好敵手のようなものだ。私と張り合うのが好きなやつでね、ことあるごとに何かを仕掛けてくるんだよ」
「好敵手……その、仲は良いんですか?」
好敵手、ライバル。
ミライの世界ではそこそこ仲が良い関係だと思うが、この世界ではどうなのだろう。
「そうだね……羽虫のような相手だから、出来ることならいなくなって欲しいね」
「……えっと」
どう受け取るべきだろう。
困ったミライはベルガーを見たが涙目になって股間を押さえ蹲っていたので、トルティアに助けを求めた。
「敵――フォレスタッカー伯爵は公のことが大好きでねぇ。構って欲しくて堪らないんだ。ブンブンと公の周りを飛んでは叩かれて飛んでは叩かれて、それでも公が大好きだから何度でも同じことを繰り返す」
「……でも、エルさんは嫌いなんだよね?」
「うーん……いっそ嫌いになれたら良いんだろうけど」
トルティアは考えるように顎に指先を当てたが、パッと表情を明るくしてミライに微笑んだ。
「弟さんだよ! そう、それを先に説明すれば良かったねぇ。伯は公の奥方様の弟さんだよ。公にとっては義理の弟になる立場の人」
「えええええええ! 弟さんなのに襲ってくるんですか!?」
「困ったものだよねぇ」
「……」
伯爵、ライアネル・ヘル・フォレスタッカーはサムニエルのことが大嫌いだった。
慕っていた姉を颯爽と奪い、挙げ句の果てには殺したのだ。
殺した、というのはかなり語弊があるが、サムニエルがしっかりしていれば姉は病になどかからなかったと理不尽な思いを抱いている。
「まだ見つからんのか!」
ライアネルは声を荒らげた。
その声にびくりと肩を揺らし、使用人たちは怯える。
激高するライアネルとは裏腹に冷静なまま執事は静かに頭を下げた。
「申し訳御座いません。報告はまだ、届いておりませんが……雇った者たちはみな腕自慢の荒くれ者、何かしらの結果は持ち帰ってくるでしょう」
「魔法使いを連れて帰らなければ意味などない!」
小さく太い身体を揺らし、ライアネルはブヒブヒと鳴いた。執事はそう思った。
サムニエルの妻、エリーゼが死去してからというもの、ライアネルは悲しみの果てに暴飲暴食を繰り返した。そして、三十代というこの世界では男が一番輝く時期に、見るも無残な豚となってしまった。
「サムニエルめ……!」
落ち着きのない態度で小刻みにダンシングしながら苛立ちを表現する。執事は悲しくなった。
昔はこうではなかった。
エリーゼという美しい姉に褒めてもらいたい一心で、ライアネルは次々と功績を上げていった。国王陛下より「そなたはなんと頼もしい」と言われたのはまだ十年も経っていない頃のことである。
そんなライアネルはやり手の貴族として評価され、今現在もその評価は続いているのだが――ライアネルがどれだけ優秀で賢くても、サムニエルには敵わない。
サムニエルは別格なのだ。
あれは化物と呼んで良いレベルの人間である。
サムニエルが魔法使いを客人として王宮に招くと聞いたとき、ライアネルはすぐさま裏ルートで詳しい情報を手に入れた。足がつかないよう仲介の者を何人も入れて雇った者たちは、実力の確かなものばかりで王国騎士とまではいかなくともそれくらいの強さを確認済みで雇った者なのだ。
人脈は広い、信頼も厚い、頭も悪くない。
しかし、一番勝ちたいサムニエルにただの一度も勝てないライアネル。その上、大好きな姉を亡くしライアネルが暴飲暴食に明け暮れるのも致し方ないことではあった。
見た目は小さな豚であるが、ライアネルは決して見た目通りの男ではない。執事もそれをよく知っている。しかし、サムニエルを相手にするとライアネルは冷静さを失い、普段と比べるまでもなく幼稚な姿を晒すのだ。
駄々を捏ねるような主に執事はそっと息を吐く。
サムニエルもサムニエルで、ライアネルをどうにかしようとすれば出来る材料を持っているだろうに、一向にことを明るみに出そうとはしなかった。
慈悲なのか、からかっているだけなのか、執事には分かりかねるが――これだけは言える。
サムニエルとライアネルのやり取りは、大人と子供の喧嘩である。
それも、ずる賢い子供が、更に上を行くずる賢さを持つ大人とする喧嘩であった。
ライアネルは魔法使いを手元に引き寄せ、自分が王宮に連れて行きたい。手柄を横取りしたいのだ。しかし、サムニエルはライアネルの妨害をするりと交わして先へ進む。
「魔法使いがだめならサムニエルを捕えろ! 連れてこい! あいつめ! くそ!」
「それは難しいかと……」
「つれてこーい! 私を小馬鹿にしおって!」
サムニエル誘拐の計画を言い出すのは何度目だろうか。
二十は超えたか、いや、三十は超えているはずだ。
その度に執事はなんとか宥めてきた。ライアネルは無駄に賢いせいで、必ず実現できる案ばかりを立て実行に移そうとする。そして、計画自体が実現してもサムニエルはそれをこともなげにひょいっと交わして逃げるので、やはり化物である。
ただの辺境伯であれば、とっくに失脚しているであろう。
執事はこっそりと手紙を書き、いつものように口の堅い使用人へそれを届けさせる。
滞在しているという宿泊施設にまだサムニエルがいれば良いが……そう思いながら、ライアネルを宥める為にエリーゼの姿絵を取り出した。




