013:お茶目な辺境伯
「ミルァイ。魔法というのはとてもわくわくするね」
「そう、ですか?」
「そうだとも! なにか一つ、見せてはくれないか?」
「……あの、私を調べるんじゃ?」
「そんなのは後でもいい。魔法がとても見たかったんだよ」
サムニエル・リア・クライシス。
齢四十五の辺境伯である。
白髪混じりの髪はきちんと整えらており、身なりも辺境伯らしい貴族然としたものだ。
その顔には子供のような笑みが刻まれているのだが、社交界ではまたの名を――冷血辺境伯という。
非道と言われる騎士団第三位、スペリアズの性格の一部は辺境伯によって培われたと騎士団の面々は知っている。道を阻むものには手段を選ばず退いて貰え、と辺境伯は笑みを滲ませて騎士団へと教え込んだ。
あの手この手を使い始末してきた数はもはや数えられないほど。
しかしながら一切の証拠を出さずに全てを終わらせるので、怪しいと疑われてもすぐに疑いが晴れるのだ。辺境伯は行ったことを無かったことにはしないのである。
誰かに擦り付けるだけだ。とても汚い手で。
辺境伯は冷血で敵に回ったものに対しては容赦をしないと言われている。それは事実である。
違法な手段を使うこともあれば、正々堂々戦うこともある。
そんな辺境伯の行動に共通して存在するのは王国への忠誠だった。
王国の為、家族の為。辺境伯は汚い手を使ってでも敵を排除する。
元々、その為の辺境伯だ。
王国を影から守る人間を育成する――それがサムニエルの主な仕事だった。
少数精鋭の騎士団は隠れ蓑のようなもので、まさか裏で影の者を育成しているとは誰も思っていない。
既に王宮内で王族に遣えている影の者もいる。
元々は騎士団に所属していて、サムニエルが合格点を出した者たちだ。
団長・副団長・第三位はサムニエルから離れたがらないので仕方なく騎士団に置いているが、サムニエルが育てた中ではこの三人は飛び抜けて優秀な者たちだった。
いつの間にか加わっていたスペリアズを含めたそんな三人とベルガーだけを室内に残し、サムニエルはミライと面会している。冷血辺境伯と呼ばているのが嘘のようにはしゃいでいた。
「じゃあ……小さいやつでもいいですか?」
どうしても魔法が見たいとせがむので、仕方なしにミライは魔法を行使することにした。
辺境伯は嬉しそうに目を輝かせて大きく頷く。
「いいともいいとも! 見れるならなんだって構わない」
すっとミライが指先を伸ばすと控えていた三人が僅かに身動ぎした。
いつでも対処できるよう、準備をしたと言ってもいい。辺境伯はそれに気が付いていたが、ミライは気が付いていないようだったので何も言わないことにした。
ミライはどんな魔法を使おうかと頭を悩ませる。
あまり大きくない魔法。できれば地味な魔法。
考えてはみたがイマイチ良い魔法が見つからず、ぱっと視界に入った紅茶を見て使う魔法を決めた。
「――加熱。紅茶を温かくして。魔力提供者はミライ」
魔法陣が紅茶へと吸い込まれるように消えていく。
サムニエルはその様子を一瞬足りとも見逃さずにひたすら目を凝らした。
ふつふつと紅茶がカップの中で沸騰したのを見てミライは焦る。
沸騰させるつもりは無かったのに、どうもミライは魔力の調整が下手くそらしかった。魔法はミライに優しいが、普段の細かい調整まではやってくれないみたいだ。
がっくりと肩を落としたミライとは裏腹に、サムニエルはふるふると震え熱くなった紅茶に感動した。
「ミルァイ……! 素晴らしい……!」
スペリアズは相変わらずミライを冷めた目で見ていたが、魔法には興味を抱いたらしい、団長と副団長と同じように驚いていた。
ミライの魔法をずっと見てきたベルガーとしては、加熱の魔法より巻き戻しや消失の方がすごい魔法だと思ったがそれを口にすると辺境伯がまた騒ぎ出しそうなので空気を読んで黙っていた。
しかしここにも空気をぶち壊す人間がひとり。
「おい××××」
「……聞こえないです」
「チッ。クソが。女! お前は消滅だか消失だかとかいう魔法を使ったんだろう。それを公にお見せしろ」
スペリアズの余計な一言に辺境伯は顔を上げたが、その表情は明るくない。
ミライもまた、ぎゅっと膝の上で拳を握り締めた。
「アズ。それは遠慮しておこう。……ミルァイの表情を見なさい。よい魔法ではないのだろう」
話だけは先に聞いていたが、辺境伯は消失の魔法を見せてくれと言うつもりはなかった。
ミライは素直に連行されたという。伝令の話では、事件の直後は涙すら流していたと。
その話を聞いて辺境伯はミライの人柄を想像した。
実際に会ってみて、ただの少女だということが分かりミライの一連の行動の意味を正しい意味で理解していたのだ。
大切なものを傷付けられ、感情が爆発したのだろう。状況から想定するに、それはほぼ間違いない。
死亡者はゼロ、行方不明者もゼロ。なくなったのは建物や物だけで、人はひとりも傷ついていなかったという。
魔法の言葉通りに"消失"した『人間』はいない。
「辛い思いをしただろう、ミルァイ。私の民が悪かったね」
「いえ、あなたのせいじゃ……」
首を振ろうとして、ミライは辺境伯の名を知らなかったことに気付く。
「お名前を、お聞きしてもいいですか?」
「サムニエル・リア・クライシスだ。民からは辺境伯と呼ばれている。団員は公と呼ぶがね。ミルァイは好きに呼んでくれて構わない」
「サムニエルさん……」
意外と長いし呼びにくいな、と思ったミライに辺境伯は気が付いたのか、可笑しそうにくすりと笑った。
「エルでよろしい。それとも、サムがいいかな?」
サムさん、エルさん。――エルさんかな。
ミライは単純に呼びやすい方を選ぶ。
「エルさん」
「おい! ××××××××××××!」
「だから聞こませんって……」
スペリアズはもう我慢できないとばかりに声を荒らげが、最初の呼びかけ以降は全てミライには届かなかった。




