37話 『無様な姿』
――今や崩れた家屋から抜け出した蠍の烙印者が私へと恍惚の表情を向けている。
水瓶の烙印者を倒したのは良いが、今の私は絶体絶命に違いない。
「あはっ。こうして動けない君を見るとなんだか興奮しちゃうよ。ねぇねぇ、苦しい?」
クスクスと悪い笑みを浮かべながら顔を近づけ訊ねてきている烙印者に、私は言い返す気力も離れる力もなく、ただ睨むことしか出来ない。
「んー、何も言い返してこないのは気持ち良いけど、その睨んでくる目は気に入らないなぁ。僕的にはさぁ、もっと絶望に満ちた目をして欲しいんだ。だからね?」
近付けていた顔を離し、徐にレイピアを鞘へと戻した後、再度私へと向ける。
太ももへと突き刺すように構えながら。
「この黒い毒。見えるでしょ? これ、僕が出せる一番強い毒なんだ。ずっと誰かで試したいって思っていたから丁度いい実験体が居て良かったよ。多分死にたくなるくらい苦しいと思うけど、器は殺せないからさ、頑張って長く耐えてね」
「――っ! ぅぐっ……!」
無邪気な子供のように笑いかけながら、思いっきり突き刺されるレイピア。
覚悟を決め、耐えようと思ってみても瞬間的に全身を駆け巡った痛みは絶え間なく続く。
込み上げてくる血と煮えたぎるように熱くなる体が呼吸をする事を忘れ、脳内は痛みを和らげるためにひたすら歯を噛み締める事を選択した。
「あはははっ! 凄い凄い! 良く耐えてるね! 僕の毒はどうかな? 死にたい? 死にたいよねぇ!? いひひ。ほら、命乞いをするなら今すぐ助けてあげても良いんだよ?」
「……っ、な、なんてことないよ。確かにしんどいけど、これくらいなら余裕だよ。ははっ、私が絶望しなくて残念だったね」
ハッタリでしかない。
辛いし、痛いし、さっさと死んでしまいたいと思えるほど苦しい。
でも、ここでそれを言ってしまえばおしまいだ。
だから私は弱音を吐かないし、望み通りの顔はしない。意地でも屈しない為に。
「ふーん。あっそ、強がるね。ホントは辛いくせにさ。……まぁいいや。それならもっと沢山投与してあげるよ。あはっ、もしかしたら絶望する間もなく逝っちゃうかもしれないけどね」
私が強がった結果、烙印者は持ち前のレイピアから先程の毒を抽出し、懐から取り出した注射器へと入れ始める。
これから私に何をするのか。
それは考えるまでもなく分かったが、投与する場所までは想定外だった。
注射器を片手ににじり寄る烙印者は、事もあろうに私の目から注入しようとしてきたのだ。
「――ユフィから離れなさい!」
しかし、私に針が刺さるその瞬間、戦いが終わったルーナが助けに来てくれた。
「ちぇっ、こんな良い所で邪魔者が来るなんて。はぁ、あいつ全然役に立たないじゃん。折角器で遊べるのになぁ。はぁ……先に邪魔者を始末しないと駄目か」
明らかに死角から迫った一撃だった筈なのに、烙印者は面倒臭そうな表情のままそれを避けると、持ち前の素早さを使ってルーナへと接近した。
そして、反応出来ないままに傷つけられたルーナは私と同じように血を吐いて倒れていく。
けれど、そんな地に伏せるルーナの姿を見て満足げな烙印者をノーヴァは逃さず、上空から狙いを定めてハンマーを振り下ろした。
「二人をいじめるなぁああ!」
「はぁ!? 嘘だろ!? こんなに早く適合者が現れるなんて聞いて……っ! クソがぁ!」
ノーヴァの怒声と共に推進力となっていた水は降り注ぎ、予想外の攻撃を受けた烙印者は避けきれずに左腕を潰されている。
顔には汗が滲み、一瞬焦った顔を見せる。
が、腕を失ったにも関わらず烙印者の目から焦りが失わるのは予想に反して早かった。
「人間風情が僕の腕を潰しやがって! お前だけはすぐにでも殺してやる!」
「ノーヴァ! 私は良いから逃げなさい!」
「えっ? で、でも――!」
ノーヴァが殺される。
そんな最悪の光景が頭に浮かび、私の体は忠告するよりも早く動き出した。
自分も毒が回って満足に動けない筈なのに。激痛が体を蝕んでいるのに。
――それでも仲間を、大切な人を傷つけられたという怒りの衝動に駆られて体は勝手に動く。
「退けよ! 死にぞこないが! 器だから殺されねえとでも思ってんのか!?」
「は、ははっ。退くわけないでしょ。あんたの相手は最初から私なんだから!」
左腕を失った蠍の烙印者と、毒を受けている私。
どちらが優位というものは最早ないように思えるかもしれないし、お互いに満身創痍といった形だと考えるのが普通だろう。
しかし、今の私は怒りによって毒の痛みなど気にしていない。
つまり、普通に動ける私が左腕を失った蠍の烙印者に負けるわけがなく、激しい猛攻が防がれることもなかった。
「なんで、なんでだよ。毒で動けねえ筈だろうが! なのに! どうして、どうして私が押されているんだ!」
烙印者の慟哭と共に放たれる突き。
苦し紛れの攻撃に速度はなく、柄を掴んで奪い取ると同時に投げ捨てる。
これで私の勝ちは揺るがない。
「おい、おいおい! 同じ烙印者だろ? 殺さないでくれよ、なぁ?」
「うるさい! ふざけないでよ! 大切な仲間を傷つけた人を許すわけないでしょ!?」
怯えた顔で後ずさり、必死に命乞いをするが、私の感情は揺るがない。
ルーナを傷付けられた怒りが、毒で苦しんでいるその顔が心から消えないのだ。
「やめ、やめろ! これ以上はまずい! 本当に死んじまう!」
「逃がさないよ! 今度こそ私は仲間を助ける為に勝つんだから!」
私の目を見た烙印者は命乞いが通じないと見るや否や、咄嗟に逃げる事を選択した。
背を向け、無様な姿で走り出す。
その後ろ姿は到底烙印者とは思えず、最初に対峙した時の余裕は一切ない。
ただ、多少の憐れみは感じられる。
だからこそ、私はせめて一息に殺してあげようと追撃を仕掛ける事にした。




