第35話 一戸建て
深夜。
外は静まり返り、祝祭の余韻すら嘘だったかのような静寂が、宿の一室を満たしていた。
アレンは疲労で深く眠っていた。
リュミナも同じベッドで小さく丸まり、静かに呼吸をしている。
――その瞬間だった。
ぞくり、と。
身体の奥に直接触れられたような、冷たい気配が室内を満たした。
「……っ!」
アレンの目が弾かれたように開いた。
胸が一気に高鳴る。
何かが“いる”。
説明のしようのない、質量のない影のような存在が、空気をゆっくりと押しつぶしている。
”リュ……ミナ……!”
呟いた声がかき消された。
隣を見る。
リュミナも薄く目を開き、わずかに震える息を吐いた。
表情は静かで――あまりに静かで、死者の覚悟にも似ていた。
”もう……来た”
音にならないその呟きは、口の動きからアレンにも通じた。
”何がきたっていうんだ?!”
リュミナは目を合わしてくれない。
”ま、待て……! どういう、ことだ……っ! 逃げ――!”
叫んだつもりだった。
だが、
全てがかき消され、異常な静寂が辺りを包む。
喉から音は出ているはずなのに、“音”として空間に響かない。
震えるだけの、意味を持たない空気。
”な……なんだよこれ……!”
パニックのままリュミナを見る。
彼女はもう立ち上がる気配すら見せず、ただ受け入れた顔をしていた。
”……ごめんね、アレン”
またしても、唇の動きで想いが通じる。
”おい、どういう意味だ!?
嫌だ……リュミナ、何言って……!!”
喉を裂くように叫ぶ。
だが鼓膜は沈黙したまま、どれほど叫んでも“音”は生まれない。
次の瞬間――
二人の身体が、ふっと軽くなった。
”……っ!?”
輪郭がほどけるように消えていく。
頭、腕、肩、胸、脚――輪郭が砂のような粒子に分解されていく。
アレンは恐怖に目を見開き、声にならない悲鳴を上げた。
リュミナは、ただ目を閉じていた。
戦いのあと抱きしめたあの温もりだけが、遠ざかっていく。
――そして光。
粒子となった二人を包み込むように、白金色の光が部屋を満たし、
次の瞬間、宿の部屋から“二人の存在そのもの”が消えた。
視界が弾け、再構築されるように世界が形を取り戻す。
アレンは足元の感触に驚いて目を開いた。
そこは、白い光が満ちた、空間そのものが輝くような“何か”だった。
上下も左右もない。
地平も影もない。
ただ全方位から柔らかい光が降り注ぐ、現実とも夢ともつかない場所。
”どこだ……ここ……? リュミナ? いるよな……? リュミナ!”
やはりアレンの声は形を成さなかった。
必死に振り返る。
すぐ隣にリュミナは立っていた。
だが。
その顔に、もう“感情”がなかった。
恐怖も、悲しみも、焦りも――何ひとつ浮かんでいない。
諦めきった人形のように、ただ前を見つめている。
”リュミナ……なんでそんな顔……”
アレンは距離を詰めようとした。
だが足は震え、呼吸も乱れ、状況が理解できないまま心だけが崩れていく。
動けない。
リュミナは、アレンを見なかった。
ただ小さく、ひとつ息を飲み、唇を結んだ。
「アレン……ここからは、もう……」
リュミナの声だけは音となりアレンに届いた。
その言葉が途切れた瞬間、
二人の前に“光の影”のような存在がゆっくりと姿を現し始めた。
――連行は、終わった。
光の影はゆっくりと形を成し始める。
セレナだ。リュミナが最初に来ていたような機能的な白衣を身に着けてはいるが
あの時のセレナだ。
「リュミナ、久しぶり。元気にしていた?」
優しい声でセレナがリュミナに話しかけた。
「主任、ご連絡できずに申し訳ありません。」
アレンは状況についていけない。
「リュミナ、あなたの報告書はとても興味深かったわ。
まさかこの星の住民が我らニャーンの亜種だとはね。」
「……。2個目の報告書も受け取っていただけたでしょうか?」
「えぇ、それも精査済みよ。本当に残念だったわ。」
「ということは、この星は引き続き観察対象になったということですか?」
「それは私から説明しよう」
その時、一段高い場所から声が響いた
高みから見下ろしていた人物が急に話に割り込んだ。
そこに人がいると思っていなかったリュミナが驚いて見上げる。
「ヴァルディス所長……!?」
リュミナたちは神聖帝国の言葉で話している。
アレンには何一つ伝わらない。
ただ睨むことしかできない。
「リュミナ、お前の報告データは大いに我々を失望させたが、私はまだあきらめていない。
この星の住民には魔法兵になるポテンシャルはまだ存在すると私は考える。
これからこのニャニャーン神聖帝国が守護国から引き継いで研究を進めるのだ。」
「待ってくださいっ!所長、彼らは実験動物ではないのです!
守護国ですら諦めたことを我らニャーンで成し遂げられるとは思えません!!」
「黙れ、リュミナ。お前のような若輩が語るな!
人の心配をする前にその身の心配をしたらどうだ?」
「……。未開文明保護条約違反は承知しています。
ここまでの違反であれば極刑も免れないかもしれません……。」
リュミナの表情から何かを悟るアレン。
目を見開いて近づこうとする。だが一向に体の自由が戻らない。
「所長、私はもう覚悟を決めています。ですが、アレンは何も知りません!
このまま、彼は記憶を消して地上に戻してあげて欲しいのです。
罪を追うのは…………私……だけ……で。」
リュミナが最後に消え入るような声で懇願した。
アレンは状況が理解できないまま、焦りだけが募る。
「ダメだ。こやつは我らに関わりすぎた。
実験サンプルとして初回データをこやつで取らせてもらう。
この星から連れ出した場合、一体どれほど生存できるか。
実に興味深い。」
「所長!!」
リュミナの目から涙があふれ出た。
それを見た鬼の形相のアレンが拳に力がこもる。
そして腹の底から叫んだ。
今まで全く反応しなかった自分の体に自由が戻る。
「リュミナぁ!!」
あまりの大きな声にそこにいたニャーン達全員がたじろいだ。
セレナ主任が叫ぶ。
「おい!奴のエンフォース・フィールドを最大出力にしろ!!」
だがそれと同時に、目を血走らせたアレンが大声で命じる。
「動くなっ!俺の話を聞け!!」
この一言で、ニャーン達全員が固まって動けなくなった。
まさかのネコテイム。
「リュミナ、どういうことだ!?
俺にもわかるように説明しろ!」
驚いたリュミナが一瞬固まったが、ゆっくりと口を開いた。
「わ、私は皇族でも何でもない。
ニャニャーン神聖帝国の一平民であり、研究者。」
鋭い目つきでアレンはリュミナを見つめる。
「神聖帝国は進んだ文明を持つ国。
この人達は……私の上司。
私達研究者はあなた達に干渉してはならないという
法のもと、あなた達を観察していた。」
アレンが静かに質問する。
「リュミナ、お前は……研究のために俺に近づいた?」
「……そう。」
「それは今も……か?」
しばらくリュミナが黙り込んだ。そして溢れる涙と共に叫ぶ。
「そんなわけないでしょう!!!
一緒に居たいから!
アレン、あなたを愛してるからに
――決まってるじゃない!!」
リュミナはギャン泣きした状態で続けた。
「ずっと一緒に居たいよ!
こんなところで別れたくないよ!!」
少し驚いたアレンがエンフォース・フィールドの影響で
ぎこちない動きのままリュミナに近づいて抱き寄せた。
「リュミナ、俺もだ。」
リュミナがアレンの胸の中で、上目遣いのまま見つめた。
「いいか、お前ら!二度と俺達に関わるな!
もし、リュミナに害を加えるなら俺が許さん!」
所長に向けてアレンが叫んだ。
所長を含めたニャーン達の耳が微動する。
「分かった。お前達には関わらない。」
所長がアレン達の言語でゆっくりと答えた。
ヴァルディス所長は一度決めたことを覆すタイプではない。
リュミナが驚いて彼を見つめた。
そこで、何かを思い出しかのように目を見開いた。
「ネコテイム!?」
アレンもそこで思い出した。
「あ……!?」
あまりに必死過ぎてその存在を忘れていた。
二人は顔を見合わせた。
そしてすぐにリュミナが思いついたようにアレンにお願いした。
「アレン、彼らにこう命じて!
『惑星レヴェリスを今まで同様観察するだけにしろ』って。」
アレンはリュミナから聞いた話を思い出した。
過去に神聖帝国がいくつもの未開文明を滅ぼしてきたことを――。
「お前達は俺達に干渉せず、今まで同様観察するだけにしろ!」
「わかった、そうする。」
所長が答えた。
リュミナの顔に笑みが戻る。
「アレン!!」
「リュミナ!!」
二人が抱き合った。
所長がそのまま続ける。
「リュミナよ。」
重い声にリュミナは抱き合うのをやめて所長の方をみた。
「約束は守ろう。だがお前も約束しろ。
条約に反する過干渉は行うな。
他の星間国家に目をつけられたら我々でも庇いきれんぞ。」
「はい!もちろんです!」
厳かに構えていた所長の表情に少し柔らかさが現れた。
「お前達を見ていて、ひとつ面白い研究を思いついた。
魔法兵よりもな。」
不思議そうにリュミナが所長を見る。
「レヴェリス人はニャーンの亜種だ。
交配するとどんな子が生まれるか。見ものだ。」
その瞬間、リュミナの猫耳が真っ赤に染まる。
アレンは神聖帝国の言葉を理解できないため、何があったか分からない。
「はい!私も興味がわきました!」
リュミナがふざけた顔で答えた。
「元の場所に戻す。大人しくしていろ。」
そういうと再びエンフォース・フィールドが発動して、動けなくなった二人。
徐々に意識が遠のいて、次に目を開けた時には再び宿の一室にいた。
「あ……なんだ、これ。いつも思うがお前の国の魔法はすごいな。」
能天気にアレンが返す。アレンの常識ではまさかニャーンが宇宙人だとは思うまい。
「うん!」
昨日とは打って変わって、晴れ渡るような笑顔だ。
リュミナがそのままアレンの腕を引いてベッドに倒れ込んだ。
再びアレンが覆いかぶさるような形になる。
「アレン……愛してる。」
「俺もだ。」
そう言って、アレンがリュミナに覆いかぶさろうとした時
カッカッカッカ
再び外から足音が聞こえて、二人が固まる。
アレンが苦笑いして答えた。
「まずは一戸建てだな。」
「えぇ!稼がなきゃ!そうだ。私、魔王を倒したい!」
「魔王!?」
「そう、デーモンとの戦争を終わらせるんだ!
そして、財宝を奪い取ってきて……大金持ちぃ!」
「あぁ、そうだな!」
(あ……過干渉禁止?まぁ、いっか!
アレンが居たら、私達何でもできる気がするし!)
二人は再びベッドの上で強く抱きしめ合った。
・・・・・・・
これにてアレンとリュミナの冒険はひとまず終幕です。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました!
あとがき
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
アレンとリュミナの物語は、ここでひとまず幕を閉じます。
異世界から来た調査員と、しがない冒険者。
出会うはずのなかった二人が出会い、戦い、笑い、泣き、そして愛し合う。
この物語を書きながら、私自身が二人と一緒に冒険している気分でした。
アレンの真っ直ぐさ。
リュミナの強さと優しさ。
二人が支え合い、成長していく姿を描けたことを、心から嬉しく思います。
そして、二人の冒険はまだ終わりません。
魔王討伐、一戸建ての購入、そして――
二人の未来には、まだまだたくさんの物語が待っています。
いつかまた、彼らの冒険をお届けできる日を楽しみにしています。
(慣れないテンプレ執筆だったので新作投稿時、大爆死したと思いました。
あのトラウマは中々……なのですぐには続編には取り掛かれそうにありませんが
もし大ヒットしたら……続き書きますっ! なんちゃって……)
最後に、ここまで読んでくださったあなたへ。
あなたの人生にも、アレンとリュミナのような素敵な出会いと冒険がありますように。
本当に、ありがとうございました。
もしよろしければ、次の読者への道標に、評価やブクマをお願い致します。
――ひろの




