第29話 天使の降臨
風を切り裂きながら、リュミナは一直線に境界都市ザルドへ向かっていた。
ゼログラヴィティリングの光が尾を引き、背に伸びる光翼が空を貫く。
(早く……早く伝えなきゃ!
あんな大群が来たら、街は――)
心臓の鼓動が耳に響くほど速くなる。
やがて城壁と城門が見えた。
人々の動きは穏やかで、ただ日常が流れている。
(こんな平和な場所に……あれが迫ってるなんて……!)
リュミナは高度を落とし、そのまま城門の前へ急降下した。
急激な下降に、見張りの兵士たちが悲鳴を上げた。
「な、なんだ!? 光が――」
「ひ、人か!? 飛んでるぞ!?」
「いや、あれ……羽じゃねぇか……?」
光がふっと弱まり、地面に着地する。
砂埃の中から現れたリュミナに、兵士たちが目を丸くした。
「おい……まるで……天使……?」
「馬鹿言うな! 天使なんか――」
「いま光の翼してたぞ!? 俺、見た!」
そんな中、バールが駆け寄ってきた。
「リュミナ!? 無事だったのか! 一体何――」
「飛行魔法よ! それよりも――!」
怒鳴るほどの迫力だった。
その勢いに、バールは呑まれる。
「……それより?」
リュミナは大きく肩を上下させながら叫んだ。
「魔物の大群が――この街に向かってるの!!」
城門前に緊張が走る。
だが、兵士たちは顔を見合わせた。
「ま、魔物の……大群?」
「だけどこの辺り、最近ずっと静かだったぞ?」
「数百か? それとも千……?」
「そんな生易しい数じゃないわ!!」
リュミナは苛立ちと焦りを抑えきれず、胸元の小型ホロレコーダーを起動させた。
「録画……いえ、魔法で記録してあるの。見て!」
空中に青白いホログラフ映像が浮かぶ。
そこには――
大地を黒く覆う“生きた津波”。
地平線を埋め尽くす魔物の海。
絶叫が漏れる。
「な、なんだよ……これ……」
「多すぎるだろ……!」
「ど、どのくらいの数なんだ……?」
リュミナは一息に答えた。
「最低でも――一万は超えてたわ!!
魔族領が静かだった理由は……全部あれに集まってたから!」
青ざめた兵士たちが口を開けたまま動かない。
バールが硬い声で口を開く。
「……間違いないんだな?」
「はい……! アレンとグレンの戦いの最中に、空から確認したの!」
「アレンは!? リュミナ、アレンは無事なんだろうな!」
バールの声が震えた。
リュミナは息を詰まらせ、うつむいた。
「たぶん……大丈夫。まだ戦ってるの……
でも、それより街が先よ!」
わずかな沈黙の後――
バールの声が城門に響いた。
「全兵士に通達! 非戦闘員の避難を最優先!
城壁外の住民は全員城内へ――急げッ!!」
「冒険者ギルドにも伝令! すぐに武装を開始しろ!」
「鐘を鳴らせ! 非常警戒警報だッ!!!」
城に設置された大鐘が、重く街中に響き渡る。
ゴォォォォォォォォン……!!!
その音を聞き、街の人々がいっせいに顔を上げた。
「な、なに!? 非常警戒!?」
「魔物襲撃の合図だ……!」
「急げ、避難だ!」
街の空気が一瞬で緊迫する。
子供を抱きかかえる母親、荷をまとめる商人。
冒険者は慌てて武具を手に取り、城兵が走り回る。
リュミナは胸に手を当てて、震える息を吐いた。
(……伝えられた……
アレン……私、ちゃんとやったよ……)
少しだけ膝が震えた。
バールがそっと近づき、声を低くする。
「リュミナ……アレンは本当に大丈夫なんだろうな?」
リュミナはぎゅっと拳を握り、唇を噛む。
「……わからない……。
でも……信じてる。
あの時、アレンは『俺を信じて街で待ってろ』って言ったから……」
空を見上げる。
魔族領の方角は、夕焼けに染められながらも――
どこか、不吉な赤を帯びて見えた。
(アレン……どうか、生きて……)
胸の奥で祈りが震えた。
街は戦時体制へ――
そしてリュミナはただ、彼の無事を願い続けた。
――迫る“終焉の行軍”に備えるために。
・・・
・・
ザルドの街は夕闇に沈み、城壁の上に集まった兵士や冒険者たちは、緊迫した空気の中で動き続けていた。
ギルド長や領主の近衛兵長が指揮をとり、各所に伝令が走り、火の灯る松明が街を赤く照らす。
そして――
リュミナの報告を受けて急遽偵察に出ていた騎兵たちが、次々と戻ってきた。
その顔は皆、青ざめていた。
「た、隊長! 見ました……!
本当に……魔物の大群が!」
「数え切れません! リュミナ殿の報告通りです!」
「千じゃない……万……下手したらその数倍……!」
隊長達は唇を噛み、うなずく。
その傍でリュミナと共に控えていたバールも渋い顔をする。
「……やっぱりか。間違いねぇようだな」
リュミナは拳を握りしめ、胸がざわついた。
(やっぱり……アレンが言った通り……
早くついてよかった。これだけ準備ができる。
アレン、早く来て。私を一人にしないで)
沈みゆく太陽が、赤黒い空を染めていた。
空は不気味にどんよりとして、風がざわ、と城壁を撫でる。
「最後の偵察隊、戻ってきます!」
城壁の上の見張りが叫んだ。
皆が注目する。
暗がりの向こうから、複数の馬の影が疾走してくる。
だが――
その隊列の最後の一騎は、いつもと違った。
馬の背に、二人乗っているように見えた。
「……あれは?」
リュミナは目をこらした。
暗闇の向こう、ゆっくりと見えてくる。
いつもの安っぽい鎧。
背筋を伸ばした影。
見間違えるはずがない。
「――アレン!!」
リュミナの叫び声は、震えながらも真っ直ぐ城門前に届いた。
馬が止まり、アレンが地面に飛び降りる。
砂埃の向こうで、彼がリュミナの方へ歩み出す。
顔は傷だらけで、衣服も破れ、ひどい戦いをしてきたのが一目で分かる。
けれど――笑っていた。
「……ただいま、リュミナ」
その声を聞いた瞬間、
リュミナの足が勝手に動いた。
「アレンッ!!」
飛び込むように抱きつく。
アレンも強く抱きしめ返した。
互いの息が触れるほど近い。
体温があり、鼓動がある。
生きている――本当に。
「よかった……本当に……生きてた……!」
「約束したろ。帰ってくるって」
リュミナの震えが、アレンの胸を通して伝わってくる。
アレンはその肩に手を添え、優しく笑った。
「泣くなよ。俺は大丈夫だ」
「泣いてない……っ、泣いてないもん……!」
涙がぽろぽろこぼれる。
アレンはその涙を指で拭う。
「お前にまた会いたくて
……ただそれだけの想いで生き残れた」
その言葉に、リュミナの体がわずかに跳ねた。
「……もう、バカ……
そんな言い方……ずるい……」
二人の世界が静かに寄り添うように閉じ始めた、その時――
「はいはいはいーい! お二人さん!」
バールがわざとらしく手を叩きながら近づいてきた。
「感動の再会は分かるけどよ?
いつまでやってんだ? 夜が明けちまうぞ?」
「……っ!」
リュミナが真っ赤になって反射的にアレンから離れた。
アレンは逆に、耳の後ろをかきながら苦笑する。
「いや、その……悪い」
「悪いのはお前らじゃねぇよ。
こういうのは心が温まるけどな?
今は戦時中だ」
バールは笑いながらも声を引き締める。
「アレン、リュミナ。
ここからは俺たちも地獄を見るかもしれねぇ。
覚悟はいいか?」
アレンはリュミナを横目で見て、そっと手を握る。
「……あぁ。
俺はもう、覚悟は済んでる」
リュミナも頷いた。
「私も行くわ。
アレンが隣にいてくれるなら、怖くない」
バールがニヤリと笑った。
「よし。なら――
この街の全力、見せてやろうじゃねえか」
夜の帳がすべてを包み込む。
遠く――地平線の向こうから、低い地鳴りが聞こえ始めていた。
魔物大群が迫ってくる音だ。
アレンとリュミナは、ゆっくりと手を離し――
しかし、互いの距離はどこまでも近く感じられたまま。
偵察兵の調べでは、大群の到着は明朝。
ザルドは、決戦前夜の眠れぬ夜を過ごした。
遂に始まる大決戦。
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