第26話 黒炎の契約
戦場の夜は、焦げた土と鉄の匂いが混じっていた。
数刻前まで、ここで戦っていたA級パーティは、消し炭に変わっていた。
そして、骸の山の中心に── 1人の男が立っていた。
魔王軍幹部、魔将イグラート。
黒炎が揺らぎ、肩口の古傷だけがわずかに痛む。
苛立ちの溜息をつこうとしたとき。
――ザッ。
まるで死神を呼ぶような軽い足音で、一人の“ヒューマン”が現れた。
「初めまして……灰獄のイグラート様」
声は震えていなかった。
だが、その目に宿っているものは、常軌を逸していた。
憎悪。嫉妬。執念。
どれも中途半端ではない。焼き切れそうなほど濃い。
イグラートは興味なさそうに鼻で笑った。
「ヒューマン如きが……ここで何をしている。死にに来たか?」
グレンは膝を折り、額を地面につけるほど深く頭を下げた。
「お願いします……どうか、俺に力を貸してください」
イグラートは冷笑した。
「ゴミが何を言う」
グレンの拳が震える。
プライドが、まだ残っていた。
でも──
「何でもします」
その言葉を口にした瞬間、何かが壊れた。
イグラートはあくびを噛み殺すような態度でグレンを見下ろした。
まるで虫。価値を感じない、圧倒的な格差の眼差しだ。
「人間ごときが、俺に取引を持ち掛けるなど……滑稽だな。
貴様のようなゴミ虫が俺のために何ができる?」
だが、グレンは表情を変えなかった。
そのまま淡々と言葉を続ける。
「光剣の男……アレン。
そして光魔弾の猫耳の女。
あいつらを……俺は憎んでおります」
イグラートの瞳が──濁った赤から、わずかに鋭利な色に変わる。
「光剣、光魔弾……?」
「ええ。つい最近、あなたを負傷させた二人です」
イグラートの顔が、わずかに引き攣った。
この魔将は、リュミナのレーザーガンによって傷を負わされている。
魔王軍幹部としては耐えがたい屈辱だ。
沈黙。
黒い炎がイグラートの足元を這い、熱がじりじりと空気を揺らした。
「……いいだろう。興味はわいた」
その言葉にグレンの顔が輝く。
「本当ですか……!?」
「仲間になってやろう」
イグラートが指を鳴らすと、黒炎が地面から噴き上がり、
小さな“核”のような物体が掌に現れた。
光っていた。赤黒く、心臓の鼓動のように脈打ちながら。
「仲間になる証に……一つ、いいものをやろう」
グレンは恐怖より喜びが勝っていた。
アレンを殺せるなら、それでいい。
「ありが──」
その言葉の途中で。
イグラートは笑みを浮かべながら、
その核を──無理やりグレンの胸へと押し込んだ。
「っ……が……あ、あああああああああァァァ!?!?」
肉が裂け、骨が軋む音。
黒炎がグレンの体内で暴れ回る。
「言ったであろう?“何でもする”と。
ならば──仲間のため、実験体になってもらおう」
「ぐ、あああああああああああ!!」
悲鳴は人間の声ではなくなっていく。
背中が膨らみ、皮膚が裂け、翼のようなものが生え、
腕は鱗に覆われた竜の爪へと変わる。
火の魔力が暴走し、地面の岩すら溶かしていく。
イグラートは腕を組み、満足げにその変化を眺めていた。
「火竜の核を使った《フレッシュゴーレム》だ。
人間を素材にするのは初めてだが……上出来だな」
グレンの頭部が変形し、牙が生え、金色の瞳孔が縦に裂ける。
理性は焼き切れた。
残ったのは──たった一つの“執念”のみ。
「……ア、レ……ン……」
空気が震えるほどの咆哮。
翼が広がり、巨大な火竜人が宙へ舞い上がる。
「アレンを……ぶっ殺すぅぅぅッ!!」
火竜へと変貌したグレンは、
炎の尾を引きながら夜空を切り裂くように飛び去っていった。
イグラートは黒炎を揺らしながら、吐き捨てる。
「さぁ、暴れてこい。
貴様の目は俺と繋がっている。
奴らが何者なのか、弱点があるのか
探ってもらおうではないか。」
イグラートが遠ざかるグレンを見てニヤリと笑った。
「次は確実に貴様らを仕留める」
黒い笑みが、戦場の夜闇に溶けた。
・・・
・・
(アレン、あんな状況で、どんな気持ちになったんだろう?)
複雑な顔をして出て行った、アレンの事が気になりだして、
ベッドの中でゴロゴロと燻ぶっているリュミナ。
ガン!
勢いよくドアが開いてアレンが入ってくる。
「アレン!?」
アレンの突然の帰還に、リュミナの体がビクッと跳ねた。
(あ……あ……、なんて声かければいいんだろう?)
口を開こうとして、迷って、また閉じる。
「ア、アレン……その……」
アレンは特に気にしていない様子で、上から被せてきた。
「リュミナ、ちょっと大事な話だ」
リュミナの心臓が跳ねる。
(“大事な話”……?!)
アレンは息を整え、真剣な表情で言った。
「グレンが何か良からぬことを企んでいる。」
「グレンが?」
「酒場で聞いたんだ。イグラートと接触を計ろうとしている。」
「イグラート?」
「俺達が出会ったとき、お前が簡単に倒した魔将だよ!」
「あ!あー……あいつか。
私、あの時はよくわかってなかったけど、かなりの大物なんだよね?」
「そうだ。そしてもう一つ不穏な話も聞いた。
“魔族領で妙な光が上がった”ってことだ。
そして……“巨大な火竜の影が飛んでいた”って」
「……火竜?」
リュミナの眉がぴくりと動いた。
胸の奥に、冷たい不安の針が刺さる。
(火竜種……? こんな時期に?
嫌な予感しかしない……)
アレンは続ける。
「“グレンがその辺りをうろついていた”って情報もあるらしい。
無関係とは思えん」
リュミナの表情が一気に険しくなった。
「……最悪だよ、それ」
グレンの名を聞くだけで胃がきゅっと縮む。
アレンの過去を知っているからこそ、余計に胸がざわつく。
アレンが拳を軽く握った。
「だから、リュミナ。
俺たち、確かめに行った方がいい。
魔族領の偵察だ」
リュミナは一瞬だけため息をつき、すぐに切り替わる。
「うん。行こう。
アレン、これは……本当に放っておけない」
彼女の瞳からは、さっきまでのモヤモヤがすっかり消えていた。
代わりに──
帝国調査員としての冷静な光が宿る。
(ついでに、
ここまで溜まったデータを魔族領でステーションに送信しよう……
あそこなら逆探知されても大丈夫だ)
アレンがリュミナの顔をじっと見つめた。
「……リュミナ、大丈夫か?」
「な、なにが?」
「何か別事を考えてないか?」
リュミナがぎくりとする。
(……バレてる?)
でも、アレンは疑っている様子ではない。
「そんなことない。ただ……心配なだけ」
アレンは少しだけ微笑んだ。
「了解だ。明朝早くに出かけよう。」
「うん……!」
・・・
・・
魔族領のはるか上空。
巨大な火竜が、赤黒い瞳孔で地上を見下ろす。
「……来る」
獣の声が、人の言葉を紡ぐ。
「必ず……来る」
炎が尾を引き、夜空を焦がした。
グレン、変貌回。遂にざまぁの集大成。
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