第18話 嘘の上塗り
宿の部屋は夕暮れの光で薄赤く染まっていた。
通りの喧噪は遠く、壁越しに聞こえる酒場の笑い声が妙に現実感を薄めていた。
アレンは椅子に腰を下ろし、リュミナを見つめたまま黙っていた。
彼女はベッドの端に座り、指先で髪の先をもてあそびながら視線を合わせようとしなかった。
「さっきの、あれは……どういうことだ?」
アレンの声は静かだったが、押し殺した焦りが滲んでいた。
リュミナは答えず、わずかに唇を噛む。
灯りが彼女の横顔を照らし、その影が壁に長く伸びていた。
「リュミナ、言ってくれ。俺はもう――お前のことを、ただの仲間とは思ってない。」
「……アレン。」
「誰なんだ、あの猫耳ハーフの女は。見知ってる顔みたいだったろ?」
「……えぇ。彼女はセレナ。私の、前の……」
リュミナは一度言葉を飲み込み、深く息を吸った。
心臓がどくどくと鳴る音が、鼓膜の裏で響いている。
真実を話せば、アレンを巻き込む。
話さなければ、きっとアレンは傷つく。
――どちらも嫌だった。
「……アレン。聞いて。」
顔を上げると、その瞳がまっすぐ彼を見た。
結局、嘘で塗り固めることしかできなかった。
「私はね……北国のとある軍国主義大国の王族なの。」
静寂が部屋を包んだ。
アレンは目を見開いたまま動けなかった。
「軍国主義の国。私達は自らの利益のみを尊重し、弱い者を
容赦なく征服してきた国。
私はその王家の血を継ぐ者。……一応、姫ってことになる。」
リュミナの声は落ち着いていた。
けれどその指先はベッドのシーツをぎゅっと掴んで震えていた。
「彼らは私を探してる。見つかれば……私は連れ戻される。
私がこの国を守るための最後の砦だから」
「どういうことだ?」
「詳しくは言えない。でも彼らはこの国、この大陸全部を滅ぼす、
あるいは隷属させることに決めたみたい。
だけど彼らは王族である私がここに留まっているから、
迂闊に手を出せないだけなの。
もし私がこの国から連れ戻されたら……この大陸は、間違いなく……」
「……滅ぼされる?」
アレンの声が低くなった。
リュミナは頷いた。
「彼らは何度もそうした。
反旗を翻した文明を焼き尽くしたこともある。
都市ごと、文明ごと、全ての人を
――存在そのものを消したの。」
その瞳は炎の記憶を映していた。
震える声は過去の光景を追い払おうとするようだった。
「だからアレン。お願い。
私を……守って。」
その一言が喉の奥から零れた瞬間、
アレンの胸に痛みが走った。
「リュミナ、お前……この国の人のために、そんな危険な状態に――」
言いかけて、アレンは言葉を止めた。
彼女の目に浮かんだ涙が、光を受けて滲んでいた。
「守る。誰が来ようと、お前は俺が守る。」
その声は静かで、けれど確かな決意に満ちていた。
リュミナは微笑んだ。
――痛みを隠すように。
「ありがとう。……アレン。
でもね、決して戦おうとはしないでね。
あの光剣は私達の国の標準装備。
あなたがどんなに強くても勝てない相手なんだから。
だから、隠れて逃げ通すの。」
アレンはその言葉の裏に何かを感じた。
だが、深く追及することはできなかった。
窓の外では、夜の風が吹き始めていた。
その風がどこか遠い場所の焦げた匂いを運んでくる気がした。
リュミナはそっと目を伏せ、
胸の奥でほんの少しだけ自分を責めた。
(本当のことなんて言えないよ……アレン。
私がこの星を滅ぼすきっかけになるなんて――。)
灯りが揺れる。
二人の影が壁に重なって、
その輪郭が静かに震えていた。
・・・
・・
宿の窓に夜が落ちたころ、街の外れ――旧交易路沿いの廃倉庫。
灯りひとつない闇の中で、二つの影が対峙していた。
「……バルドとメルナが死んだ。」
低く押し殺した声。
グレンは拳を握りしめ視線を落とした。
「そう。」
《白銀の風》リーダーであり高位魔術師のエルフ。
シエルは眉ひとつ動かさずただ短く頷いた。
月光が髪を金色に照らし、その横顔は彫像のように冷たい。
「お前が二人をけしかけたんだな?」
沈黙。
わずかに夜風が吹き倉庫の鉄扉が軋んだ。
「……天地神明に誓ってそんなことはしていない。」
グレンは顔を上げた。
「二人は自分たちの意思で行った。アレンを蔑んでいたからだ。
俺はこの件に何も絡んでない。
ただあの時にアレンを見捨てたのは俺だ。
復讐されるかもしれないと不安に思っているのは事実だ。」
「ふん。」
シエルの唇がわずかにゆがんだ。
「そういうことにしておいてやる。」
淡々とした声。
それ以上責める気配もなかった。
だがグレンにはその無関心こそが何よりも怖かった。
「……驚かないのか?」
「驚く必要がある?」
「仲間だったろう?あいつらは!」
シエルの瞳が一瞬だけグレンを射抜いた。
氷のような無機質な視線。
「彼らはもう戦えない。それだけのことだ。
パーティは解散だ。」
「なっ……解散? シエル、それは――」
「聞こえなかったのか?」
「……!」
言葉を詰まらせるグレン。
怒りと屈辱が混ざったような表情を浮かべながら、
それでも彼女の前では拳を振り上げることもできなかった。
「アレンを始末しないのか?」
ようやく声を絞り出した。
シエルの肩がわずかに揺れた。
だがそれは笑いとも溜息ともつかない。
「私に命令するな。お前がやりたいなら勝手にやれ。」
冷たく言い放ち、マントを翻して背を向ける。
その背中には一切の情がなかった。
グレンは奥歯を噛み締め、吐き捨てるように言った。
「アレンには……新しい仲間が出来た。
大魔導士だ。おそらく、あんたを超える。」
シエルの足が止まった。
振り返りもせず声だけが静かに落ちた。
「それがどうした?」
「だから、バルドもメルナもやられた。
俺にはアレンを倒せない。諦めるさ。」
自分でも信じられないほどの嘘を淡々と口にした。
その一言で責任をすべて“アレンの新しい仲間”へと擦りつけるためだった。
「……下手な挑発はよせ。姑息なヒューマンめ。」
低く冷たい声が返る。
グレンは唇を噛んだ。
シエルの歩みはもう止まらなかった。
その背は夜の闇に溶けていった。
・ ・ ・
しばらくして、夜風が吹き抜ける無人の路地。
シエルは一人、街を見下ろす丘の上に立っていた。
「大魔導士だと……?
この辺境に、そんな存在が?」
彼女の唇が静かに吊り上がる。
その眼差しには戦慄に近い光が宿っていた。
「いいだろう。
これは私の意志だ。あのヒューマンは関係ない。」
月光が彼女の手に握られた杖を照らす。
淡く紫の魔力がにじみ、空気が震えた。
「大魔導士ならば――力を試さねばならない。
私は全てを犠牲にして、ここまで昇りつめた。
あんな半端者ごときが踏み入れて良い領域ではない。」
その声は祈りにも似た静けさを孕んでいた。
だがその奥にあるのは、純粋な破壊衝動だった。
風がシエルの長い髪をはためかせた。
その瞳の先には、アレンとリュミナの姿が映っていた。
嘘の上塗り、主人公サイドと悪役サイド。
両方が嘘を上塗りすることでストーリーが進みます。
主人公は相手を思いやり、敵方は卑屈な想いで。
うん、対決構造バッチリですっ!
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