51.そうだ、本屋へ行こう
無事に菓子折を入手――妊婦さんでも大丈夫なように、カフェインが入ったものはちゃんと避けた――、ヴィオラにはようやくコクーンが届いたのでプレイヤーデビューをしたことと軽く事情を説明し、システムメニューについて説明を受け、ダンジョンを出ることなく九時頃にはログアウト。
黎明社との約束は十時に取り付けることが出来たので、洋士が用意していたスリーピースに着替えて訪問。
結論だけ言うと、穏便にことを済ませられた。まず第一に本格的な仕事に関する話題は配信されておらず、影響がなかったこと。第二に、篠原さんが自分の顔と名前が配信されてしまったことを快く許してくれたこと。多分スリーピースによる効果もあったと思う。僕が洋服を着ていることと髪が短くなっていることに篠原さんが異様なまでの興奮を見せていたから。用意してくれていた洋士に感謝である。
そしてそのあとは通常の仕事の話に移り変わり、今迄出来なかったサイン会をGoW内で実施しないかと言う話になった。ゲームをプレイしている側のキャラメイクを現実ベースにしてしまったので身バレのリスクがあるけれど、是非検討はしてみて欲しいと言われた。まあ、現実で家から出ることは滅多にないので、顔が割れて困るのは本当にGoW内だけではある。そもそも現時点でも配信者として顔が割れてしまっているし、影響らしい影響はないのだろうか?
なんて安易な考えをしていたけれど、篠原さん曰く「配信で有名になっていれば投げ銭で稼げる。それにプラスして作家だと知られると印税で裕福なイメージを持たれ、下心ありきで近付くプレイヤーも出てくる」らしい。そう言ったことも踏まえた上で検討して欲しい、と言われた。そこまで考えが及ばなかった、相変わらずしっかりしていらっしゃる。
さすがにその場での明言は出来ず、この話は持ち帰ってきた。ちなみに篠原さんの後任編集者さんも出社だったらしいので、対面で挨拶が出来ました。佐藤さんと言うみたい。今後はよろしくお願いいたします。
謝罪という大きなイベントもつつがなく終了した今……どうしようかな。今日も洋士が送ってくれると言っていたけれど、雨の日だし久々に自分の足で外を歩きたかったので辞退をしていた。ヴィオラには予め、今日は遅く迄ログイン出来ない可能性が高いと伝えていたので慌ててGoWをプレイする為に帰宅する必要もない。天気予報は一日中雨らしいし、これはもしかして……買い物日和なのでは!?
と言うわけで早速東京散策。出来れば呉服屋で着物を何点か誂えたいけれど、どこに呉服屋があるのかが分からない。洋士に連絡しようにも携帯なんて持ってないからなあ。昔は公衆電話なんてものがあったのに、いつの間にか消えているし、僕にとっては不便な世の中だ。仕方がない、ぐるっと適当に歩いて帰る程度に留めよう。
なんて考えながらぶらぶらと歩いていると、大きな本屋の看板が視界に飛び込んできた。そうだ、本屋へ行こう。
「凄いなあ、大きいなあ。こんなに大きな書店で買い物が出来るなんて、東京に住んでいる人は幸せだなあ……」
全十階全てが書店らしい。す、凄いよ、選び放題だよ! まずは何を買おうか。どうせなら最近のゲーム小説が良いかなあ。えーと、ライトノベルは……地下一階か。
意気揚々と地下一階へ降り、ゲームっぽいタイトルの小説を手に取り、あらすじを読んでから既刊全てをかごへと入れる。ライトノベルは表紙がカラフルで、見ているだけで気分が上がるから良いよね。
さてさて、他にはどんな小説があるかなー、と。タイトルを一つずつ読む為に本棚をじっくりと眺める僕。そして……そんな僕を見つめる視線。先程から凄く気になるのだけれど。僕、どこか変だったりするのだろうか? 確かに出がけにGoWをプレイしていたこともあって、結構な量の血液は飲んでいるけれど……出掛ける前に洋士に太鼓判を押して貰った筈なんだけどな。
「あの、何か……?」意を決して視線の方を向き、声をかける。あれ……? とても見たことがある顔なんですが。
「「……」」
沈黙。いやいや、じっと見つめてきた位なのだからそっちから話し始めてくれても良いんですよ、ヴィオラさん?
「ええと……元気?」いや、この質問はおかしいな。少なくとも朝会ったばかりだ。どれだけ会話下手なんだ、僕。
「え、ええ……元気よ」やっぱりヴィオラさんも若干引き気味じゃないですか。辛い。
うん……鈍い僕でも血液を大量摂取した今なら分かる。ヴィオラは確実に人間じゃない。そしてヴィオラも当然僕が吸血鬼だと分かっている訳で……。
「「……」」
話が進みません、どうすれば良いでしょうか。
「あ、えーと……もう仕事相手の所へは行ってきたのだけれど……良い天気だから買い物でもしようと思って」
良い天気って何だろうね。「僕にとっては」、と言う言葉が丸々抜けたせいで感性がおかしい人になってしまった。
「そ、そうなのね? 確かに天気は悪いから貴方にとっては丁度良いかも……あ」
その「あ」はどう言う「あ」なのだろう。まさかこの期に及んで失言さえしなければエルフだとばれないとでも思っていたのだろうか……? もしかして僕、もの凄く鈍いと思われている?
「まあその通りだけれど、うん。ところで、僕達昔一度会ってるよね?」
僕は核心に踏み込むような質問をした。会ってしまったものは仕方がない、ヴィオラがどう言った理由で僕に近付いてきたのか、この際だからはっきりさせておこうと思ったのだ。ゲーム内よりは現実世界の方が、まだ幾分プライバシーは保たれる筈だと思って。
「え、あ、そうね。いつだったかは具体的に覚えていないけれど、あったことはあるわ」
どうもさっきからヴィオラの受け答えが不自然に感じる。何かに……、いや僕に脅えているのか。最初に見つめてきたのはヴィオラなのに、そのあとは決して目を合わそうとしない。
「あの……僕何か変? なんかやばい感じ滲み出てるとか……」
少し悩んだけれど、思い切って聞くしかない。腹を割って話したいのにそれ以前の状況なのだから仕方がない。正直、洋士ならともかく僕が脅えられるってかなり珍しい。何だろうなあ、やっぱり血液摂取の影響で近寄りがたくなってるのだろうか。人前デビューはまだ早かったのかな……。
「いえ、ちょっと想像以上に威圧感が……」
イアツカン……ってなんだろう。まさか威圧感じゃないよね。僕と一番縁遠い言葉な筈。僕は田舎に引き籠もっているただの作家ですよ?
「い、いあつかんってあの威圧感じゃないよね? そんなまさか……参ったな。どうすれば抑えられるのか全然分からない。えっと……ちょっと話が出来ればと思ったのだけれど難しそうだし、僕はこれで失礼するよ」
僕はGoWを平穏にプレイする為に、ただでさえ怪しかった対人関係を失ってしまったのだろうか。いや、でも篠原さんは普通だったんだよね。多分ヴィオラが敏感ってことだと思う。ヴィオラを子猫か何かだと思って接すれば威圧感とやらは消えるのだろうか。
「待って、良いわ……話をしましょう。どこか喫茶店でも入りましょうか」
かごに入れた分の小説を購入する間、少しだけ待って貰った。予想通り、店員は変な反応見せることはなかった。これはいよいよヴィオラだけが僕に何かを感じている説が濃厚みたい。
入ったのは古き良き伝統的な喫茶店といったお店。路地裏、雨、平日の日中帯と三拍子揃ったお陰でひと気はほとんどない。店内はジャズが流れていて、多少の会話であれば店員さんに聞かれることもないだろう。
「……話って何かしら」
注文した商品が揃ったタイミングで警戒心も露わにヴィオラが言う。警戒しているのにこんなひと気のない喫茶店に嫌がりもせずついてくるとは変わっている。もしかして、ヴィオラはヴィオラで僕と話したいことがあったのだろうか。
「単刀直入に言う。ヴィオラ、君は僕の正体を知っていてGoW内で接触してきたよね? その理由が聞きたい」
「そう問うからには貴方も私の正体に気付いたと言うことよね? どうして気付いたのか聞いても良いかしら」
「知っての通り僕は眠らない……いや、眠れない。でも先日たまたま気絶してね、そのときに君と出会ったときのことを思い出した。元々GoWで君が接触してきたときに見たことがあった気はしてたからね。君の弓術の腕前含め、一気に繋がったって感じかな」
「先日たまたま気絶して」の辺りでヴィオラの眉がぴくりと動いたけれど、素知らぬふりをした。噓はつきたくないけれど、理由が理由だけに恥ずかしすぎて触れられたくないデリケートな話題なので。
「そう。分かったわ。答えるけれど、その前に先に言わせて欲しい。信じて貰えるかは分からないけれど、私は貴方を害する目的で近付いた訳じゃない」
僕はヴィオラの言葉に頷いて、先を促す。害するつもりではないのだろうというのは、洋士とも共通の認識なので、別に疑ってはいない。けれど、では何故近付いたのか、と言うところがただひたすらに気になっているのだ。
「貴方と出会って道を聞かれたあの日……、私は仲間に見捨てられた。貴方が近付いていると言う情報を入手した仲間たちは、私に知らせることもなく集落を捨てて居なくなっていたのよ。貴方に道を聞かれたとき、私は未だその事実を知らなかった。ただ貴方を見て、『私が誰なのか知らずに道を聞いてくるなんて随分鈍いんだな』と思った程度だった。でも貴方と別れて集落に戻ったあと、現実を目の当たりにして、正直貴方を恨んだわ。貴方さえ来なければ、私は仲間に見捨てられなかったのに、と」
自嘲するような笑みを浮かべながら、ヴィオラは淡々と語り始めた。その内容に僕は血の気が引く思いを感じた。僕が彼女の生活を打ち壊したという、その事実に。





