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82 聖女と

 


 イッチ達が私の足元でオラオラしている姿を目に留めつつも、結子という少女について考えた。


 もしかすると結子というこの少女はひどく純粋なのかもしれない。

 この世界がゲームだと思っているから、元気に声を上げるし、おとりにして、殺してしまおうと簡単に言葉にもだす。けれど彼女は今針のむしろの上にいるはずだ。主人公として当たり前のことをした。そのはずなのに、冷酷な聖女であると扱われ、市民を前にして初めて現実との齟齬に苦しんでいる。弱っている、といってもいい。


 ――今だ! エル! ボッコボコにしてやんよ!

 ――我らイッチ組の姿が見えぬ相手など敵ではなし!!

 ――ぺっちゃんこにしてやんよォ!!!


 いやどうせなら悪役で開き直ろうとは言ったけどそこまでなりきれとは言っていない。足元では光速でシュパシュパとシャドーボクシングを始めているイッチ達がいる。物理的にボコボコにはやめてください。


 頭の上では、シャンシャラと風でカンテラが揺れる音がする。一度、落ち着いて考えた。私はここに、話し合いに来たのだ。


「それで、ロータスがいるとできない話ってどんなこと?」


 まるで主導権はこっちにあるような言い草だけど、実際は結子が私の尻尾を掴んでいるようなものである。聖女である彼女が、私の正体を魔族だと知っているのだから。でも意外なことに、結子はしゅんとうなだれた。ロータスを前にして、随分元気のいい子だと思っていたけど、あれはゲームのヒロイン、結子という仮面を被っていたのかもしれない。


 実のところ、こうしてイッチ達を伴い、やったるで! と出陣したはいいものの、私はこの結子という少女にそれほど大きな危機感は抱いていない。あくまでも“話し合い”をするのだ。これが、この世界の人たちだったなら話は別だけれど、彼女は日本からやってきた。いきなりナイフを持って、オラオラ脅してくる可能性の方が低い――なんていうのは、過去の記憶を思い出して復讐の炎をすっかり小さくさせてしまった私だから思うことなのかもしれないけれど。


 でももちろん用心しておくにこしたことはないから、油断はしない。ある程度の距離を開けて、じっと互いに見つめ合った。


「その前に確認させてよ。あなた、本当にエルドラド?」

「……そうだよ」

「どうやって姿を変えてるの? 私が知ってるエルドラドは、もっと大人の姿なんだけど。どっちがホントなの」

「言いたくないし、言う必要を感じない」


 否定をしたところで仕方がない。でも、必要のない箇所はもちろん言わない。幻術スキルで姿を変えることができるという事実は私の奥の手だ。聞かれてホイホイ答えるものなんかじゃない。


「あなた、魔族なのよね?」

「そうだね」

「そのことは、ロータスは知ってるの」

「もちろん」


 結子は頭を抱えた。ロータスに聞かれたくないこととはこれだ。明らかに、私はロータスと一緒に行動している。まさか結子はロータスも半分魔族になってしまったなんて思いもしないだろうけど、ワンチャン、ロータスが私を魔族と知らない、その可能性に賭けたんだろう。


「別に私が魔族だって、他の人に言ってもいいよ。そしたらここから逃げるだけだから――もちろん、ロータスと一緒に」


 私の中のイメージで、にゅにゅっとお尻から矢印の尻尾が生えていく。片手には大きなフォークで、耳には真っ黒くて長い触覚。そう、悪魔である。やるからには、とことんである。結子は、ロータスが消えることを恐れている。もし彼女が私を魔族だと周囲に吹聴したら、私は間違いなく逃げる。そして、ロータスもいなくなる。


 だから結子は誰にも言わずに、一人で来るだろう、と思ったらやっぱりだった。「く、んノォ、悪魔ァ……!!」「魔族でございッ!!」 ドンと足を踏み出し、うははと腰に手を当てた。大人版のエルじゃないことが口惜しい。


 私の心はすっかり悪に染まっているが、多分はたから見たらちんちくりんがイエイイエイ足を踏み出して、なぜだか目の前で女の子が地面を拳で叩いている謎の状況であるだろう。イッチ達は完全勝利を確信し、結子の回りをウェイウェイしていた。彼らはウェイ系スライムであった。それはさておき。


 さて結子の口から私が魔族であるということを告げる可能性を摘んだものの、別にこんなことを目標としているわけではない。本当は、魔族だとバラされてしまってもいいのだ。そしたら私は別の街に行くだけだから。

 そうじゃない。私も彼女に聞きたいことがあるし、告げなければならないことがある。


 ――おかしい、と思ってくれるだろうか。


 私から言ったところで、何を言っているんだと思われてしまうかもしれない。それなら、と彼女からの言葉を待った。だって、おかしい。この状況はおかしい。結子は多分気づいてくれる。暫くの間拳で地面を叩いていた彼女だけれど、はたと顔を上げた。


 幼い顔つきだ。

 本当に、彼女は結子という名前なのだろうか、とふと思った。彼女はどう考えてもゲームの結子とは違うし、持っている知識をゲームに沿うように最大限使おうとしている。けれど実際は、結子という型にはめられているのは、彼女の側なのかもしれない。


「なんで……?」


 この結子の台詞は、私に対してではない。自分自身、掴んだ違和感をに困惑している様子だった。結子は自分の口元を押さえて、まさかといった様子で、じわりと滲み出るように少しずつ、言葉を落としていく。


「エルドラド、ううん、エルって言った方がいいのか、よくわかんないけど」


 次に来る言葉は、なんとなくわかっていた。


「……あなた、なんで私が、あなたのことを知ってるって、驚かないの」


 まるで、聖女である結子が、エルドラドを知っていることが“当たり前”かのように。

 ゲームでは結子の存在を知ったエルドラドが、城に嫌がらせのためやってくる。お得意の幻術を使って、ヒロインである結子をボコボコにする負けイベント。そのイベントは、始まってすらいない。だって私は、クラウディ国にいないから。


「……知ってるから」


 それ以上、言いようのないことだ。ロータスが、クラウディ国のキーマンになる、結子の護衛騎士であること。エルドラドが結子を目の敵にして、行く先々で邪魔をすること。私が、五つ葉の国の物語の“悪役”であること。



 私は結子と見つめ合った。結子は、まじまじと私の姿を確認した。頭のてっぺんから、それこそつま先まで。「まさか、あなた」 震えたように指を伸ばす。私と、同じなの、と呟くような声が聞こえた。


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