79 団子大作戦
メガホンを抱えて、思いっきり息を吸い込んだ。
『門を開けて!!!』
遠慮なく叫んでしまったものだから、結子と同じくハウリングしてしまっている。きいん、と響いた音に何人か耳を塞いだ。でもすぐに互いに目を見合わせて様子を窺っている。当たり前だ。いきなり子供の私一人が叫んだところで、誰が動いてくれるわけはない。その中で、一番早く反応したのはヴェダーだった。彼女の言う通りに――聞き耳スキルをオンにしたままでも、ざわめきの中だからわけがわからなくなってきた。でも、たしかに彼の口元はそう言っていた。
「はいッ!!!」
返事とともに門番の若い男の人が飛び降りた。結子に止められなければすぐに駆け下りようとしていた彼だ。もしかしたら、ヴェダーの言葉よりも早かったかもしれない。重たい閂は一人じゃすぐには動かない。土サソリはどんどん近づいている。耐えかねたように、周囲の人たちも飛び出した。一人で必死に動かしていたはずが、いつの間にか大勢が力を合わせていた。扉が開いた瞬間、雪崩が崩れるように馬車とともに男の人が飛び込んだ。その姿を見て、やっぱり、と泣き出してしまうかと思った。私はあの人を知っている。
『閉めて、すぐに!!!』
今度はさっきよりもずっと早い。互いに声をかけ合わせて、ぴったりと門を閉じた。ほっとしている暇はない。
『みんな、バケツを持って! バケツがない人は、塀の上に上がって! お願い!』
土サソリは聖女のレベルが上がっていれば、なんてことのない敵だ。祈りの力を使って、動きを鈍らせ、一匹一匹倒していく。その中に、結子がいうボスがいれば、あとは散り散りに消えていく。
でも結子は聖女としてのレベルを上げていない。聖女ポイントが、圧倒的に足りていない。
過去の私は乙女ゲームだけじゃなくて、ゲーム全般が好きだった。でもどちらかと言えばアクションやシューティングよりも、まったりゆっくりできるRPGやアドベンチャー、シミュレーションのほうが好きだったかもしれない。ようは、収集するのが好きだったのだ。乙女ゲームならぴったり全面に埋まったスチル一覧を見ることが楽しかったし、集めた道具やシナリオのパーセンテージが出てくるゲームは特に好きだ。五つ葉の国の物語にもそれはあった。戦った敵の一覧である。それを出すために、わざわざ土サソリと戦うルートを選んだこともあるくらいに。
エンカウントした敵の一覧は、選択するとさらに詳細なデータを見ることができる。出会った場所、戦った数、落とすアイテム。特技、そして――弱点。
覚えていたのは、別にただの偶然だ。不思議な性質を持つ敵なんだな、と思っただけ。バトルモードに移行することなくシナリオモードのみで終わらせるには、レイシャンでキーマンになるキャラクターの固有スキルが必要だ。その能力は土を操ること。土サソリは、普段は土の中に埋まって眠っている。つまり、大量の土を覆いかぶせることで、まったり眠らせてしまうのだ。でも今はそんな芸当は使えない。土サソリの体全体を均等に覆うように土を被せるだなんて、一匹だけならまだしも数百匹も相手にて無理に決まっている。なら、それなら。
『バケツの中に、泥を集めて! それを塀の上から思いっきり土サソリにぶつけて!!!』
土サソリの弱点は、泥だ。
普段はからりとした土の薄い表層で眠っているのに、湿気をおびてしまうといっぺんに息ができなくなる。土の中では尻尾の炎を消しているサソリは、少しでも水分をおびた泥が体に当たると、養分を吸い取るどころか、吸い取られ、消した炎を灯すことができなくなる。土の中が安心できる場所であるくせに、ちょっと環境が変わっただけで生きられなくなるなんて、と妙に印象に残っていた。
水が貴重なソレイユだ。滅多に雨は降らないし、わざわざ土サソリに貴重な水を使って泥を投げようと思う人間はいなかったのだろう。一体どうして? というように困惑の空気が広がっていく。でも破れかぶれだ。彼らにとっては都合のいいことに、塀の内側に大量の泥が山を作っている。
もちろん、これは私がヴェダーにお願いしたことの一つだ。土をいっぱい準備してほしいと伝えた。土サソリがやって来る前には、大雨が降る。基本的に雨は水球膜に含まれるから、街の中に入ることはないけれど水球膜付近なら別だ。吸い取ることができず流れ落ちた大量の水分が街の内側に流れ込む。だから街は湿気ていて、水が大好きなイッチ達は塔の中で競争を始めるくらい大はしゃぎだった。
ゲームの中で、雨が降っていたとき、街の中央だとグラフィックはまったく変化はなかったけれど、塀の付近になるとざあざあという音と一緒に雨が降っているエフェクトが表示されていた。ゲームの処理落ちを防ぐために建物が多いメイン部分は省略しただけの可能性もあると思っていたけど、なんとか筋書き通りになってくれたと出来上がった泥を見たときはホッとした。
そしてバケツはヴェダーへ二つ目のお願いだ。メガホンで音の通りをよくするため、周囲を掃除する必要がある。そのために、たくさんの掃除道具が必要だったから、特にバケツを多めにしてほしいと告げた。
土サソリがやってきたとき、すぐに結子は撃退する方法があると声を上げた。驚かせたいから今は伝えない。みんなの前でしか言わない。無理に言わせるのなら、教えてあげないとそっぽを向く彼女にヴェダーは頭を抱えていた。
ゲームの知識がある結子が撃退する方法があるというのなら、きっと大丈夫なんだろう。結子と私、二つの指示で混乱をさせたくないし、泥を使った撃退は実際にゲームでしたわけじゃないから、確実なものかもわからない。ヴェダーに伝えるにはあまりにも曖昧だった。
でもやっぱり不安だったし、バケツを多めに準備してくれと言う程度なら、ちょっと掃除道具が増えるだけだから、いいんじゃないかなと思った。
泥をぶつけるってどうすりゃいいんだ、と叫ぶ声に、団子を作れと一人が言う。土サソリはとうとう城壁にへばりつくようにくっついた。細い足でカリカリと上っていく。怖い。悲鳴がさらに上がる。そうする間に、ヴェダーが静かに自身のいくつもある魔道具を握りしめているのが見えた。――彼にも、奥の手というものはある。
「こ、こうなりゃヤケだあ!」
一人が、がつんと思いっきりに、泥の団子を投げつけた。泥団子は見当違いのところにすっ飛んでいったけど、勢いあまって、バケツごと飛んでいって、くるくると宙を回って地面に叩きつけられた。そして中の泥がべしゃりと地面に四散する。瞬間、土サソリ達はその場から逃げた。
ひっくり返ったバケツを中心に、ぽっかりとその場から土サソリが消えた。その様子を、驚いたように口を大きく開けてみんなが見下ろしていた。それからは急速に状況は変化した。誰しもが大声を上げて、水球膜の中で涼しいはずなのに額に汗を浮かべ泥を土サソリに投げつける。
始めはしっちゃかめっちゃかだったはずなのに、次第に統率が取れていく。力のない子供なら泥の団子を作る。泥を集めて持っていくのは男の人だ。その泥を投げるのは狙いを定めるのが上手な人。場を統率するのは魔道の塔で教師役の人たちだった。わあわあと声を出して、撃退する。手も顔も泥だらけにして一匹、一匹、塀を登ってくる土サソリ達を叩き落とす。
なんだかすごい光景だった。都の住人が一つになって誰しもができることを捜している。イッチ達は周囲に散開して水球膜を駆け上がり状況を俯瞰した。
――あっちに登りきったやつがいるよ!
教えてくれる言葉を、メガホンを使って大声で伝えた。乗り越えたサソリも、一匹なら冷静に対処できる。
――エル、今あそこ、変だった……!
ニィの声だ。
たしかに、まるで土サソリ全体が震えたような不思議な感触があった。私じゃどの土サソリに反応したのかわからない。でも、ニィはしっかりとその目で見ていた。
「ろ、ロータス、今、ニィが!」
「おうよ!」
ロータスは駆けた。決して低くはない塀から勢いよく飛び降りる。引き抜いた剣は垂直に、一匹の土サソリの体を貫いた。びくりと土サソリはわずかに痙攣した。ただそれだけだ。カサカサと静かに両手を動かしそのまま動かなくなった。
静かに、土サソリ達はまるで赤い波が引いていくかのように消えていく。
ぽつりとロータスだけが立っていた。
どこかで、小さな声が聞こえた。何を言っているかもわからないような、小さな声だ。それが次第に重なり、大勢が拳を振り上げた。歓声だった。よかった、よかった、本当によかった。たくさんの声が聞こえる。泥だらけで、みんな同じように顔だってぐしゃぐしゃだったけれど、最後には笑い声に変わっていた。
「なんとか、なった……」
叫びすぎた喉がひどく痛い。メガホンをずっと握っていた手だってじんじんする。呆然として、気持ちばかりがどこかに行ってしまったみたいだった。「おまえ!」 知らない人にいきなり呼ばれたから、びっくりした。と、思ったら、ばしんと背中を叩いた。「なんだよ、お前、よくやったよ、おま、おまえぇ」 知らないその男の人は、興奮のあまりに言葉になっていない。次に別の人からも声をかけられた。でもみんなおんなじ様子で、言葉を返そうにも、何を言えばいいのかわからない。
へらっとしたら、今度は足の感覚がなくなった。
「ギャッ!?」
持ち上げられて、わっしょいと胴上げである。「やめ、や、やめ、ンギャ、ギャ、ギャーーーー!!!?」「こんのぉ、ガキのくせにーーー!!」 言葉の割には誰しもが笑っていて、わっしょいわっしょいと大変だ。
なんでまたこんなことにとぽんぽんと何度も宙に投げられて、助けてくれえと目の前をぐるぐるさせていると、いつの間にかロータスが戻ってきていたらしい。どうにかしてと手を伸ばしても、なぜだかロータスはニヤッと笑った。いや笑ってる場合じゃないから。
「ろ、ローーーターーースッ!!」
「おつかれさんだな」
「とてもすごく他人事ーーーー!!」
私が心の底から嫌がっているわけじゃないということがわかってなのだろう、それが悔しい。人から逃げて隠れるばかりだったのに、こんなにいきなり声をかけられてもくすぐったさを通り越して居心地の悪さがMAXだ。でも、やっぱり嬉しかった。開き直って両手を大の字にすると、さらに調子に乗った人たちがさらに私を天高く放り投げる。「ヒッギャーーーーー!!!!?」 笑い声が響いている。
そんな中だ。ただぽつりと、結子はその場に座り込んでいた。どうするべきかと困惑していたナバリさんですらも、途中からは泥団子作戦に参戦していた。結子がずっと一人で呆然と座り込んでいたことは知っていた。気になってはいたけれど、でも、そんな場合じゃなかったから、私は何も言えなかったし、今もどうすることもできない。
けれど、気づいた。彼女の瞳が、ぎらりと鋭く光っていた。ぱくりと静かに口が動いていた。ちょうど、ぽんと高く投げられたときだったから、結子の声は聞こえなかったけれど。
***
拳を握った。
自分以外の誰しもが興奮の渦にあって、一人の少女を囲んでいる。その立場は自分のためのものであるはずだった。いや、ついさっきまでそうだったのだ。一転して、誰も自分の姿に目もくれない。ときおり視線を感じても、冷たい瞳でついと避けて消えていく。
ロータス。
隻眼、隻腕であるはずの男は、ひどく優しげに少女を見ていた。少女と目が合うと、にかりと笑った。あまりにも明るい顔だ。あんなの知らない。こんなの、おかしい。
金髪の見かけばかりは可愛らしい少女は、エルと呼ばれていた。口の端を噛み締めた。エル、エル、エル。何度も重たく唱えて、鉛のような息を吐き出す。聖女は、私だ。なのに。
――あんなキャラクター、ゲームにはいなかった。
「エル、あんた一体、何者なのよ……」




