42 ネックレスが揺れている
「が、ががが、学生じゃないなら言ってくださいよーーーー!!!?」
「何度も言ったんだがな」
壁の穴越しに体を乗り出し、門番さんはバシバシとロータスの肩を叩いていた。しかしロータスは眉間にしわを寄せたまま、微動だにしないで相変わらず機嫌が悪そうな顔である。でも別に怒ってはいなくて、多分どうしたもんかと考えている顔だろう。
私はわかるから別にいいけど、門番さんとの気まずい空気をごまかすべく、今だと飛び出したイッチたちがロータスの周りをへいへい踊って回っていた。もちろん、私とロータス以外には見えていない。でもなんだか場がホットになった。ような気がした。ヘイヘイ。
「まあ、こんなこともあるってことで!」
しょげた顔つきだったはずの門番さんは、一瞬にして回復した。別にイッチ達の踊りは関係なく、もともとそういう人なんだろう。「それじゃあよい観光を! ぜひぜひカーセイの良さを知って伝えてまた来てくださいね!」とハンカチまで出している。陽キャラである。
なんとも言えない気分のまま、私とロータスは“壁”を通り抜けた。ふよん、と“膜”が揺れている。「おお」 システムとしては知っていた。でも、実際に体験すると、通り過ぎていった感覚が不思議で、自分の両手を見てみる。それから一瞬にして街の音が周囲に反響した。膜の中で響き合っていたのだろう。先程までの静寂とはうって変わって、頭の上でキンコンカンカン、金槌を振るって作業する音や怒声のような声まで飛び交い、とにかく熱気が溢れていた。
見上げると、大きな水の膜が街全体を覆っている。ドーム状になった膜には、さらに長い梯子が横にも縦にも伸びていて、様々な人たちが“壁”の管理を行っている。
街の外を歩いていたときにはとにかく止まらなかった汗も、今はひんやりしていて水の膜を通して快適な環境だ。これは四つの国の中で、唯一ソレイユのみが保有している“魔道具”の一つだ。ゲームでは、国ごとに気候が異なる他にも、細かな文化や背景も異なっていた。クラウディ国が日本人がイメージするヨーロッパ的な都市であるとしたら、レイシャンは和風ファンタジーで、ここ、ソレイユは、剣と魔法の世界である特色が強く出ている。
ただ、この世界全体は特殊な固有スキルを除き、普通の人は魔法を使うことができない。しかしそれをファンタジー的に補えるのが魔道具だ。過去、世界樹がまだまだ若芽であった頃、神の恩恵も強かった時代に残された道具を技術として引き継いでいる。新しい魔道具を作ったり、壊れてしまったものを再生させることはできなくても、より長くメンテナンスを行い使っていくことならできる。
そのためカーセイは学校を主軸として、技術の継承を推奨している。魔道具と相性が合う人をより求めるため、他国からの客も歓迎しているし、他の国の人たちも、自分たちの国に知識を持ち帰りたい。魔道具を扱う技術は喉から手が出るほどに欲しい技術だ。互いにwinwin、と言いたいところだけど、ソレイユのみが魔道具を残しているのはもちろん理由があるわけで、他の葉である国ではなぜだか使うことができない。そこをなんとかしよう、知識を盗もうと他国が頑張っているところを悠々と手のひらを広げて歓迎している余裕綽々の国なのである。――したたかというかなんというか。
このあたりはゲームの知識として知ってはいたけど、想像以上のカムヒアーに、正直ちょっとびびってしまった。追われて逃げる、そしてまた逃げる日々を繰り返していたので、逆の行動をされるとそわそわしてふわふわする。すでに両足は千鳥足となっている。
「あ、アアッ、ああ、アアッ……!!」
「エル、とりあえず落ち着いて右を歩くか左を歩くか選んでくれ」
「ロータス、私、歓迎される……こわい……!」
「気の毒すぎるな……」
おそらく魔族の宿命である。いやロータスも一応そうだけど。半分だけだし。もう半分は人だし。
街の入り口を陣取る露店もそのあたりを心得ているのか、らっしゃいらっしゃい歓迎がひどい。串焼きのお値段が異常なほどにお安いのは、好感度をあげてくる作戦だろうか。すでに両手に持ちながらもしゃもしゃ頬が膨らんでたまらない。「ロータス、わ、わた、わたし、しあわせだよお……!」「……よかったな。もうちょい食え」「オッス!!!!!」 ちょろいんですまない。
もちろんイッチたちにもそおれ、そおれ、肉じゃ肉じゃと広間の端で肉祭りを開催した。なんでも食べることができる彼らだけど、もちろんみんなでご飯を食べれば五倍くらいに美味しくなる。最高だ。
丸太に座りつつ、すっかり涼しい気候を肌で感じて、“天井”を見上げた。水の膜のドームだと思っていたら、よくよく見ると一定の距離ごとに、カンテラらしきものが垂れ下がっていた。あれが魔道具なのだろう。カンテラを通して、ただの水を魔法に変えているのだ。ただ細かな調節が必要なようで、職人らしき人たちが絶えず具合を確認している。
あれがなければ、この暑さだ。とっくにゆでダコになってしまうし、恐らくモンスター避けも兼ねているのだろう。
「……馬車で聞いたが、あの膜は犯罪者を通さねぇんだと」
「ふぁんざいふぁ?」
串についたお肉を口いっぱいに頬張っていたため、少々発音がおかしいことは見ないふりをして欲しい。ごっくん、と飲み込み、再度、「犯罪者?」と尋ねた。ああ、とロータスは赤い色である瞳を隠して、今は黒紫の瞳のままに頷いた。
「カーセイの都に設置されている“カンテラ”は、街を照らす灯りでもある。熱すぎる日差しを遮断する他に、悪意も通さねえ。人を殺すような犯罪を行えば、街に入ることもできなくなる。だから、誰も悪さをしない。俺たちが困ってる様子だからと言って、ほいほい馬車に乗せてくれたからな。警戒心がなさすぎると不審に感じた理由がわかった」
「はー……、なるほど」
確かにあのときの私達は怪しすぎた。逆の立場であるなら、一緒の馬車になんて乗りたくない。
「つっても、そりゃこの国の常識で、他の葉の国から来た俺らにゃ知らねえ話だ。知らねえもんを理由にしたところで意味がねえ。だから、わざわざ説明してくれたんだろうよ。悪さをすりゃ、この国じゃどこにも行けなくなるぞってな」
つまりはしっかり釘をさされたと言うことだ。でも、親切で助けてくれたのだから、結局感謝しなければならないことに変わりはないのだけど。今度あったら、またお礼を言わなくては。
「犯罪者か……うーん、ゲームじゃそこまで詳しい描写はなかったな……。あ、そういえば、侵入者を防ぐ役割もある、くらいの説明ならあったかも」
「そりゃこの世界まるまるを“おとめげーむ”だかで表しきるには無理があるだろ」
「……確かに」
この世界はゲームじゃない、なんて言葉は安っぽいけどその通りだ。だって、こうして食べるお肉は美味しいし、足元でぼよぼよ跳ねているイッチ達三人のリズミカルさを説明するのは難しい。さわさわ頬をなでる風の温度とか、隣に座って、ときどきこっちを見てちょっとだけ笑うロータスを見て感じた、ざわつくようなこの温かい気持ちだって、というところまで考えた辺りで、一人顔を熱くさせてそっぽを向いた。
「……ん?」
ところで、さっき気になる言葉があった。犯罪者は通さない。悪さをすりゃ、この国じゃどこにも行けなくなるぞ。なるほど、とても安心なシステムだ。でも私達はそもそも、「(魔族なんですけど……!?)」 大声を出すわけにはいかないので、ロータスを見ながら、ぱくぱくっと口を動かす。人間単位で考えれば、生きてるだけで敵である。「だよな」とロータスは頷いた。
「よかったな。俺たち犯罪者じゃねえぞ。人は殺したことはねえからいけると思っちゃいたが、最悪お前抱えて逃げりゃいいかなと」
「まあそうだねぇ、ロータスならいくらでも逃亡できるもんね、でもできれば事前に言ってほしかったかな!?」
「言ってたらそれこそ挙動不審になって怪しまれてただろ」
「その通りかなー!!?」
ロータスの判断は正しかった。街に入る前に、なんとかなるだろ、とロータスらしくもないセリフを言っていた理由がわかった。おかしいと思っていたのだ。どうやら適当にごまかしていたらしい、ということはさておき、この世界において、魔族は悪ではないのだろう。もちろん、そこに人々の感情は絡まない。逆に言うとあの銀髪の魔族の襲撃は、ドームの膜が防ぐことはないということだ。彼が一度でも人を殺していたら別だけど、クラウディ国ではなんとか悲劇を捻じ曲げることができた。
でも街を壊してはいたので、どの程度までの悪事を犯罪として判断するのかは不明だ。でもこれだけ巨大な魔道具だ。細かく指定して弾くようにするのはとても大変なことだろう。
まあ、とにかく街に入ることができてよかった、と考えたところで改めて、周囲を見回した。
クラウディ国とも、レイシャンともまったく違う街並みが広がっている。色んな場所から色んな人が来るから、雑多な雰囲気で露店が多い。街の中心にある、ドームを支えるくらいに大きな長い長い塔は、学び舎なのだろう。手狭になるたびに改築を繰り返していったためか、まるでとってつけたような不思議な印象がある。それでも倒れることなくいびつに立ち上っている様はいっそ見事だ。
「……で、見つかりそうか?」
「うーん、どうかな。わかんない、なんて言ってられないよね。この国に来た目的だもの」
食べ終わった串を、力強く頷きながら眼前に突き出した。休憩時間は終了だ。丸太から立ち上がって街を歩く。見上げた太陽が眩しくて思わず瞳をすがめてしまった。「うぐ」 日本にいたときの記憶ではなんども見たはずなのに、白すぎる肌のエルドラドの体では、太陽の光とあまり相性がよくないのかもしれない。膜の魔道具を通して快適な温度になっているはずなのに、気づいたら小さくなっていた。眩しすぎて、じりじり肌が照りつけられているような気がする。いやいや。「気合をいれるよ!」 拳を握った。
――まずは目的を果たさなければ。そのために、みんなでこの国やってきたのだから。
「すべてを見通す魔道具、“先見の鏡”。絶対見つけてみせますとも!」
ふんっと鼻から息を吹き出した。
言葉って重要だ。こうして口にするだけで、むくむくやる気が湧いてくる。とか考えている間に、ロータスはすたすた進んでいる。嘘じゃん。
「ハーーー、ちょっと待って、待って待って、あっこけッ……たと思ったけどバウンドした! 地面がとても柔らかかった!」
自分でも悲しいほどに忙しい女である。エル、確保しちゃうぞ、確保だぞう、跳ねさせちゃうぞと話すイッチ達の助けをかりつつ、ぼよぼよしている間に、私の声に気づいたロータスが慌てて戻ってきた。それから、今度は一緒に歩いた。ロータスの歩幅は、本当はもっと大きいのに、私に合わせてゆっくりと歩いてくれている。それがやっぱり嬉しくて、くすぐったくて、口元が勝手に緩んでいくる。
「手、手とか、握っちゃだめかなロータス……!?」
「別にかまわねえけど、お使い感が妙に強いな」
今の所は、はぐれないようにと手を握られているようにしか周囲には見えないだろうけど。手の大きさだって、背丈だって、まだまだ全然足りないけど。硬いロータスの手のひらをぎゅっと握って考えた。でももうちょっとしたら。――あと何年かしたら。
そのためには、きちんとこの物語を終わらせなければならない。
五つ葉の国の、物語を。
***
少年がいた。
雑多な街の中、数冊の本を抱えて、黒いローブの服の裾を引きずるように歩いている。十代の半ば程度で、ローブでもわかるほどに、細い体つきだ。少年は、青い瞳をぱちりと瞬かせて振り返った。
「……エル?」
聞き覚えがある声がした、と思ったのは気の所為だろうか。こんなところにいるわけがない。それはずっと以前に別れた幼馴染の名だ。
「おいソキウス、どうしたんだよ」
「今、待ってって言わなかった?」
「誰がだよ。しっかしこのローブ、ホントに重たくて暑くてかなわねえな。街の中だからいいけどさ。こんなに真っ黒だったら、外に出たら死んじまうよ」
「学生は外に出るなってことでしょ。技術の囲い込みという名の悪習だ」
「お前はそうやって、言っちゃだめなことをサクッと言うね……」
呆れた顔をする同胞にはあえて返事はしなかった。そんなことよりもと、再度本を抱え直して、塔へと進んだ。彼の真っ黒なローブの胸元には、外からは見えやしないが、月のような色合いの石が胸元で揺れていた。
彼女とは揃いで買った、なんとも子供らしい記憶から、捨てることもできないネックレスだ。




