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20 餌食こわぁい

 

 その日の夜のことである。私は走りに走った。察知スキルを頭の中でオンにして、周囲を探る。ロータスは追ってはこない。「トウヤァッ!」 気合をいれつつ、ぐるんと回る勢いで、子供に戻った。びこびこ頭の中で鳴るスキルに慌てて周囲を確認すると、足取りをふらつかせた男の人が酒瓶を片手にして、あれっと瞬きを繰り返して、「女が消えた!」と叫んでいる。しまった。


 闇夜にまぎれて、そそくさと私は隠れた。「え、いたよな? 絶対いたよな? 金髪だったぞ」「どこにもいねえよ、酔いすぎだろ」「いやいたって!」 揉め始めた声をききつつ、毛布と一緒に口元を押さえてむぐむぐする。


「いた。絶対いた。くっそう、探すぞ」

「馬鹿言ってるなよ。こんな時間に女が出歩くかよ。絡みたいなら別の場所に行きゃいいだろ」


 タイミングが悪かった、と思ったあとに、よかった、とも冷や汗ばかりが流れてくる。ストラさんが言っていた言葉を思い出したのだ。


『いい? エル。夜中には絶対外に出ちゃだめよ。女がふらふら出歩いてごらんなさい。声をかけてくれと言わんばかりよ。それでついて行ったら、何をされたって文句なんて言えないんだからね。中央部ならまだしも、こんな外れで騎士団のやつらが見回りなんてしているはずもないし』


 めちゃくちゃ危ないのよ、と眉をキリッと吊り上げながらこちらに人差し指をつきつけていたところを、イッチ達が、な~る~ほ~ど~! とふんふんしていた。スライム関係なくない。そしてストラさんはわずかにカールした綺麗な赤髪をかきあげて、「ちなみに私は美人だから絶対に外には出ないわ! 格好の餌食だからね!!」とドヤ顔していらした。


 餌食こわぁい。(イッチ)

 たいへぇん。(ニィ)

 おきをつけぇ。(サン)

「ほんと気をつけなきゃね~~!」(ストラさん)


 ストラさんにイッチ達の声がきこえるわけはないけれど、よくよくきくと互いに会話をしているようでなんとも不思議な光景だった。イッチ達とストラさんは、たまに奇跡のコラボレーションを起こし始める。そして女将さんの拳までがセットである。


 それはさておき、もしかするとあの酔っぱらいの人たちは、大人である私に声をかけようとしていたのかもしれない。こんなに怪しい格好に、選り好みをしないにもほどがあるとツッコミたくてたまらないけれど、人っ子一人いない夜中の路地だ。興味を持たれても仕方がない。そのとき瞳を見られでもしたら、全てが終わっていた。よかった。


 一瞬の隙をついて、目くらましに周囲に体をカモフラージュさせて、再度私ははらぺこ亭へと戻った。念入りに辺りを見回したけれど、ロータスはいない。まさか犯人が現場に帰ってくるとは思わんだろうとウヒヒと笑いながら部屋に戻ると、私は突撃された。エーーーールーーーーー!!! イッチ達の叫びである。


「ごめん、ほんとにごめん、ごめん……ご心配おかけしてごめん……」


 ばーか、あーほ、どーじ!!!


 とりあえずめちゃくちゃに怒られていた。もきゅもきゅ上に乗られてバウンドされて、「ほんとに、ごめん……」 みんなで一緒に抱きついた。そうしているうちに、ほっとすると、ぐずっと涙が出てきてしまった。


 うえっと泣いてしまった自分は、意外なことにも動揺していてあまりにも情けなかった。だからそのとき、気づかなかったのだけれど、私の手からはすっかりオレンジ色のネックレスはなくなっていた。首からかけていたらよかったのに、紐を片手で握って僅かな月明かりにかざしていたのだ。一体いつなくしてしまったのか。


 屋根の上も、店の前も、走った道も。どこを探しても見つからない。ただ通り抜ける風ばかりが冷たくて、そのままぺとりと座り込んだ。それから大きく息を吸い込んで、吐き出した。泣きたいわけじゃない。ただ、あんまりにも自分が情けなくて、たまらなかっただけだ。



 ***



「ロータス?」


 手元の紐をいじって、すこしばかり空に掲げていると、白髪の友人に、声を掛けられた。別に年をとっているわけでも、色が抜けてしまったわけでもなく、幼い頃から同じ髪色のまま、こちらを見ている。


「何をしているの?」

「ああ、うん」


 街の外壁にもたれながらも、再度ネックレスを掲げてみた。オレンジ色だ。きらきらしている、と言いたいところだが、灰色の空の下だ。ネックレスは揺れるばかりで、なんの反応もあるわけがない。


「月みたいな色だからな。曇った空の下でも、ちょっとくらい光るもんかなと」

「太陽も出てないんだからさ。無理じゃない」

「そりゃそうだな」


 それでも見つめたままでいると、「それ、女物じゃない?」 訝しげな声である。「そうだな」 短く返答をした。いやそういう返事じゃなくて、と言いたげに、友人は眉を寄せた。


 こいつは俺と違って、よく人が良さそうな顔をしていると言われる。別にそれが羨ましいというわけでもなく、互いの性質なのだから仕方がない。俺は俺だし、こいつはこいつだ。見かけで何が決まるわけでもない。


「で、なんで持っているの?」


 ヨザキという男は、ずばりとこちらに尋ねた。お人好しそうな顔をしているのに、言いたいことははっきりと口にする男だった。人は本当に見かけによらない。そのことに腹が立ったわけでもなく、苛立ったということでもなく、俺はただ眉の間に皺を寄せた。困惑しているだけだ。


 なのに顔は勝手にこんな表情を作ってしまう。表情というものは大事だよ、と幼い頃に言われた言葉を思い出した。思い出す度に、考えて、口を緩ませようとするのにうまくいかない。今もそうだ。諦めた。しかしため息をついて、もう一度と眉間の皺を取ろうと努力した。下手くそだった。


「わかんねぇ」


 考えても、よくわからん。


「なんでこんなもん持ってんのか。俺だって、よくわからねえよ」


 なんだそりゃ、と聞こえた声に納得した。ぷらぷらと、ネックレスが揺れている。曇天の下だ。


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