――― 『砦』での状況報告 ―――
私の執務室に兄上の怒号が響き渡る。 ソファから立ち上がり、睨みつけながら私に詰問する兄上。 どの様な状況であったのかも、まだ説明できていない。 兄上が私の立場であれば、きっと同様の決断を下す事を私は確信していた。 だが、兄上の怒りも判る。 怒りは私の事や遊撃部隊の兵達を憂虞されたから故の感情の発露。 有難いと思う。
「ひゅ、ヒュドラだと?! 聴いていない」
「判明したのは、大兄様が御出立後。 予測はある程度しておりましたが、確定しておりませんでした。 あやふやな情報では混乱に拍車が掛かりますが故の事ですのでご容赦下さい」
「貴様と言う男は…… 何故全てを自身に背負わせるッ!」
「事は急を要し、時間と共に状況が悪化するからに御座います。 幸いにして策は御座いました。 それも飛び切りのモノが。 依って、今回は独力にて討伐を検討し、十分な勝算を得た為、作戦を遂行した迄」
「……貴様はッ!!」
「武運を奉じ、五体満足にて還ってまいりましたよ、兄上」
サラリと兄上の怒りを躱す。 ご心配頂いた事はとても有難く思う。 愛されている のだとも思う。 しかし、騎士爵家の漢として、遊撃部隊と言う戦闘力を持つ集団の指揮官としては、討伐機会を逃し徒に被害が拡大する処を座してみる事など出来ないのだ。 強い意思が表情に浮かんでいたのだろう。 兄上は、ドサリと腰を落とされ、処置無しという風に頭を振られた後、静かに言葉を紡がれる。
「クッ…… た、確かにな。 心臓に悪い。 始末に負えん。 が…… 良くやった」
「御言葉、有難く。 討伐証明としての『魔石』はお送りいたしましたが……」
「見た。 良くもまぁあれ程の大きさの『魔晶石』を手に入れたモノだ。 驚嘆に値する。 『寄り親』様である上級女伯様に上納できるのは騎士爵家の誉れであろうな。 弟の輿入れに花を添えられると言うものだ。 ……アイツも喜ぶか、それとも共に討伐出来なかった事を悔しがるか…… どう思うか」
「悔しがられるでしょうね、そういう方です。 あぁ、それと朋が色々と指導してくれたおかげで、大量の素材を手に入れる事が出来ました。 順次母上に売却の手続きをお願いしたくあります」
「判った。 母上には私からも願おう」
「宜しくお願いします。 一部素材に関しては、この度の討伐に於いて『功績一番』の者である『朋』がもらい受けると云う約束が御座いまして……」
「上級伯家が御令息…… 御令嬢と云った方が良いか? あの方の思召しならば是非も無いな」
「有難く。 一応、『砦』では御令息と御呼びして、待遇は御令嬢待遇と成しておりますよ」
「何とも面妖な…… 『砦』ならば、外には判らぬか。 そちらの方も面倒を見ていて欲しい」
「承知いたしました。 稀代の魔術師ですので、ご協力いただいております」
「お前と二人して『魔道具』に傾倒しているのか。 まぁ…… それも良いか。 おかげで騎士爵家の戦闘力はかつて例を見ぬ程上昇しているのだからな。 しっかりと頼む」
「御意に。 ところで、上級伯領での御婚礼の御様子は如何でしたでしょうか?」
下手に朋が何を研究しているのかを言葉にすると、兄上にまた要らぬ心配をかけてしまう。 これ以上朋の話はせず、話題を変えた。 少々、気になっていた次兄様の御婚姻式の状況を知りたかったのだ。 武骨で巌の様な次兄様が、王都より多数の高貴な出席者が来られた婚姻式を無事乗り越えられたのか、心配だったのだ。
「あぁ、婚姻式について、話しておくか。 それは それは…… 素晴らしい御婚姻式であったよ。 王都より高位貴族家の方々もいらしてな……」
兄上が語る、次兄様の御婚姻式。 上級女伯家の御当主の御婚姻と言う事も有り、盛大に執り行われた。 上級女伯領の聖堂での御婚姻式には、王都の大聖堂より高位聖職者が呼ばれ言祝ぎを戴けたうえに、祝福を与えられたのだと聞かされた。
公式にも重要視される婚姻儀式と言う事で、今後も国家安寧の誓いを宣せられ、以て王国の藩屏たるを誓われた。 宴会も大きく華やかだったと。 次兄様が貴族籍を移し、後ろ盾になったのは軍務卿家である侯爵家。 そう、近衛参謀のアイツの実家だ。
よって、軍務卿と一緒にアイツも参列していたそうだ。 形ばかりでは有るが、侯爵家の養子となった次兄の義父上と義弟君となるのだ。 あちらもご夫妻での参列であったらしい。 上級女伯に関しては、既に父母は亡くなられて久しい。 親代わりと云うか、後見人として立たれたのが、なんと大公家の御当主とその奥方様。 これには出席者一同度肝を抜かれたと、そう兄上は仰っておいでだった。
まぁ、考えてみれば王太子妃に成られる公女様の『傍付』であり『影』であり『姉妹』であった上級女伯様だ。 公女様の御両親である大公閣下ご夫妻から見れば、『娘』と云っても間違いは無いだろう。 公女様に公私ともに近く、信頼を寄せられていた上級女伯様ならばと、立たれたのだろうと思う。 若しくは、公女様の願いかも知れないがな。 あの慈悲深い方ならば、自身が姉妹と呼んでも居た上級女伯様への配慮として願われても可笑しくはないな。
盛大な御婚姻式に、予想だにしない貴顕の登場と、話題に事欠かない素晴らしい御婚姻式となったようだ。 父上と母上、そして義姉上は、まだ上級女伯領に居られるらしい。 甥の二人も一緒に。 兄上だけが一足先に此方に帰ってこられたという事だ。
あちらの人々には、街の様子が気に成るのと、若い私では心許ないと…… そう理由を付けられたらしい。 お一人の方が、動きやすかったのもある。 内々に事を済ます事を考えれば最善と思われるが……
少々面白くないな。
ムッとむくれる私。 そんな私を面白そうに見つめる兄上。 理由としては本当に無難なところなのが、本当に腹が立つ。 しかし、未だ私は若輩者なのだ。 周辺の騎士爵家から見ても実戦指揮官として、私は相当に若い。 故に、侮られても居る事は承知している。 実情は違うのだが、生家に寄生徒食していると見られている事は間違いない所。 よって、兄上が語る『理由』にも、信憑性が生まれるのだ。 本当に面白くない。
私の気持ちを知ってか、嗤う兄上は言葉を紡ぐ。
「実情とかけ離れた噂は、お前にとっては好都合なのでは無いか? 事実を韜晦するには、侮られている方が良いのではないか? 貴族家の中にも勘の良い方も居られる。 『魔の森』での『特別討伐』の真実に気が付かれる方も居られよう。 しかし、その主たる英雄がお前だとは届かない。 届いたとしても、猜疑が勝るのだ。 どうか」
「……お気持ちは嬉しく思います。 宰相閣下とのお約束を考えれば目立つわけにはいきませんから」
「で、あろう。 兄も考えたのだ。 お前が如何に楽に動けるかをな。 知る者ぞ知る。 これが一番良き方策と思っているのだ」
「はい…… 私に課された『秘匿任務』は、それを望みますからね」
「厄介だが、遣り通さねば成らんな。 ……そして、今度はお前の嫁取りの話になる」
「どうして、そうなるのですか。 危険を伴う任務なのです。 妻を迎える事は考えておりません」
「しかし、国王陛下がお前に宣した任務は一代では達成不可能なのだろ? ならば、次代も考えねばならん」
「兄上様には、お二人の御子がおいでです。 一人が御当主、もう一人が任務を引き継ぐ。 これで良いでは御座いませんか」
「私の愛しい子に何という重き荷を背負わせるつもりなのだ。 許さんぞ、そんな事は!」
「兄上!!」
ある意味良い関係性だと思う。 前世の私にはこれ程親身になって色々と考えてくれる人など誰一人いなかった。 ぶつかって、怒って、怒鳴り合って、それでも敬愛を抱ける兄上とは、本当に兄弟で良かったと思う。 怒りつつも笑顔が頬に浮かび上がるのだ。
まぁ、兄上にしても本気で怒っている訳では無く、私の婚姻についても色々と考えておられるのだろうと思う。 思うが私自身が今のままでよいと思っている事が最大の障壁になると思うのだ。
所詮、私には女性の心の機微など察するような心は持っていない。 判らないのだ、本当に。 そんな私が妻を? 無いな。 相手の女性に失礼過ぎるのだ。
………… だから、私は一人で良いのだ。




