――― 赤毛の『ピシカス』 ―――
唸りながら、邑からの報告の在った場所に記録用紙をピンで刺す。 幾多の情報が寄せられている場所でも有った。 コイツか? 元凶は。 執務室に居た面々が、その情報に目を通す。 長兄様、次兄様、爺、曹長…… 皆が難しい表情を顔に乗せる。
爺が小さく呟く。
「……赤毛? ……赤毛の『ピシカス』だと? ……『中層の森』と『浅層の森』の境に出現したのか?」
爺の瞳に剣呑な光が灯る。 グッと引き絞られた口元。 何かを思い出したような、そんな表情。 なんだろう…… なにか、私の知らない情報を持っているのだろうか? そんな想いとは裏腹に、爺は長兄様に言葉を紡ぐ。
「これは、遊撃部隊案件でしょうな、御継嗣」
「確かに捨てはおけぬ事柄だ。 中層域の魔物が出現と成ると、この情報が真実かどうか調べねばならない。 そうだろ遊撃部隊指揮官」
「はい、間違いなく我らが任務です」
私は事の重大さに気持ちを引き締めつつ、そう応える。 威力偵察が必要。 報告の通りであれば、撃退 乃至は 討伐せねば成らない。 手に余る様ならば、すぐさま次兄様に援護を願い出るしかない。 進撃路を考えていると『爺』が深い声音の声を発する。 目には相変わらず剣呑な光を浮かべながら……
「御継嗣、願いが一つ御座います」
「ん? なんだ」
「守備部隊に儂のかつての同僚が居りましてな、アイツ等の情報もすり合わせたい。 今は若手の教導を仰せつかっておりまするが、一時的に遊撃部隊に出向扱いにしては貰えませぬか?」
「……爺がそう云うのは、何かしらの理由があるのだろうな」
「儂の考え違いならば良いのですが、そうでないならば大変なことに成りましょうからな。 主力指揮官殿、貴方にもお願いが」
「なんだろうか、爺」
「待機する主力には、古兵を多く配備して頂きたい。 出来れば儂と同年代の者を。 数が揃わねば、それに近い者達を優先的にお願いしたい」
「理由は有るのだろうな」
「アイツ等の裏をかけるのは、古兵の知恵と経験のみで御座いますからな。 それ以外の思惑はございませぬよ。 今は」
「そうか。 判った。 兄上、此方も爺の申し出を受けます。 今の主力部隊は、『ピシカス』戦の経験が御座いません。 古兵で その経験がある者を優先したいと思います」
「いいだろう。 護衛隊からも爺の言う古兵達を合力に出す。 有用に使え」
「承知」
こうして、意思は決定された。 『ピシカス』と思われる魔物に対しての備えをしつつ、遊撃部隊に出撃命令を出す。 気を引き締めつつ、威力偵察に成るであろうと思う。 中層域の魔物はそうそう浅層へは出てこない。 空間魔力量が中層と浅層では違い過ぎるのだ。 中層の魔物は浅層では生活に不便を感じる筈。 わざわざ不便な場所に来るはずも無い。
今回も、空振りに終わるだろうなと…… そう、思った。
それが、悲劇の始まりと知らずに。
――――― § ―――――
遊撃部隊は出撃する。 報告を送って来た邑は、騎士爵家支配領域の北西の端にある地域。 『森の端』の邑の中では、もっとも『魔の森』に近い場所であり、最も街から遠い場所でも有った。 開拓したのは、勇猛果敢な民草たち。
『魔の森』と共存するのだと云う理念を持った人々が集まり作った邑。
それ故に、魔の森への知識も知見も他の邑よりも 『濃密』で『深い』者達が多い。 行軍最大速度を持って行軍し早々に邑へ着く。 時間との勝負でも有った。 報告から間を置かぬ事こそ重要な案件だと思っている。 兄上達も同意してくれた。 今、支援の主力と輜重隊の準備の真っ最中だろう。
魔物を発見した狩人も、他の邑の狩人からも一目を置かれる存在だった。 そんな彼が見間違いや見当違いをするわけも無く、報告してきた『赤毛』の残置物を私達に見せながら、現場の様子を詳しく語ってくれた。
「あの場所は、浅層の森と、中層の森が交わる地域です。 魔力の濃さが入り混じっていて、時折中層の森の野獣がこちら側に降りてくるような場所でした。 強いのは強いのですが、罠と長弓、弩を併用すれば、狩れなくも無いのです。 狩場として利用している場所なのですよ。 中層の魔獣の肉や毛皮は良い値が付きますから、狩人としてはお世話に成っている場所でも有るので…… ですが、今回は様子がおかしかった。 いつもの狩場が緊張感に包まれていて、気配に殺気と怯えが見て取れました。 直観的に ” 何かいる ” と、そう感じましたので、俺達は気配を消して潜伏しました。 偶に中層の魔物が下りて来る事が有ったのですが、その時と比べても異様なほど警戒と緊張が狩場全体を席巻していたのです」
「なるほど。 それで、エイプル族『ピシカス』を目撃したと云う訳ですか」
「ええ、そうです。 ですが、あのサルの名は知りません。 知りませんが無模様の漆黒の毛皮と金色の目が特徴的な奴でした。 動きが早く群れで動き、弓で狙う事が難しいと判断しました。 また、俺が仕掛けた罠を簡単に見破り、次々と解除して行く様子を見て、距離を取っての潜伏状態だったことを神に感謝した位です。 アレは私には狩れません。 『罠』に仕掛けてある『獣肉』を手に入れると、周囲に視線を走らせ威嚇するように歯を剥き出し、遠吠えを咆哮してから中層の森へと帰って行きました。 魂から恐ろしいと感じましたが、一応何か残置物を持って帰らねばこんな話…… 信じちゃくれんので、恐怖を押し殺して周辺を探索して、コレを見つけたのです」
「コレですか。 ……確かに赤毛ですね。 同種の魔物の色変わりの個体が居ると?」
「毛質は同じです。 こちらが漆黒の方の毛です。 樹に引っ掛かっていたモノを持ってきました。 見比べて下さい」
成程、同種の体毛だと思える。 念のために『鑑定眼』が使える兵に確認を命じる。 結果は同種族の魔物。 エイプル族『ピシカス種』とは判明したが、赤毛の方の個体がどんな魔物なのかまでは判定できなかった。 狩人からの事情聴取の間、爺はただ黙ってその赤毛の体毛を見詰めている。 爺の背後に、臨時編成で、長兄様が付けて下さった護衛部隊の熟練老兵の者達も、一言も言葉を発しないまま、その赤毛に見入っている。
なんだろうか、この爺達の違和感と緊張感…… 強い闘気が老兵たちの間に漂っているのだ。
「爺、どうしたのだ。 なにか、知っているのか」
「若様。 気を引き締めなされ。 喰い物が有る。 それを用意した者が居ると知れば、『ピシカス』は再度侵入してくるでしょう。 狩人の罠を解くだけの器用さと知恵を持つ魔物です、それにその赤毛…… 区分は中型魔物だと断じる事が出来ましょうな。 群れのボスかと勘案いたす」
「特異体である事は間違いないが、ボス…… 群れを率いるモノだと? 何故そう言い切れる?」
「赤毛のピシカス種 体格は成人男性と同じくらいかもう少し大きい筈。 並外れた膂力と分厚い筋肉に覆われた身体。 その上、常時『金剛体』の身体強化を纏うモノ…… 個体名”アウストラ”を持つ魔物…… あ奴は危険だ」
「知っているのか爺?」
「若様。 かなり昔に遭遇した事が有る。 装備も装具も今とは比べ物に成らぬ程 ” 貧弱 ” では有ったが、なんとか中層の森へ押し返した。 深手も負わせた。 目を一つ潰したからの。 しかし、その時の精鋭たる主力部隊は壊滅した。 立て直すのに、二年…… 」
「爺……」
「さて、皆の衆。 ” アウストラ ” が、塒から這い出して来よった。 追い返すか、討伐せねば成らん。 いける準備は済んだか?」
「「「 応、既に 」」」
深く重厚な『音』が部屋に響き渡る。 強い決意を秘めた声。 その声は普段の爺とは一線を画し、強い衝撃を心に受ける。 なんだ、なんなのだ、コレは……
「若様。 先頭は我等に。 それに、何時でも主力に繋ぎが付けられる様にご用意召されよ」
「お、応。 予備の『魔導通信線』は持参している。 彼の話から十分に届くと思うから、非常の際には次兄様の本体の救援を直ぐに請える。 先ずは索敵が肝要だと思うのだが?」
「狩場周辺を重点的に。 中層の森側には手出しは無用。 浅層の森側に警戒線を引き、徐々に前進する事を進言いたす」
「その案、採用する。 爺がそこまで警戒するのは珍しい事だ。 先達の具申は傾聴に値する。 行動を開始する」
「承知」
古強者達が精気を漲らせ、森へと続く小道へと乗り込む。 私は爺達のすぐ後ろ側に位置し、警戒に当たる。 左右の散兵線も決して突出する事が無いように、厳重に命令を下した。 後は静かに警戒線を上げるだけと成る。
――― 作戦は、此処に始まった。
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物語は、これから佳境に入ります。
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龍槍 椀 拝




