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心に芽生えた感情。困惑と温かみ。


 我が佳き人の言葉には感謝を捧げる。


 私の使命をよく理解し、それに伴う危険を出来る限り排除していきたいと云う気持ちはとても有難く思う。 私は以下の各指揮官たちに、彼女の考えを基にした作戦案を提示した。 彼女の言葉に射手達の皆も賛同し、さらに観測隊も同調してくれた。 他の隊も快く引き受けてくれる。



 部下の者達の心遣いには、頭が下がる思いもするのだ。 故に、彼等を危険に晒す訳には行かない。 よしんば、それが必要な事なれば、私の指揮下に於いて行動せねばならないのだ。 韜晦しているとはいえ、『探索行』とは、そういった意味でも、私の『使命』と云えるのだから。


 作戦は早期に纏められ、細かな規定を課した上、実施する事となった。 帯同する人員は射手長含め一個射手小隊。 観測長を含めた一個観測小隊。 輜重長を含めた輜重一個分隊。 工兵隊分隊、医療班の衛生兵三名。 少なくとも、私の目で各兵員の事は事前に調べ上げ、状況も勘案し、もしもの際に必要な最低限、私の護衛として必要と判断した人員を選出した。


 今の私の副官である、この拠点を護って来た、拠点指揮官も、その人選に賛同したが、それ以下の人員では、作戦の要綱に合致しないと強硬に具申してきた。 最初はもう少し小規模なものを考えていた。予備調査と云う面に於いて、大々的にするつもりは無かったのだ。 しかし、表向きの作戦理由から、この人員は必要最小限度とされてしまった。何より射手長の帯同は、絶対であるとそう決められた事に…… 心の痛みを覚えていた。


 ――― また、善き人を危険に晒すのか。


 私の権限と権能は、彼女の帯同は必須と冷静で冷徹な声で告げていた。 強く喪失の恐怖を感じてしまうのは、きっと彼女だからなのだろう。何も持たぬ老人の魂を持った、単なる騎士爵家の三男ならばこの恐怖は感じることは無かったのに。愛すると、思慕の情を得た私には、彼女の帯同は身を斬られるよりも辛い。自身の職責を思い、作戦の成功率と安全面を考えれば、当然なのだが、どうにも心が否定する。 行かせたくない。 それが偽らざる自身の気持ちの在り方だった。



 ―――



 作戦開始前夜。 作戦に組み入れられる人員は、他の職務を免除して十分な休息を取る事を命じる。 それ程に個人に対して負担の大きな作戦である事に、他ならなかった。 副官は、その処置の適用範囲に私も含まれると強弁し、無理矢理私室に私を押し込んだのだ。 仕方あるまい。 実戦指揮官が、寝不足で思考力が低下している様な無様を晒すようでは、この先が思い遣られるのだ。 年嵩の兵であり、熟達の曹長である副官は、その辺りの機微については、間違う筈も無し。


 夕餉は大食堂で、出撃予定の者達と共に取り、自室に向かった。 砦の中でも強固な岩盤を穿ちくり抜いた司令官の私室。 壁も床も天井までも、魔力遮断布が張り巡らされており、魔獣の牙の様な淡く薄い黄色の表面を晒していた。そこに揺らぐは、暖色の光球を浮かべる魔法灯火。


 窓が無い事を除けば、落ち着く設えとなっている。 寝台は清潔なシーツに覆われ、サイドテーブルには気分を落ち着かせ、良き睡眠導入の為か、ふわりとした酒精を持つ、赤ワインが柔らかな湯気を上げていた。 微かな香辛料の香すら、鼻孔に届く。 この様な嗜好品迄輜重隊はこの危険な拠点に持ち込んでいたのかと、驚きを隠せない。


 ベッドに座り、両手で顔を覆い自問する。


 本当に彼女を連れて行くのか。 帰るべき場所となる女性と一緒に危地に飛び込むのかと。 重く圧し掛かる様な不安が胸を締め就ていた。唇が僅かに歪むのを感じた。 弱く成ったモノだ…… 心が、目的の事以外に惑うのが、滑稽で在り、当然でも有る不思議な感覚を私に齎せていた。 我が佳き人。 精兵であり、探索隊一番の射手であり、熟達の観測兵でもある。 戦闘は勿論の事、作戦級の思考も十分に持ち合わせているのも知って居る。 彼女が現場に居れば、指揮官として十全の働きが出来る事も、私は理解している。


 だが、妻なのだ。 


 私が愛してやまぬ、妻なのだ。 自嘲が唇に乗る。 所詮その程度の男なのだと…… 愛する者、護らねば成らぬ者すら利用せねば、我が本懐を達成できぬ、弱き漢なのだと…… 深く、思考の深淵に沈み込んでいた私の隣に、甘やかで優しい魔力を感じた。 【隠遁】と【隠形】を纏った我が佳き人。 私の思考を乱さぬ様に、そっと静かに…… 考えていた事は、正に君の事なのにな……



「……怖いのだよ、君を失う事が」


「指揮官殿…… 御側に居ります。 いついつまでも、何処までも」


「君の真心は確かに受け取っている。 だが、一つだけ心に残る事が有るのだ。 ……私はまだ、僕は君の『名』は知らない。 神様に授けられた、君の名を僕は知らない」


「わ、私の『神名』ですか?」


「私達は婚姻式など、行わなかったが…… 普通ならば、婚姻式の時に神の御前にて、名を交換し、魂結(たまむす)ぶと…… 名を交わし、深く結び付けるのだとか」


「私は、そんな儀式知りません。 お父ちゃんも、私の事を『オイ』とか、『お前』とかとしか……」


「それでも、神名はあるのだろう?」


「…………うっすらと ……なら お母ちゃんが、私が未だ赤子の時に、抱きしめながらそっと耳元で……」


「そうか。 憶えているのか?」


「……はっきりとは、言えませんが、朧げには。 でも…… もう、忘れてしまったとしか……」


「…………難儀なものだな。 私も神名は知らない。 爺が怒っていたな、父上や母上に。 墓碑に刻むその時まで、教会は開示して呉れぬと、そう爺は言っていた」


「そ、そうなのですか?! てっきり、私は…… 私に合わせて下さったのかと。 私は『森の端』の邑の民でしたから、教会にも記録は有りません。 辺境の果て、魔の森の端。 その邑からも外れた場所に暮らしていた狩人が教会に行く事など無いのです。 お母ちゃんが告げた『名』にしても、神名で有ったとは云えないのです」


「そうか…… 我等二人とも、自身の神名は判らないと云う事か。 なんとも、不思議な巡り合わせだな」


「神名は知らず…… しかし、魂は常に共に。 神に誓ったいついつまでも何処までもの誓約は、私達を強く結びつけて下さるのですから」


「そうだな。 うん、そうだ。 確かにそうだ。 君が妻で良かった。 『貴族の常識』とやらの範疇外で、私達は有るのだから」


「その御言葉は、貴方の記憶からでしょうか? 古く、生まれる前の記憶……」


「私の魂はこの世ならざる場所より投げ捨てられた。 当初は恐れおののいていた。 が、今は…… この世界の輪廻の一部に成る事を切望している。 君と何処までもいつまでも一緒に居られる様に」


「嬉しく思います。分かちがたい私達の魂ですもの」



 我が佳き人は、一般の常識には捕らわれない。教会の教義など、一顧だにしない。 常に自身の心の赴くまま、信ずるがモノを大切に、決して手放さない強さを持っているのだ。 私はその力強き心情に、眩しさすら感じる。 そして、その心情の向く先が私と云う事に心が温かくなるのだ。 弱い私は、彼女を籠の鳥として、黄金の鳥籠に押し込める術を持たない。 ただ、大空を翼を連ねて飛ぶしか、方法が無いのだ。 心の中で嘆息と共に呟いていた。


 “ すまない ”


 と。 彼女はそっと私を抱きしめてくれた。母鳥が雛を抱く様に。 何の打算も見返りも求める事無く、溢れる程の愛情を私に差し出してくれるのだ。報いたい。 ただ、ただ、その思いだけが募るのだ。 魔法灯火の焔は小さくなり、甘やかで深い陶酔感を覚える時を刻んで行ったのだ。




 あぁ、私は…… 私は、愛すると云う事を覚えたのだ。



 その事に、少々の困惑と深い安堵を覚えた事は、未だ彼女にも伝えていない。





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― 新着の感想 ―
そういや伯爵令嬢との婚約破棄の補填って有ったっけか? 放置されて帰った印象しか無くてなあ 国の都合でそうなったのに縁談とか保障とか 何も無かったようにしか感じて無い
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