祈りの季節 祈りの意味
――― 遠く、雷鳴が響き渡っていた。
寒さが厳しくなり雪が降る季節に引き起こされる、天空を揺るがす寒雷。 中層域との境目に有るこの拠点では、よりその雷鳴は鮮明に聞こえる。 天空を横に走る稲妻。 更に気温が下がり、本格的な冬の到来を予期させる、北部辺境域の風物詩とも云える自然現象。 この時期は…… 森の中の喰い物が少なくなり、魔物魔獣達が飢える季節でも有る。
一部の邑では、住民達が住居の戸を閉め、比較的安全な街の方に移動する。 北部王国軍が居留する領都もまた、その洗礼を受けつつ有る筈。 だが、住民が集まり、膨大な量の薪が用意され、人の営みが確実に根付きつつある今、もう、邑から退去する必要は無くなっているのか、辺鄙な邑であっても、戸締めして村から退去する人々は居なくなる。
残酷な現実との折り合いが付かない場所は、少なくなってきている。 人が自然の脅威に立ち向かえるところまできた。 喜ばしい事なのだが、私には大きな危惧があった。
森の中の魔物魔獣達の食糧が冬枯れの中、もし、中層域からの脅威が浅層域に遣っていたならば、其処には弱肉強食の理を越えた、災厄が引き起こされる。 息を殺し、春を待つ魔物魔獣達が、捕食の恐怖から逃れるために、浅層域の森を南下する…… それも、大挙しての大移動の可能性が有るのだ。
冬場に於ける『魔嘯』は、容易に中規模の村を飲み込んで、誰も生き残る事は出来ない。 それが故に、冬場、『森の端』の邑の者達は、後ろ髪を引かれる想いを持ちつつも、自身の郷土から移動する。 比較的に安全と成った現状でも、この認識に変わりはない。 つまり、まだ、安寧とは程遠いのだ。
備蓄も安全も庇護も薄い、北部辺境の最果ての邑の生き方だったのだ。 それが、崩れている。 経済が回り、備蓄も出来、北部王国軍と云う安全を護る者達が存在するのだから、その行動は当然ともいえる。 だが…… と、私はそこにこそ、危険を感じてしまう。 『魔の森』中層域の事は、未だ不明な部分も多い。 多いからこそ、警戒を厳としなくてはならないのだ。
そして、この拠点がその最前線となるのだから、私の緊張は否が応でも高まって来るのだ。 『探索隊』を指揮し、中層域を踏破し、深域の真実を知る事、すなわち、この黒々とした『魔の森』の在り方を解明する為に必要な事。 王命でも有るのだ。 だが、その前に…… 我等が故郷の安寧に尽力せねばならない。 冬季の『魔の森』浅層域は、危険に満ち溢れている。 春季から秋季までの森の様相とは、全く別物となるからだ。 悪い足場はさらに悪く、降雪により視界は閉ざされ、音すら雪に吸い込まれて行く。
気配を感じるにも、分厚い冬季仕様の戎衣では、肌感覚による察知は難しく、肌の露出を避けねば容易に凍傷となりかねない。 つまり、動き回るには極めて不適切な時期なのだ。 しかし、森の監視は怠る事は出来ない。 範囲を浅層域の浅域に絞っての哨戒と成るのは、元筆頭騎士爵家の遊撃隊以外の者達。 特に東方管区、西方管区では、そもそも冬季の作戦にまともに対応出来る装備装具すら配備されていなかった。
今では、北部国軍として統一した装備装具が一新され配備されてはいるが、流石に全ての兵員が浅層域深部まで哨戒線を整える程、錬成されているわけでは無い。 これからの課題として、幾つかの戦訓や訓練要綱を見直している段階でも有る。 元筆頭騎士爵家の遊撃部隊は、その点に於いて一日の長がある。元より脅威に対し敏感に反応する我等だったのだ。 冬季とはいえ、哨戒線にかんして手を抜く事は良しとしなかったが為の作戦立案と行動の数々。積み重ねられた時間が我等の強みでも有るのだ。こうやって、『特任旅団』の面々が、容易く浅層域と中層域が交差する『拠点』まで到達できたのは、その下地が有ったからだ。
「さて、諸君。 直ぐには探索行には出られないのは、理解しているだろうか」
「勿論ですね。 冬季に中層領域に出向くなど、正気の沙汰では有りませんので」
「猟兵長がそう言うのならば、他の指揮官も同様の認識を持っていると見ても良いのだろうか?」
「輜重隊は、その様に。 輜重の運搬を鑑みれば当然と。 如何な隧道を使用するとしても、そこまでの間が問題です」
「医療隊も、その認識で間違いありません。 浅層域での作戦行動を実施する事すら、困難であると、そう具申します。 いえ、出来ぬとは言いませんが、損耗率が跳ね上がります」
「指揮官殿、一つ別の認識が有る事は、ご理解して頂きたく存じます。 射手班は、他の隊とは反対に積極的に索敵を実施します。 積雪に紛れ、自身を隠蔽する事が容易となり、それなりの装具をもってすれば、自身の居所を探られずに観察できます。猟師の冬場の猟とはそう云うものですから」
「観測隊は、射手隊と同様です。直接戦闘を避ける為の索敵を得意としておりますので、【隠遁】が効きやすくなるこの時期には、積極的に索敵を実施したく思います。 ただし、戦闘は無しです。主に哨戒線の維持と管理。 我等が任務と心得ます」
各隊の指揮官級の者達の進言。 成程、状況を良く判っている者達だ。 心強い事限りない。 冬季の『魔の森』での行動は慎重を期さねばならない。 よって、索敵を中心として、森の魔物魔獣の動向に注視していく事が肝要と云う事だ。 『鳴子残響器』も、無人にて動作している。 その索敵網は、中央管区が最も密で在り、東方、西方管区は疎である。 この冬は、『魔の森』中層域が近い、西方管区の設備の充足に時間を費やす事を第一義とした。
「よく現状を理解してくれていて嬉しく思う。血気盛んな者達ならば、この状況に於いても探索行を引き続き続行する事を進言するだろう。 だが、探索隊諸君の現状認識は私に一致する。 無謀と勇気を取り違える事無く、足元を確かめつつ前に進む有能なる者達である事が我が事のように誇らしく思う。 ……今冬季の行動指針は、『探索行』の準備期間と位置づけ、各人の個人能力の強化に努める様、鍛錬と哨戒任務に時間を取る。 さらに、自動索敵魔導の配備が遅れている西方管区の手助けをする事もまた自認している。 我等の任務であると勘案している。 どうだろうか、手伝ってくれるか?」
「「了解」」
「今一つ。 朋である、王宮魔導院民生局第三席より、新たな魔道具の設置を提案されている。 『鳴子残響器』と同様に設置を進めたく思う。 なに、大きく重いモノでは無い。魔力を多く使う類のモノでもない。 観測機器なのだ。 朋も『魔の森』の実態を掴む為に、広く知見を求めている。 その為の魔道具では有るが、それがどの様に今後の作戦に行かされるかはまだ未知数では有る。 しかし、あの異才の持ち主が『必要』と云うのだ。 手を貸してやって欲しい」
「「御意に」」
朋の新型魔道具。 それは、単純なモノでは有る。 我等が装備する『下着』を開発する時に見出した、古代魔導術式の一つに有った機構。周辺の魔力濃度を定量的に感知し、その濃度を測るものだった。 王国の魔法に関しての最高機関である王宮魔導院に於いても、この考え方は未だ萌芽すらない。 魔力濃度が高まる事は、一部迷宮や『魔の森』の深深度域に於いては理解されてはいるが、それを数値化するほどでは無いのだ。 ただ、濃いか薄いか…… その様な認識しか無い。
この点を朋は危惧した。 明確な数字として、濃淡を知るべきであるとの見解を持った。 私もその考えには賛同する。 未だ、観測段階でしか無いが、中層域からの強大な魔物魔獣の侵入に関しての条件が判るかも知れないと、そう考察した。
そして、それが確実に運用できるまでは、何事も推論を重ねねばならない事実に、心が重くなる。祈らずには居られない。 神を奉じ、その加護に縋るしかない。 幸運を引き寄せる事は、此処辺境に於いて、とても大切な事柄でも有るのだ。 よって、民を含め北部辺境域の者達は、大層信心深くなるのだ。
この世界に生きている人は、神を常に近くに感じる。
――― 倖薄き辺境では、当然の事だとも云える。
第三部 第ニ幕前編、の始まりをお知らせいたします。
この一年、本当に有難うございました。
沢山の読者の方々に支えられたこの物語。 物語は、佳境に入っていきます。
世界の理を得るために、突き進む三男の艱難辛苦。 そして、乗り越える幾多の危地を閲覧してもらえたら、これ程、嬉しい事は御座いません。
皆様が良き年を送り、新たな年を迎えられん事を祈りつつ、本年最後の投稿を致します。
楽しんで頂ければ幸いです。
来年もよろしくお願い申し上げます。
2025年 12月 31日
龍槍 椀 拝




