幕間 上級女伯家の女婿が心
王国中央と北部辺境域の間に聳える巨大な山脈。 中央平原に流れ出る大河の源泉にして、人が『魔の森』を完全に駆逐した山地でも有る。 王国中央から北部辺境域に至る最短の街道が敷設されているのは、王国民であればだれでも知って居る。 北部辺境側には、街道脇に続く城塞も建設されていた。
万が一、北域の他国からの侵略軍が王国国土を侵した場合に備え、北域の民の緊急避難場所にも制定されいた。 収容人数には限りは有るが、それが、王国が北域に見せた誠意の表れともいえる。穿った見方ではあるが、北域の有力な貴種貴顕が王国に反旗を翻した場合、王国主力の行動起点としての役割も有るのだと、北域に領地を持つ貴種貴顕の間では、実しやかに語り継がれても居る。
そんな北域城塞前の山地街道を一騎の騎士が駆け抜けていく。 整備が行き届いているとは言えない山地街道の石畳を、蹄鉄が叩きつける襲歩のリズム。砦の王国兵は何事かと、その騎兵の背を視線で追う。はためく外套には、上級女伯家の紋章が日の光に煌びやかに翻り、風の海の波の様にうねっていた。
やがて、騎士は中央と辺境域を分ける山地の峠に到達した。押し広げられた峠の宿場。多くの貴種貴顕が夏場の避暑地としても利用するその場所には、同様に多くの駅馬車の駅宿も存在する。中央からこの場所を繋ぐ路線の馬車は多い。貴種貴顕や商人の移動を支える重要な拠点でもあった。
が、それでも…… 冬が訪れる前には厩の馬も、その数は数えるほどとなる。寒さが厳しく、冬場には閉鎖される峠に於いて、今の季節は宿場町閉鎖の準備に追われても居た。
北域に向かう街道沿いに有る駅宿の数はさらに少なく、貴種貴顕が利用できる豪華な宿も無い。北域に向かう貴種貴顕にとってはこの場所はあくまで、出迎えの便を待つための物。故に設備は貧弱にして、北域に向かう者達の胸の内に心寂しいモノを感じさせることと成っていた。
そんな『寂れた』と評する事が出来る北域に向かう宿場にあの騎馬が駆け込んできた。周囲の目も気にせず、目的を果さんがためと一心に周囲に視線を投げる。彼が探すは、王国中央よりの馬車の一行。高貴なる者をお連れしている筈の馬車。掲げられる紋章は、北部辺境域に所領を封じられた上級女伯家の紋章。
峠の『宿場町』の取り纏め役宅に進み、未だ確認できないその紋章を掲げている筈の馬車の事を尋ねる。
「主人、上級女伯様が御一行は、此方には到着しておらぬのか?」
「はい。 現在こちらに見えられておられる伯爵家以上の家格の貴顕は、おられません。 秋も深まり、寒さが厳しくなって雪が降り積もる前に、皆様方は王都へと御帰還されます。また、北域への道を辿る方も、この季節には少のう御座いますから」
「そうか。 ありがとう。 我らが上級女伯家の御当主が、帰郷する道を辿っていると、そう先触れが有ったのだ」
「えっ? この季節にですか? それはまた…… しかし、馬車馬は大丈夫なのでしょうか?」
「と、云うと?」
「ご存じかと思いますが、王国側の緩やかに整備されている坂でも、相当に馬車馬の消耗は激しいのです。 それにこの季節では…… お出迎えの馬車のご用意は如何されておられます? 現状この宿には、余分な馬車、貴種貴顕の御搭乗を許容するようなモノはありません」
「先触れが急だったものでな。仕立てた出迎えの馬車は、まだ麓にも届いていない。 私が先行して、その旨をお知らせし、一時宿に滞在してもらわねばならんのだ」
「あぁ、そう云う事でしたか。 でしたら、わたくしの宿をお使いください。 幸いまだ、厨の火は落しておりません。最後の北域行きの行商人の者達が滞在しております。本日、出立と云う事なので、後の御予約ご利用の方は居られませんが故、ごゆるりとして頂けると存じます」
「そうか。 ならば…… コレを。 手付だ」
「これは、これは…… 承りました。 今季最後のお客様。 心を込めて、『御持て成し』致しましょうぞ」
急な出迎えは間に合ったと、騎士はホッと胸を撫で下ろす。冬の到来を予感させる、重く灰色の雲が山の頂に掛かっている。もうすぐこの場所には雪が降り積もり、中央と北域の主要街道は一般には閉ざされてしまう。その直前という、誠に微妙な時期でもあった。 そして、何が上級女伯をしてそこまで急がせたのか。
――― 理由は判らない。
寒さが足元から忍び寄る宿場の表通りに立つ騎士。愛馬は宿場『取り纏め役』の宿の厩に繋いだ。自身は宿のサロンにも入らず、底冷えする街路に立ち続けている。中央方面の麓から続く山地街道を見下ろしながら。小さく呟く、その騎士。
「さて…… 腹を決めねばな。 しかし、理由が判らない。 離縁の申し出ならば、手紙一本で済ませよう。なにせ、王太子妃殿下が側近なのだ、我が主は。忙しくも在ろう? 直接、言い渡される御積もりか? 義理堅い方なのは存じて居るが、其処迄…… とは、思えないのだがな。 まぁ、いずれにしろ、コレが最後のお勤めとなる。精一杯、お勤めして、恨み言など口にせず、兄上の元へ帰還するか。 父上と二人して…… 北部王国軍の初級練兵に参加しても、罰は当たるまい」
深く沈んだ瞳の色は、故郷への愛を浮かべたまま、沈み込んでいた。不器用な漢でもあった。自身の想いや、愛情の在りかを知ってはいても、それを貫き通す事を『良し』とはしない。 全ては故郷の安寧の為。 個よりも、故郷を優先する。貴種の家に次男として生まれた漢として、役割を全うするならば、離縁も又その役割の一つ。
土台、自分が上級女伯の女婿として役に立てたのか、それすらも疑問に思っていた。貴族の有り方など、北部の倖薄き土地では、余り重要視されていない。心の在り方は、民の安寧を一心に思う事。生家である騎士爵家が祖先から受け継いだ確固たる『矜持』の在りかだった。薫陶は常に。勤勉さと鍛錬は全てその為に。己を律し、他者に気を配り……
寒風に身を晒しながら、小さく嘆息する女婿。
「すべてが…… 予定調和と云う事か。 騎士爵家の次男に生れし私が、上級女伯家に婿入りするなどと、荒唐無稽にも程が有るのだからな。 政務も、財務も、良く判らん。そう云った難しい事は、兄上や弟の方が良いのだ。勤めてはいたが…… 居たのだが…… 父上、母上、私はどうしたら良いのでしょうか?」
眼下に広がる中央方面の広大で豊かな耕作地。 背後に広がる、痩せた北域の荒地。 峠に立つ己が力の無さに、無性に腹が立っていた。これだけの格差が厳然として横たわる事実に、胸が悪くなる。民を愛し、故郷を愛する者に付きつけられる厳しい現実。 故に…… 心の中の闇はさらに深く昏く降り積もっていく。
「大叔父上も…… この様な気分だったのだろうか?」
あっと四日~~!!




