幕間 上級女伯家の異変
上級女伯家の家宰は、慌ただしく王国王城より帰領してくる上級女伯の受け入れに奔走していた。
上級女伯家の家人の誰もが其の帰還に驚きを隠せなかったからだった。 大公家御息女、今は王太子妃の要請を受け『ブライドメイド』として領を後にされ、その後、王宮に於いて善き相談役として御側に居られた上級女伯様が、先触れもそこそこに御帰還されるのだ。 理由は分からない。
王太子妃殿下の御側を離れるのは、何か王宮に於いてあったのか。 上級女伯家の家宰にとっては、主人である女伯が王太子妃殿下の御側を離れられる事が信じられなかった。 王太子妃の勘気に触れ、お暇を言い渡されたのか。 それとも何か緊急の事案を命じられたのか。
上級女伯様の側付の者達は黙して何も言わない。家宰に報告されるべき、上級女伯様の動向すら、有る日を境にプツリと途絶えていた。
何が起こったのか、全くわからない。 それが故に対応に苦慮していた。 突然の帰還に上級女伯家の面々は訝しみ、怖れを心に抱いていた。
家内は恙なく廻っているとそう報告は上げていたのだが…… 家宰が心内には、重く黒い暗雲が広がっていった。 何かしら良からぬ事が進行しているのかと……
「政務官、何か在ったのだろう。 御帰還の先触れ、相当に帰領を急がれているように思う」
「そうですね。 上級女伯様の御移動にしては…… なりふり構わないと、そういう意図を感じます。 もし、御当主様が男性であれば、汗馬に騎乗し時を惜しんで急がれる…… と、そういう風に感じられます。 我が邸の馬車が出迎えに峠まで出向いては居りますが、それが間に合うかどうか……」
「政務官…… もし間に合わねば、どうなるか」
「あちらで用立てた、馬車が遮二無二…… でしょうか? こちらの御者では無い者が、手綱を握るのは少々危険があるやも……」
「対応は……」
「今は、如何ともしがたく…… 間に合う事を願うしか……」
鍛練を終えた女婿が、彼等の会話を小耳にはさむ。 北域の道を、中央の御者が操る馬車が進むのは、少々いただけない。 中央の整備された街道を征く様に作り上げられた馬車で、北域の街道を行くのは難しく、まして慣れた御者でない場合、事故の確率は大幅に上がる。眉間に深い皺が刻まれる。 『進退伺』を出した身では有るが、女婿としての立場もある。 馬車で向かうよりも騎乗で早駆けした方が、間違いなく間に合うとも思っていた。
「家宰殿、なんなら私が出向き、お迎えしようか? 私ならば上級女伯様を足止めも出来よう。その間に出迎えの馬車も到着出来よう。 貴人用の宿舎も幾つかは常備されていた筈。 後は山地街道用の御者だが、私ならば御者も務められる。 輜重隊を指揮できるように、その技能も収めている。 どうか」
「女、女婿さま…… もし、お願い出来ますれば……」
「女婿たる者の務めであろう? 願いでは無く、家宰として命じて貰えれば良いのだが?」
「い、いえ、その様な事…… 畏れ多い事なれば……」
「今更であろう? 家内の事は貴殿が差配する事となっているのだ。 その事に私には不服は無い」
優し気な視線に家宰はたじろぐ。 そうなのだ。 この御仁は何処までも上級女伯家の為を思われ、行動されるのだ。 上級女伯家が困難に直面する時、必ず手を差し伸べて下さるのだ。 そう、心の中で嘆息を漏らす。 そんな方が『進退伺』を出すような情勢。 何か…… 目に見えない線が、繋がったようにも感じた。
姫様の急な御帰還は、女婿様の事では無いかと。
なにか中央にて決せられ、その事により急な御帰還となったのではないかと。ならば、女婿様にお出迎えをお頼みしては…… 何かと…… 問題が出るのではないかと。 危惧と疑心暗鬼が家宰の胸を締め上げる。 この方を上級女伯家から逃がしてはならないと、そう心内で囁くモノが有る。それは上級女伯家の高級政務官達も同様に感じている。だが…… 彼の立場は既に、風前の灯火であり、風の前の芥が如き存在でも有る。
悪い事に、その事に付いては、女婿様ご自身が認識さえされている。自身が御実家から連れてこられた者達も既に全員帰還を命じられ、何時でも沙汰を受けられる様にと…… 御離縁の御準備まで完成されていたのだから。 それでも、彼は上級女伯家の為にならば、荒れ地に汗馬を走らせようとして下さる。
この優しき北辺の巨人に対し命じるなど出来よう筈も無く…… 家宰は深く首を垂れ、伏し願った。
「上級女伯様の御出迎え、何卒、良しなに」
「承った。 早速出立しよう。 我が愛馬は常に準備は出来ている。 家宰殿、安心召され」
そういうが早いか、上級女伯の女婿は厩から愛馬を引き出し、鞍を乗せ、跨り…… 駆け出して行った。 その姿は、正しく引き絞られた弓から放たれた、矢の如く……
丘を越え、荒野を突き進む、強き矢のように……。
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龍槍 椀 拝




