――― 心の変化 葛藤と不可知の心情 ―――
“ 中層域を何らかの理由で追われた魔物や魔獣が、浅層域で生きる為に手当たり次第に捕食行動に出る。 そいつらにとっての浅層域は生き辛い場所。 だが、何故? 何故、生き辛いのだ? ”
微睡に落ちる前に考えていた事だ。 『記憶』と『知識』と『体験』が、あの夢を見せたとなれば、『答え』を私は私の中で得た事になる。 この世界に生きとし生ける『生き物』は、その生息域の空間魔力量に依存しているという事だ。 濃い空間魔力の中で育まれた命は、その空間魔力の濃さが無くては生きてはいけない。 反対に薄い空間魔力の中で育まれた命は、空間魔力が濃いと生きてはいけない。
生命活動を司る、内臓がどれだけ魔力に依存しているのかを如実に示しているのだ。 考えてみれば、浅層の森に出没する、中層の森の生き物たちは、常に魔力に飢えている状態だ。
魔力枯渇症状は辛い。 とても辛い。
息をしても、眠っても、喰っても、体力は戻らないし、体内魔力も回復しない。 常に飢餓状態という状態異常を継続被害として受け続けているのだからな。 そして、いずれ体内魔力は完全枯渇する。 時間制限内に魔力を取り込まねば『死』が、咢を開き、昏い闇へと連れ去っていくのだ。 その恐怖たるや……
魔法を良く使うエスタリアンの狩人達が、帝国の奴隷商人達に易々と捕縛され続けたのも、それが理由だろう。 深い森から、人族の生活領域へ連れて来られれば、それだけで魔力枯渇症状が出ても可笑しくは無い。 常に飢餓状態という状態異常を継続被害として受け続けている為に、命の危機は直ぐそこまで来ていたのだろう。
しかし、あの者達は死にはしなかった。 何らかの方法で克服する術を持っていたと推察される。 が、それは危機を脱する為の緊急処置であったとも推察できよう。 ほぼ『死に体』であった彼女等。 しかし、その様な状態の者達でも尚、帝国が強硬手段を以て使役したのは、彼女達固有の技能と森の知識が有ったからだ。
もし…… 弱体化していても尚、彼女達が深層の森で使えた『魔法』が、浅層域でも使用可能ならば、きっとあの奴隷紋を介して帝国は彼女等の『魔法』の行使を強制した事だろう。 きっと、奴等は知らなかったのだ、彼女等『異形の者達』が、魔法を行使出来るという事実を。 もし、知って居たならば、王国への侵攻も、容易く実現できたであろうな。
そうか…… 逆に考えれば、中層の森を征くならば、空間魔力量の薄い場所を見極めれば、強大で対処不能なる魔物魔獣を避けられるな。 あぁ、そうなる。 理屈としては間違っていない。 ならば、試すしかない。 試験が出来る『都合の良い場所』も有るのだ。
ならば、必要そうなモノを作り上げておくか。 なに、簡易的なモノで良いのだ。 もし、魔物魔獣達が、正しい判断力を維持しているのならば、周囲よりも明らかに薄い空間魔力には近寄らない。 高濃度空間魔力の環境下に於いて、川筋などはその最たるモノ。 周辺にその状況が無ければ、その状況を作り出せばよいのだ。
その夜…… 私は、眠れぬ私は、今後の探索行に必要と思わる魔道具を一つ…… 作り上げた。
――――― §§§ ―――――
翌日、少々気恥ずかしさも有るが、皆の前に出る。 狭くないとは云え、浅層と中層の間に存在する拠点である『橋頭堡』。 女性兵士用の部屋から射手長が駆けつける位には、大声を出していたのだ。 気まずい……
「あぁ…… 昨晩は、五月蠅くして申し訳ない。 夢見が悪く…… すまんかった」
「寝ておりましたからなぁ~ 何が在ったのかは知りません。 なぁ、輜重長」
「そうですね、観測長。 疲れておりましたから、それはもうぐっすりと。 そちらは、猟兵長」
「あっ、あぁ、そう云う事。 ……私も、眠っておりましたよ、指揮官殿。 昨晩の絶叫は聴いておりませんし、『月の女神』は見ておりません…… よ?」
「そ、そうか。 わかった」
皆が、チラチラと私と射手長に視線を向ける。 射手長は何も無かったと云わんばかりに、私を見詰めている。 大失態を流してくれているのか…… 有難い。 では、そう云う事にしておくか。 早速、本日の作戦に関しての説明と事前確認に移る。 皆の表情が引き締まった。
「本日の探索は、帝国侵攻路を逆進。 猟兵長の意見具申を採用した。 探索は初回の探索行の倍の距離を征く事になるが、川筋と言う事も有り、昨日よりも空間魔力量は低いと考えられる。 周辺に出没する魔物魔獣は、小型種が多く中型大型の奴等の出没の期待値は低いだろう。 前回の探索と、少々考察を進めた結果の推論だ。 しかし、油断は禁物。 十分に索敵範囲を広げ、確実に進む事を期待する」
「「「 応 」」」
出撃に際し、指揮官先頭を維持。 帝国軍侵攻路は高い空間魔力のせいで成長を促進される植物により、埋められつつある。 下生えの草は既に腰の高さまで伸び、花を咲かせるものまである。 中には稀少な植物も散見され、森の豊かさが改めて実感させられた。 既に、凄惨な退却行の跡などは土に還り、痕跡を見出す事も難しくなっている。 コレは、我等にとっても『善き事』となった。 初回の探索行では、侵攻路を辿る上での困難は、体力的なモノよりも精神的なモノの方が大きかったのだ。
藪や叢で覆われてしまった道は、歩きやすい場所以外の感慨を我等には与えなかったと云ってよい。 さらに、側を流れる川。 せせらぎの音は、心を癒す。 空間魔力も流れる水流により低減し、周囲よりも明らかに薄い。 そう云えば、初回の探索行では、面体を使用していなかったな。 魔力過多による過負荷が掛かる様な状況でも無かったし、魔力過多症に陥る様な状況でもなかった。 “ 生身でギリギリ耐えられる空間魔力量だったのだな ” と、一人物思いに耽る。
行軍の速度は、平時での速度を維持する事が出来た。 予定した距離の踏破に必要だった時間は、予測していた時間の半分。 それ程までに捗ったのは、予測した通り中型種、大型種の魔物魔獣の影を見なかったからだ。 迂回進路を取る必要が無いのだ、予定を大幅に短縮した事も不思議ではない。 小型種は幾つか警戒網に引っ掛かったが、それもこちらの気配を察知すると、さっさと森の奥に消える。
川筋とは、彼等にとって危険な場所と言う認識が有るのだろうか。 それをものともせず征く我等に対し、本能的に危険を察知し逃走しているのだと類推する。 そうか、高密度魔力環境下で特殊環境と云える薄い魔力密度の川筋を渡る事が可能なのは、体内魔力を豊富に持つ獣だけという事か。 そんな彼等にしても、好き好んでは近寄らない。 この推論が『当たらずとも遠からず』を、立証できたのは、はからずも射手長の言葉からだった。
「魔物、魔獣の影が薄いです。 小型種の魔獣は散見されますが、それも我等の気配を察知すると逃散して行きます。 浅層の森の獣とは真逆の行動です。 元猟師としての知見ですが、川筋、池、湿地などと言う場所は、喉を潤す為に獣の影は濃いのですが、ここ中層の森ではそれが逆転しております。 コレは、異常です」
「そうだな、本来の生き物の生態からしては、異常な行動とも思える。 が、此処に空間魔力量と言う因子を加えれば、この状況を説明する事が出来そうだ。 射手長は高い山に登った事は?」
「有りません」
「そうか。 王都の北側にこの北辺の辺境と王都を隔てる山地が有る。 標高も高く、王都の水源地となる山々が連なる。 街道は出来るだけ標高の低い場所を狙って打通されている。 標高が高くなれば、空気が薄くなり馬の行動はおろか、人でさえも苦労する。 慣れれば良いのだが、街道を行く者達は体調不良を訴える者が多い。 それと同じだ。 特異な環境において、それに慣れる事が出来るのは、小型の生き物の方が早い。 大型の生き物は生息域の環境に身体が順応して、特異な場所での行動に大きな制約を受ける。 本来の動きが出来ないという事だな。 そして、その様な場所を忌避する傾向があるのだ。 魔法学院の授業でも有った内容なのだが、その論理を実際に目にするとは思わなかった」
「……王都の魔法学院とは、その様な事も教授されるのですか?」
「『一般理論と集約した観察結果』により導き出された『推論』と、そう教諭はいわれた。 人の英知とは、観察し、推論立てて検証し、そして、それを記録し後世に伝える。 この一連の流れだと思うのだ。 書籍とは、その英知の結晶でもある。 文字を理解し、読み、記憶するという行動は、人種の特筆すべき点だと認識している。 その点に於いて他の生物とは違うと云えるな」
「……な、なるほど?」
「まぁ、気にするな。 私とて魔法学院での授業を受けるまでは、その様な事を考えた事は無かった。 君が狩人としての能力を持つ優秀な人材なのは、考課表を見ずとも知って居る。 十全に魔の森の知見を持つ、稀少な人材なのだ。 今後も、何か気が付いた事が有れば、伝えて欲しい」
「有難く…… 了解いたしました」
そのような遣り取りを、観測長が意味ありげな笑みを頬に乗せ聴いていた。 なにか…… 生温かい視線と言うか、なんだろうか? 昨晩の事、皆 誤解しているのではと危惧を覚える。 なにもしていない。 自制できたのだ。 自身を誇りこそすれ謗りを受ける様な行いはしていないのだ。
だから、その様な目で……
――― 見ないでほしい。
射手長の面体が少々揺れたのが…… 気に掛かるのは…… 何故だ?




