――― 近傍の苦境と、王国の思惑 ―――
自室に戻るのは、この魔道具を着用する為。 色々と込み入った魔法術式だが、大本となれば単純な事。 私達が暮らすこの場所に於ける空間魔力量を体表面と魔道具の間に再現するだけの事。 つまり…… 此処で着用したとしても何ら問題は無い筈でもある。 起動は受動式。 特筆すべき事柄でもある。 よくまぁ、このような術式を編めたものだ。
外部の空間魔力量を感知して術式が発動するタイプの魔法術式なのだから、私が発動する必要もない。
自室に戻り、着用していた衣服をすべて脱ぎ、製法書に記載してある着方を見つつ、着用して行く。 少々気恥ずかしい様な格好となるな。 姿見に自分の姿が映り込む。 良く伸びる素材だから、身体に密着している。 伸びるのだから、身体が透けて見えるのだ。 その上、股間はほぼ丸出し。 まぁ、いざ探索となれば、何日も着続けに成るのだから、此処を閉ざしてしまえば、排泄は困難になるから仕方ないだろうな。
下着はどうしたものだろう…… 普段使っている下着を着用しても良いと有るが、それではせっかく調律した魔力量が歪むのではないか。 色々と考えた結果、普段使いの下着を『魔力遮断塗料』で染め上げる事にした。 この魔道具の上に下着や鎧下などを着込み、再度研究室に向かう。 私が改良した『魔力遮断塗料』はあの場所に保管してあるのだから仕方ない。
歩いてみても、違和感は無い。 何処までも体に追従している事が理解できた。 長時間の着用で、どこかに違和感が出るか、行軍に問題となるだろうが、今はその兆候はない。 研究室に帰り、持ってきた下着一式を桶に入れて、その中に改良型の『魔力遮断塗料』を注ぎ込む。 漆黒の塗料をある程度注ぎ込むと、手を桶の上に翳し、魔力を練る。 モノに塗料を定着させる、魔法術式を紡ぎ出して、術式を解放。 起動する。
錬金魔法の一種だが、便利な事は便利だ。 ただ、練り込んだ魔力の量や純度によって、出来栄えは変わる。 結果が一定しないのが難点だ。 染色職人が魔法を使わず技巧を用い染め上げると、見事な出来栄えとなるが、今は実証段階だし、自分が使う分には問題は無かろう。
『橋頭堡』で自身の装具を『魔力遮断塗料』で染め上げたのも、この錬金魔法を使ってだ。 よく使う魔法ならば、精度も上がるのだ。 まぁ、下着を染めるだけなのだがな。 漆黒の下履きが一セット仕上がるまで、そうは『時間』は掛からない。 外部の空間魔力を遮断するだけなのだからな。 上半身に纏うシャツは染めない。 要は、股間に開いている穴の在る部分の保護だけが目的なのだから。 染め上げた下履きを着用する。 全裸に成ることは無いので、研究室にて行う。
一応、誰も来ない事を確認してからの着替え。
着衣を改め、普段の生活に耐え得るかを確認する事にしたのだ。 病み上がりとはいえ、やはり鍛練は必要だ。 それに、兄上の補佐の仕事もあるのだ。 自由に動き回れる時間は少ない。 本邸に参じる時間も確保したい。 既に父上と母上は王都に向かって出立したと聞いた。 第一王子殿下の立太子の儀に参列する為だ。 かなり気合が入っているらしいのだ。 双子の甥を連れて行こうとして、兄上に怒られていたとか。 まぁ、気持ちは判る。 自慢の孫だしな。 しかし、幼子は王城に入城は出来ないのですよ、父上。
日々の業務に勤しんでいると、副官が遣って来た。
「指揮官殿、もう御加減は宜しいのですか?」
「あぁ、心配を掛けた。 大丈夫だとは思うが、護衛隊 衛生兵班長に最終確認をして貰わねばならないがな」
「承知いたしました。 では、遊撃部隊の指揮権をお返しいたします」
「ふむ…… 良いだろう。 指揮権の返還を認め、これより私が遊撃部隊の指揮を執る」
「はい。 有難うございました。 いやぁ…… 重圧に押しつぶされそうでしたよ」
「そうか? 十分すぎる程、よく遣ってくれていたと思うのだが?」
「各隊から突き上げられ、様々な部署やら周辺騎士爵家より苦情やら要請が入り、その上、輪番の組み合わせを熟すとなると、相当に重圧が掛かると言うもの。 指揮官はその上、騎士爵家の政まで担っておられる。 貴方はバケモノですか?」
「そうか? 慣れてしまえば、そうでもないぞ?」
「慣れる…… ですか。 さらにその上に森の探索をしておられるとなると、もう、私ではどうにも……」
「いやいや、森の探索は別命であるのだよ。 それ以外の部分に関しては、君に大いなる期待をしているのだ。 探索の距離が延びれば延びる程、日程も延びる。 そうなった際、君は私の代わりに指揮を執らねば成らなくなるのだからな。 今回の不測の事態においても、君の指揮は瞠目に値する。 実際、助かった。 おかげでゆっくりと休む事が出来たのだ。 感謝する」
「勿体なく…… ですが、もうコリゴリですよ。 お願いですから無茶はしないでください」
「出来る限りはな。 それで、何か用が有ったのだろう?」
「はい、実はお休みの間に要請と言うか、事前予告と言うか…… その様なモノが入ってまいりまして」
「ほう、何だろうか?」
副官が口にする事態に、ちょっとした驚きがあった。 近隣の騎士爵家からの要望が寄り親たる上級女伯様へと伝えられたと、そう報告があったそうだ。 なんだ、我が騎士爵家には相談無しなのか? その口調に困惑の色が見て取れた。 小さい不安が浮かび上がる。
「それで?」
「近隣の騎士爵家…… と言うか、北部辺境域の北辺の『魔の森』に支配地域を持つ複数の騎士爵家が上級女伯様に『連名』にて嘆願をされた様です」
「なんと?」
「彼等の支配範囲の魔の森を、我等が騎士爵家に割譲を打診された模様。 この所、我等が支配地域の浅層域から中型魔物があちら側に移動したとか。 現有戦力では対処が困難となりつつ有りと。 現状の収入ではこれ以上の軍事力の増強は不可能であり、国境を含む魔の森からの脅威から国土を護る事が困難となりつつあるとの事です」
「……頑張り過ぎたか。 その顔を見ると、それだけでは無かろう?」
苦渋に満ちた表情を浮かべる副官。 心を砕き、実直に故郷の安寧の為、努力した結果、それ以上の重荷を背負わされる事態となったのだ。 その心情を慮る事は出来るし、憤りもするだろう。 しかし、彼は見事に感情を抑えきり、事実を淡々と述べるのみ。
流石は辺境の漢たるを心得ている。 続く報告も又、我が騎士爵家にとって不遇と云える事柄だった。 先ず、中央の意識はどうなって居るのかと、膝を交えて交渉に当たりたくなる。 が、それも無理な事は百も承知している。 黙ったまま、副官の言葉を聴く。
「はい…… 上級女伯家から王宮へ打診された所、我が騎士爵家に割譲も視野に入れよ…… との事。 この事が現実となりますと、我等が警備すべき地域は現状の五倍以上となります」
「ふむぅ…… それは、広大な地域だな。 もしこの事が決定されてしまったら、遊撃部隊の行動も相当に制約され、現状の維持も苦しくなるな」
「隣領の基本戦術は、以前の騎士爵家と同等であり、指揮官殿の開発した魔道具も御座いません。 一部『魔鉱製』の刀剣類は、騎士爵夫人が差配の元、あちら側でも使用されつつありますが、まだ、全面的に使用されておりません」
「父上と兄上に相談すべき事柄だな。 幸いにして、我が家の主力部隊は、魔鉱製の武具を標準装備化している。 訓練基準も王国軍準拠を辺境の状況に合わせた物に変更している。 主力の投入と、各家の戦力を組み入れる事が出来れば、暫くは対応できるか…… ギリギリか」
「もう戦力見積もりですか…… 早速そこを見られますか。 打診とはいえ、決定したとそうお思いか?」
既に、王宮…… いや宰相府はその方向で動いているだろう。 弱小騎士爵家が集まった所で、現状維持しか出来ぬのは宰相府では認識している筈なのだ。 よって、より高度な戦闘、戦術、戦略を立案できる我等が騎士爵家に全てを担わせようとされるのは必至とも云える。
様々な重荷を括りつけて、私に鎖を付けようとされたのか。 いや、私の行動では無く、私が騎士爵家から離脱する事を意図されたのか。 多大な重圧を兄上に掛ければ、私がその補佐に入る事は目に見えているのだ。 よって、私…… では無く、騎士爵家に重荷を背負わせる御積りなのだと…… そう、理解出来た。 表には裏側の思惑など出せる訳も無く、副官に淡々と言葉を紡ぐ。
「原因が、我等が行動に有るのだ。 尻を拭かねばならないと思う。 財政的に困難に直面しているのだろ? 継続的な観察と不断の努力が無ければ、辺境は『魔の森に沈む』。 皺寄せが行くのは無辜の民だ。 彼等に被害が及べば、近隣騎士爵家の政は立ち行かなくなる。 さらに言い換えれば、相当の地域が『魔の森に沈む』事になる。 引き受けねば、我等が騎士爵家にも甚大な被害が齎されるのだよ。 そこを考えれば、受けざるを得ない。 ……準備しようか」
「貴方と言う方は、そう云う方でしたね。 判りました。 主力の者達とも諮ります。 御当主様とのお話合いは……」
「あぁ、私がする。 御継嗣である兄上は本邸に居られる筈だ。 次代様と御話すべき問題だと勘案する。 雲行きが怪しくなり、切羽詰まる前に対処するべきだからな」
「御意に」




