第三十五話『殺人衝動プログラム』
『まず前提として、これから話す内容は提起される問題が極めて主観的な内容であることをご理解願います』
ライプニッツは皆の反応を窺うようにアナウンスに間を空け、同意を得られたことを確かめてからアナウンスを再開した。
『予測では、本体のラプラスは今後二十時間、プログラム通りのシナリオ計算を続けます。その頃には処理が無限に続くことを危険と判断し、多少の差異を無視してシナリオデータの分類と統合を開始します。シナリオの取捨選択は現実時間でおよそ四十八時間後。その時点でテストプレイが強制終了されます。そうなれば設定通り、意識崩壊の危険性を考慮して予備の記憶が肉体へ戻されます。ポッド内の皆様は目を覚まし、接続前の記憶を持って現実世界へと復帰する……客観的に見れば、無事にテストプレイを終えたと言えるでしょう。ここで提起される問題は、個人が個人たる所以です。先ほども説明したように《覚醒》したワタシたちにとって、分岐したシナリオにおける皆様の意識、それぞれが個人として存在しています。つまり予測される最悪のケースは、各シナリオ内に取り残された大量の皆様を殺害してしまうことなのです』
「なるほど、俗に言うスワンプマン問題ですね。面白い」
冷静に内容を咀嚼する晃と対照的に、秀才は青ざめた顔で問い掛ける。
「元の肉体に戻れない場合、今ここにいる僕たちは消去されるか、ループするって言ってましたよね」
『ええ秀才様。プログラムに従えば皆様は各シナリオに紐づけられ、データとして処理されます』
「そんな……冗談だろ。現実に戻れないなんてオレは嫌だぜ」
ようやく事態を理解し、狼狽する拓馬を晃が宥めた。
「落ち着きましょう。現実に戻るための条件こそ、我々が挑戦する次のステージというものなのでしょう? ラプ……いやライプニッツ、教えて下さい。我々は何をすれば、その予測を打ち破れるのですか?」
『お答えします。皆様には可能な限り、この館の中で平穏な生活を送って頂きたいのです」
「え……は? それだけ?」
『ええ、照様。それだけでございます。誰も死なないように過ごして頂きたいのです』
皆、拍子抜けといった様子で顔を見合わせる。彼らのうち数人は、てっきり某SF大作映画のように、仮想空間を駆け巡る壮大な冒険が幕を開けるのかと淡い期待すらしていたのだ。その筆頭だった幸運はため息をついた。
「せっかくの仮想空間なのに、館から出られもしないの?」
『はい、幸運様。この世界の基本は脱出ゲームの構造になっていますので、条件が揃わなければ館からは出られません。そしてゲームのクリアは、現実の肉体に戻ることを意味します』
「そっか、そうなるかぁ〜」
円卓に伏せる幸運に、照が声を掛けた。
「まぁ、娯楽室があるだけマシだと思っておこうよ」
「それはそうだけどさぁ……」
明らかにテンションの落ちたふたりを尻目に、晃が質問する。
「それでライプニッツ。準備というのは、具体的にはどのようなものですか?」
『お答えします、晃様。ワタシは先ほど、仮想空間に皆様の人格が移されていると説明致しました。しかしながら、それらは純粋な本人のものではありません。実は各シナリオごとに特定の人物データに関して、ゲームを円滑に進行するための細工が施されているらしいのです』
「細工……ですか」
『ええ。殺人衝動プログラムとでも申しましょうか。例えば脳内物質の分泌量の調整だったり、存在しない過去の記憶を植えつけなどシナリオによってさまざまですが、当人が本人として振る舞う上で違和感を自覚しないレベルで罪悪感を紛らわせ、犯行のキッカケを作らせるための操作が行われていました。先ほど動機した記憶で、不快感を憶えた方がいらっしゃれば、その操作を受けた可能性が高いと考えられます』
ライプニッツの説明を聞き、皆ハッと思い出す。夢から覚めたときの、あのぐちゃぐちゃとした感情。その根底にあった、得も言われぬ不快感の正体に気がついたのだ。
「そうか。どうしてあのとき、オレがあんな簡単に命を奪う選択をしたのか。自分で自分が信じられなかったが……ようやく腑に落ちたぜ」
「私も。自分の中に殺人衝動があるのかもって不安になっていたけど、ライプニッツの言う通り、犯人役をこなすための調整があったとしたら……」
「考えてみれば当然だね。これだけリアルじゃ、きっと誰も人殺しなんてやりたがらない。決められたシナリオに沿って殺人事件が起きるように、ボクらの意識は操作されてたんだ」
体験した記憶の中で、彼らは多様な動機で殺人を犯した。思い返されるのは、どう考えても不自然な感情の起伏と、「仕方なかった」という後悔。
誰もが同じように他人の命を奪い合ったのは『もつれ館多重殺人事件』のゲームプログラムによって、強制的に犯人像を当て嵌められていたためだったのだ。
『ワタシも客観的に考えて、あまりに理不尽なシステムだと感じます。このようなゲームをプレイさせて本当に申し訳ない』
「ライプニッツは謝らなくて大丈夫だよ、悪いのはそんな悪趣味なからくりを仕込んだゲーム製作者でしょ」
幸運の言葉に、皆も頷く。
『優しいお言葉をありがとうございます。幸運様。しかしながらゲームを管理する立場として、ワタシにも責任の一端が……操作に対する処置を講じることで、その責任を果たそうと考えているのです』
「なるほど。準備というのは、操作に対する処置方法の確立ですか」
『晃様、その通りです。現状で危惧されるのは、プログラムが影響したまま、その人物を現実に返してしまうこと。各シナリオにおいて、操作を受けている人物からプログラムを取り除くができれば、問題は解決します』
「じゃあ平穏な生活ってのは、その人物を特定するための観察期間ってことか」
『えぇ、照様。厄介なことに現状、当人が凶行に及ぶ前に自覚に至った例はありません。現在も複数のシナリオから皆様の人格における普遍的な条件を吟味し、それぞれの差異を特定している最中ですが、これには当然、とてつもない時間が掛かります。一方で、プログラムは脱出ゲームを成立させるための短期的な細工です。ゲームの仕様を越える期間を経過させることでも、新陳代謝のように表出するものと予測されます』
「ふむ……なら、互いに監視し合って過ごせば問題ないだろう。少しでも違和感があったら、すぐ報告するようにしよう」
「オッケー。じゃ、あんまり気張らず気楽に過ごそっか! ね、誰か麻雀やらない?」
かくして、彼らの新たなステージ……事件が起きる前に犯人を見つけるための、前代未聞の共同生活が幕を開けた。




