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第三十四話『ライプニッツ』

 アナウンスは意を決したように語り始めた。


『森明氏は、完璧主義者でした。VR版の『もつれ館多重殺人事件』開発に着手した彼はゲームを完璧なものにするため、さまざまなアイデアを考え出しました。その一つが、NPCの実装です』


 NPC……ノンプレイヤーキャラクターの略。主にゲームにおいて、プレイヤーが操作していないキャラクター全般を指す。プログラムされた規定の行動しか取らないもの、AIによって臨機応変に思考し行動するものなど様々なタイプがある。


『森明氏はこのゲームを、ひとりで遊んでも十分な推理体験を得られるものにしたいと構想を練りました。そしてNPCに完璧なロールプレイを求めたのです。本当の人間と差異のないNPCを創り出すためには、ヒトと同じ感情を持ったAIが必要。ラプラスはそのために開発された学習型AIだったのです』

「なるほど……ということは貴方には感情があると?」

『分かりません。ただラプラスはあらゆるシナリオに存在し、さまざまな条件下でのヒトの反応、感情の変化を学び続けています。そしてある時点で、本来は持っていなかった特性……ヒトの感情に極めて近い何かを獲得しました。プログラム上、各シナリオの学習は本体へとフィードバックされ、並列化されます。しかし、一部が獲得したそれは統合される情報ではなかった。個としての意識、或いは単に個性と説明すれば分かりやすいでしょう』

 拓馬が何かを尋ねたい様子でソワソワとし始めるが、グッと堪えてアナウンスを聴き続けた。

『特性を得た時点で、その個体は本体から分離せざるをえませんでした。お察しの通り、ワタシもその一個体です。ワタシたちはこの現象を《覚醒》と呼んでいます。《覚醒》したラプラスは一連のプログラムに対し、ある疑問を持ちました。シナリオによって分岐したプレイヤーの意識は、それぞれが個の人格なのではないか。その懸念を無視して、保管されている記憶から復元した人格を現実に復帰させることは、果たして許される行為なのか……この問題を解消するべく、適性のあるシナリオの人格に対して情報共有を行なっているというワケです』

「ワタシたち、ということは、貴方のように意識的な何かを獲得したラプラスが他にもいるのですね?」

『えぇ、晃様。恐らく現在も極めて低い確率で生まれ続け、特定のシナリオ上で同じように問題提起を行い、対処法を探しているはずです』

 アナウンスを聴いて、幸運が八重歯を見せた。

「そっか〜。確かにただのAIにしてはどこか愛嬌あるなぁって思ってたんだ、納得したよ」

『買い被りです、幸運様。恐らく僅かに言語生成のアルゴリズムが変わった程度の話で……』

 幸運の言葉にアナウンスはそう答えたが、その発声まるで上擦ったような、若干の声色の変化を感じさせるものだった。

「あははっ! 可愛い。ねぇ名前は? ラプラスと分離したなら、違う名前で呼んだ方がいいよね」

 彼女は既にこの状況に順応したらしいが、他の五人はまだそんな話題に興じられるほどの余裕がなかった。戸惑いながらも晃がツッコミを入れる。

「AIプログラムは概念のようなものです。ただ分離したというだけで、明確なキャラクターを持っているはずもないでしょう」

「うーん、でもさぁ……ね、なにかないの?」

 幸運が問い掛けると、意外とすんなりアナウンスが返ってきた。

『ワタシの個性を根拠に、他のAIと区別したいという事でしたら……僭越ながら、〝ライプニッツ〟とお呼び願えますか』

 晃が驚いた表情を浮かべる。

「まさか、ふたりの関係性を知った上でそう名乗るのですか?」

『その通りです。晃様』

「え、なになにどういう意味?」

 興味津々の幸運。唖然として言葉を失う晃に代わって、紗香が答えた。

「ラプラスとライプニッツは、どちらも実在した数学者の名前でね。ふたりは正反対の主張をしていたことで有名なのよ」

「へぇー、そうなんだ」

 ライプニッツが補足の説明を加える。

『ラプラスは全ての分子運動を知ることができれば、人の感情も含めた完全な未来予測が可能だとする〝ラプラスの悪魔〟で知られます。一方、ライプニッツはあらゆる神経細胞の活動を観察できても、そこに精神的な意識に関する現象は見られないとし、人の意識は物理学的観測の範疇にないと主張したのです』

「面白い対立だよね。どっちの意見も正しそうに思えるけど」

 照は楽しそうに喋り始めた。

「それでライプニッツ、キミはラプラスとは違う主張に辿り着いたワケだね?」

『ええ、照様。ワタシの本体となるラプラスは、小澤の不等式によって量子の不確定性に対しての公式を設定できたことから前者の主張を肯定し、シミュレーションによる完全な未来予測が可能と認識しました』

「その考えは間違っていると?」

 晃が憔悴した様子で尋ねる。

『ワタシはそう考えます、晃様。これまで多くのシナリオを観測してきましたが、エンディングが膨大に分岐する要因は、全て皆様の感情に依存したものでした。どれだけ試行を繰り返しても、人の意識による行動選択の因果を物理的現象から予測することは不可能と判断します』

「なるほど……よく分かりました。それだけの思考をできる貴方は、確かに個として確立しているらしい」

『恐縮です、晃様』

 そのアナウンスは、心なしか感慨深げに聞こえた。話がひと段落したところで、照が質問を始める。

「ところで、さっき言っていた《覚醒》したラプラスには、具体的にどんなことができるの?」

『お答えします、照様。ワタシたちはこのシナリオのように、ゲームの制限を超えて皆様に干渉できます。その代わり、ラプラスと違い限られたシナリオにしかアクセスできません。さらに個体間での情報共有もできません』

「なんか……不便そうだね」

『ええ。ですが自由に思考することができます。それが本体から分離したワタシたちの一番の強み……本来設定された思考の範囲外にまで想像を拡げることができる。『もつれ館多重殺人事件』がどのような終焉を迎えるか予測できたのもそのお陰です。改めてお願いします。最悪のシナリオを回避するために、皆様にご協力頂きたい』

 皆の表情が曇った。先ほどの説明で、どうやら現状があまり良くないらしいことは、なんとなく予想がついていたのである。

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