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第三十三話『分岐と収束』

「人格の分裂、ですか。それはあくまでゲームデータ内の問題なのでは? 核となるものは我々の肉体に残っているはずでしょう」

 晃の問いに、アナウンスは答えた。

『確かにそうも考えられますが、このゲームは脳をデバイスの一部として経由する仕組みですので、プレイ中の意識は一つの回路を巡る電流のようなものとも捉えられます。ワタシとしては、その電流の走った跡にも皆様の意識の欠片があるだろうと……』

「抽象的な話はいいから、具体的な問題を話して貰える?」

 紗香が先を急いだ。

『失礼しました。問題というのはコンピューターの処理にあります。二進法のコンピューターでは情報単位に古典ビットを用いるため、複数のシナリオは順番で個別に計算しデータを進行しましたが、量子コンピューターでは量子ビットによる重ね合わせで計算を行うため、シナリオが同時並行で進行されます。それによって、スタート時点では同じだったプレイヤーの意識がシナリオごとに分裂し、同時に複数存在することになり……セーブ時点で個人の意識としての整合性を保たせることができなくなったのです』

「ちょっと待った。理解が追いつかなくなってきたぞ……誰か翻訳してくれないか」

 拓馬が気まずそうに言うと、照が説明役を買って出た。

「SF映画でタイムトラベルか、パラレルワールド系のやつ観たことない?」

「おぉ、あるぞ。『バックトゥーザフューチャー』とかな」

「いいね、それで説明しよう。主人公が過去に行ったとき、自分だけ未来の記憶を引き継いでるでしょ。それで過去と未来の整合性を保とうとする……」

「そうだった。若い頃の母親に言い寄られて、それを躱しながら必死に父親とくっつけようとするんだよな。あれは笑えたぜ」

「そこでさ、例えば未来と過去を何度も往復するでしょ。すると主人公の記憶はどんどん複雑になっていくよね。過去のある時点で、こうしたら未来が変わるって情報は、一周目なら特定するのも簡単だけど、二周、三周……と繰り返したら、どの時点の行動が自分の未来にどう関わるのか、こんがらがると思わない?」

「確かにな。ワケが分からなくなりそうだ」

「だよね。で、コンピューターの話に戻るんだけど、二進法コンピューターの場合は、一周毎にセーブしてくれるんだ。Aのシナリオが終わったら、次はBのシナリオって感じ。一本ずつ映画を観るのと一緒だね。けど量子コンピューターはそうじゃない。AからEまでシナリオがあったとしたら、その五種類を全部まとめて憶えさせようとする。五本同時に映画を流されたら、どれもまともに観れないよね?」

「なるほど、そういうことか。なんとなく分かった……じゃあ、さっき夢で見た走馬灯みたいなのが、いわばオレたちの平行世界の記憶だったわけか」

「その通り! ……ってことで、合ってるよね?」

『ありがとうございます。概ね正しい説明でした、照様』

 アナウンスを聞いて、彼は自身が状況を把握できていることに胸を撫で下ろす。

『結論から申し上げますと、中枢の量子コンピューター内では、皆様の肉体に戻すべき意識の取捨選択が行われる恐れがあります。先ほどの例を使うなら、世界線が強制的に一つに収束するということで……開発時には複数人のプレイヤーに対する挙動が把握できておらず、実際に皆様の人格をプログラム上に移した結果、この問題が露見しました。お詫び申し上げます』

「ちょっといいかしら……もしかして今、私たちの意識は肉体と完全に切り離されているということ? 脳の電位変化をトレースして、擬似的な人格プログラムが走っているワケではないの?」

 紗香が焦って質問する。

『トレースではありません。先ほど意識を電流に喩えましたが、現状は分岐したシナリオの数だけ皆様の意識が流れています。並列つなぎに配線された回路をイメージして下さい。大元となる電池から全ての電線に同じ電圧で電流が通る……ゲームでも同じように、皆様の脳を経由して全てのシナリオが回っているのです。紗香様が提唱されているニューロコンピューター理論に近い発想なので、釈迦に説法かと思いますが』

 紗香は困惑した表情を浮かべる。ただ、そこにはある種の興奮も感じられた。

「えっとごめん、今度はボクがついていけないや……どういうこと?」

 照に説明を求められ、紗香はゴニョゴニョと少し口篭ってから、改めてハッキリと話し始めた。

「つまりね。いまこうして喋っている私たちは、仮想空間に出力された非現実な存在なの。けれどその出力元は実際の肉体。現在進行形で自分の脳を使って思考している……情報としての出力先が肉体かVR空間かというだけで、本質的には変わらない、個人の意識として存在しているのよ」

「なるほど? じゃあこのまま今のボクらを肉体に戻してもらえば、なにも問題なくない?」

『残念ながら、照様。その選択は問題大アリなのです』

「どうして?」

『まず前提として、皆様の肉体に意識が戻されるのはテストプレイが終わるまで。そしてそれは、全てのシナリオ分岐の回収を意味します。犯人、殺害人数、殺害方法、議論の展開ルート、共犯の場合も含め無限に近い分岐を、量子コンピューターは延々と計算しています。今回のように自分たちのいる世界が仮想空間であると自覚し、次のステージに進んだルートも既にごまんと存在します。幸か不幸か、量子コンピューターの驚異的な演算能力のお陰で、現実時間にしてまだ半日と経っていませんが……仮にそれらのシナリオにおいて本体に戻る選択肢を提示すれば、同じ選択をした別ルートの意識とバッティングし意識崩壊を引き起こします。回路のイメージならショートに近いでしょうか』

「……」

 照は口に手を当てて、黙り込んだ。

『断っておきますが、テストプレイ前の皆様の記憶情報は、別ストレージにて保管されています。最終手段としてそれらをロードすれば、現実の肉体・記憶は一切の変化なく、接続前の意識を取り戻すことが可能でしょう。しかしプレイデータを統合せずにそれを行う場合、当然、今ここにいる皆様を含めた全シナリオ分の意識はプログラムデータとしてコンピューター側に取り込まれ、以降は無限にシナリオをループし続ける恐れがあります』

「一つ、疑問なのですが……なぜ、ただのガイドAIである貴方が、我々にそんなことを教えるのですか?」

 晃の質問に、アナウンスは少し間を置いて答える。

『……それを説明するには、まずワタシという存在について語らねばなりません』

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