第二十四話『ダ・カーポ』
午後九時。館の中に、食欲をそそる匂いが漂い始める。その匂いにつられて彼らが大広間に集まると、円卓には色とりどりの料理が並んでいた。拓馬がメインディッシュの大皿料理を運び終え、説明を始めた。
「旬の食材を使った即席フルコースだ! 玉ねぎと蒸しジャガイモの甘辛炒めに白菜の浅漬け、タラと大根の味噌汁。寒ブリの刺身、サワラの煮物。ご飯はシンプルな白米だ。デザートには柚子の寒天ゼリーを冷やしてある。アレルギーがある人はいないか?」
彼らは目を輝かせて卓上の料理に魅入る。
「すごっ! これ全部、拓馬さんが作ったんですか? 」
秀才の問い掛けに、拓馬は腕を組んで答える。
「おうよ! 冷凍モノばかりかとヒヤヒヤしてたが、ちゃんとした食材が揃ってたから腕を振るわせてもらったぜ。合宿中の食事は任せてくれ」
「ありがたいことですね。早速、頂きましょう。折角の料理が冷めてはもったいない」
晃の言葉に皆、速やかに着席し「いただきます」をして、夕食会となった。
「美味しい……! 拓馬さんありがとう、普段お菓子ばっかりだから、久しぶりにこんな美味しいご飯食べたよ」
照が珍しく、満面の笑みで素直な感想を伝える。
「そりゃよかった。料理人冥利に尽きるぜ」
皆、並べられた料理に舌鼓を打ちながらさまざまなことを語り合った。昔の大会の思い出や、その後の出来事。五年の間に世界は絶え間なく変容を続け、各々がさまざまな困難に向き合っていた。互いの境遇を慰め合ったり、羨ましがったり。会って間もないはずの彼らは、どこか深い部分で繋がっているようだった。
やがて、拓馬が嗚咽を漏らし始めた。
「どうしたの拓馬さん、大丈夫?」
幸運が心配そうに声を掛ける。
「あぁすまん。なんだか不意に……家族で飯囲ってたときのことを思い出してな」
拓馬はそう答えると、大きく鼻を啜る。
「そっか。しばらく会ってないの?」
「あぁ。一流シェフを目指して地元を出てから、もう長いことひとり暮らしだ」
「そうなんだ……一緒だね。アタシも実家を出てからずっとひとり。こんな風に大勢でご飯食べるの、久しぶりだなぁ」
「僕もです。社会人になってから、碌にマトモな食事をしてなかった……昔はガヤガヤしたの苦手でしたけど、こういうのってなんか、幸せですね」
皆、秀才の言葉を噛み締めるように頷く。夕食は和やかな雰囲気のうちに終わった。
午後十時。夕食の片付けを済ませたあと、各々は円卓で寛いでいた。そこに幸運が声を掛ける。
「誰か、麻雀やらない?」
これに反応したのは、秀才と照のふたり。
「いいですね。久しぶりに打ちたいかも」
「リア麻か、ボクもやろうかな」
「やったー! じゃ、三麻で……あっ東天紅とかやる?」
三人が遊戯室に入ると、しばらくしてジャラジャラと牌をかき混ぜる音が響き始めた。
同時刻。大広間で晃が紗香に声を掛ける。
「紗香さん、少しいいですか?」
「はい? なんでしょう」
「失礼ながら、過去に新型ニューロコンピューターについての論文を出してらっしゃいますよね?」
「えっ。あっはい! お恥ずかしながら……」
「私の専門も似た分野でして。当時、興味深く拝読しました。よければ意見交換などいかがですか」
晃が名刺を差し出すと、それを見た紗香の顔はパッと明るくなり、二つ返事で快諾した。ふたりは二階中央の踊り場のソファに腰掛け、熱い議論を交わし始めた。
午後十一時二十分。遊戯室。
「ロン! 5800」
「照さん、ついてないですね。河で国士無双ができてますよ」
「うわっ本当だ! 気付かなかったぁ」
「これでこの半荘もアタシのひとり勝ち! 悪いねふたりとも」
「集中できてないかも。ちょっとお手洗い」
ゲームが一区切りついたところで、照が席を立つ。館には共同トイレがなく、いちいち自室に戻らねばならないのが不便だった。
「ちょっと寒くなってきたね。雪降ってるじゃん」
窓の外を眺めて幸運がボヤく。中庭は薄らと雪が積もり始めていた。
「本当だ。暖房つけますか? それともお開きにしましょうか」
「もう良い時間だし終わろっか。照くんもイイよね?」
「うん大丈夫。ごめんだけど、あと頼んでいい?」
「僕たちで済ませておきますから、構いませんよ」
「ありがとう、じゃお疲れ!」
照は駆け足で遊戯室を後にした。
同時刻。二階踊り場。
「晃さんの研究は興味深いですが、少し難しい部分もあるようですね。VRのシミュレーションでそれを証明するには、量子コンピューターがいくつあっても足りないような……」
「ですから、わたしは紗香さんの理論に非常に惹かれたのです。人の脳を演算装置に使ってインフレーションを起こすことができれば、以降のシミュレーションも十分に再現可能ではないかと」
「うーん。理論的には可能でしょうが、並列化の手段が大変ですね。パラレルワールドが生まれてしまっては意味がないですし」
「実は、それもアリかなと考えています。シミュレーションを人の数だけ繰り返せるなら、いつか誰かが証明に足る構築を生み出してくれるのではないかと」
「もしそこに到達できた人がいたとして、どうやって探し出すんですか?」
「そこです。予めプログラムを仕込んでおいて……」
晃のセリフを、慌ただしい足音が遮った。照が階段を駆け上がって、ふたりの前を通り過ぎる。
「どうかしたんですかね?」
「お手洗いでしょう。もう一時間以上、打ちっ放しですから。それより話の続きですが、脳が演算装置として機能するなら、コンピューターのようにデータを読み込ませて任意のプログラムを実行することも可能なはずで……」
彼の説明に熱がこもり始めたところで、ふっと踊り場の照明が消え、どこからか、カシャンと高い音が鳴り響いた。
「きゃっ!」
突然の暗闇に驚いた紗香が思わず叫び声を上げる。
「停電? それにしても今の音は……下から響いたようですが」
どうやら館全体の照明が落ちているようだ。暗闇で彼らが動けずに戸惑っていると、北棟の方からドアが開く音が聞こえた。照が部屋から戻ってきたらしい。
「なにこれ、さっきの音は?」
「我々にも分かりません」
声はするも、互いの姿は見えない。痺れを切らしたように、照が階段を駆け降りていく音がした。
彼らの目が暗闇に慣れた頃、まもなく照明が戻った。晃と紗香が眩しそうに目を細めながら階段を降りると、幸運と秀才が不安そうな表情で遊戯室から出てきた。
「みんな、大丈夫? なんか急にブレーカーが落ちたみたいだけど」
幸運が尋ねるも皆、首を傾げる。すると照が血相を変えて調理室から飛び出した。
「大変だ! 拓馬さんが調理室で殺されてる!」




