第五話 一度しか言わねぇから、今ここで結論を出せ
着慣れない服というのは、身につけていると何とも居心地が悪い。服を着ているというより、服に着られているという感じだ。
私にとってのそれが、喪服であるのは言うまでもない。
いや、誰でもそうか。
死者を黄泉路へ送る際に立ち会う服を着慣れている者など、そんなにいてたまるものかと思う。もしいるとしたら、そいつは相当、陰気な雰囲気に包まれているに違いない。今の私のように。
先輩の葬儀を終えて電車を乗り継ぎ、家路に向かう小道を歩きながら、私は一人考えていた。どうしてこうも、世の中というのは冷徹なまでに残酷であるのかを。
先輩が自殺したという一報が入ったのは、昨日の事だった。経理課に勤める二十五歳の女性事務員から伝え聞いた。先輩は会社を辞めてからも後輩たちとプライベートな付き合いがあって、彼女もそのうちの一人だった。
先輩が自殺したというニュース。少なくとも、それは私の胸の中心を強く突き放すぐらいには衝撃的だった。
あの人がウチの会社を辞めた後、猛勉強の末に公認会計士の資格を取得して独立したという話は、もう六年も前の事だ。
そうだ。あの日、居酒屋で先輩と飲んだ日から、かれこれ六年以上も経つのだ。
私はてっきり、先輩の人生は成功のレールに乗ったものとばかり思っていた。私や弟とは異なり、異世界転移に走る臆病な奴らとも違って、現実世界で羽ばたくことに成功したのだと、まるで自分の事のように嬉しかった。
だが、明るい未来へ飛び立とうとしていた先輩の羽は、撃ち落とされた。誰が撃ち落としたか。皆が言わずとも、私にはなんとなく予測できた。
つまりは、他者にレッテルを貼り続けることで自分のちっぽけな優位性を保とうとする悪意を自覚しない人々の悪意が込められし手で、先輩は無残にも地面に墜落し、挙句の果てに羽をもぎ取られたのだ。
言われなき中傷――転生稼業に勤めていたという事実を黒歴史として扱う輩の言葉に、先輩の心は潰されたのだ。
歩きながら、思わず下唇を噛み締める。小道を通り抜け、赤錆だらけのシャッターが目立つ商店街を、私はとぼとぼと歩き続けた。
私が幼かった頃は、このあたりも催し物があるたびに雲霞のごとき賑わいを見せていたが、数年前に市長が実施した最新設備を備える商業施設の誘致をきっかけに、ぱったりと静かになった。
すっかり寂れてしまった商店街は、さながら役割を終えたトンネルのように、うら寂しい。侘しさのあまり、思わず足を止めてしまいたくなる。だがそんな情動の揺れを自覚したくなくて、逃げるようにして小走りになり、私は家路を急いだ。
「おう、ようやく帰ってきたか」
憂鬱な気持ちで帰宅すると、リビングのソファーに見知らぬ男が座っていて、鷹揚な調子で私を出迎えてきた。
赤い革ジャンに薄青いジーパン。整髪料で整えられた髪型は、一見して前世紀のパンク・ロッカー的な風貌を彷彿とさせる。
だが、そんなどうでもいい情報はすぐに私の脳を流れ去っていった。
重要なのは、この男がどうやって我が家に侵入し、何を目的としてここに居座っているかで、どんな素性の人物なのかということだ。
私の脳は、すぐにその答えを直感的に弾きだした。
泥棒――認識した瞬間、しかし私の脳はそこで混乱を起こした。
どうする? 逃げるか?
いや、二階には弟が……
まずは電話……警察に連絡を。
携帯は……たしか鞄だ。
でも、連絡してる最中に刺されたら?
金は? 無事なのか?
刺されたら?
警察に連絡……弟は無事か?
「なにぼけっと突っ立ってんだよ」
こちらが内心で怯えているのを見透かすように、男はぶっきらぼうな口調で言い放った。
「おおかた、俺のことを泥棒と勘違いしてるんだろうが、違うからな」
「……ど、泥棒はみんな、そ、そう言う……」
突然に襲い掛かってきた緊張と恐怖のせいで、からからに乾いた喉の奥から、絞るように私は声を出した。蛇に睨まれた蛙の心情を、今になって理解したような感覚に陥った。
男は――よく見ればどことなく私に似たその顔を、さも面白げに歪めてみせた。
「まぁそりゃそうだな。一般人を前に、俺は殺人者ですなんて告白する殺人者なんていないよな。それと同じだ。うん、そうだな。でもアンタには悪いが、俺にはこうするしかなかったんだよ」
「どうやって、家に……」
「入ったかって? 鍵が開いていたからそのままお邪魔させてもらったんだ。田舎は防犯意識が薄いって言うけど、程度ってものを考えたほうがいい」
両手の平を上へ向けながら、男はおどけたポーズをとった。奇妙な現象を目の当たりにした子供に、種も仕掛けもないのだと披露するマジシャンのように。それが、私のイメージする泥棒像とは遠くかけ離れていたせいか、どこか虚を突かれた感覚を覚えた。
「銃もナイフもねぇから安心しな。電子通帳にだって手は出してねぇ。つーか、いい加減にさ」
男は、少し眉根を寄せながら、右手の親指でくいっと後ろを指差した。
「さっさと、てめぇの母ちゃんに線香をあげてやれよ」
「な、なんで……」
「あぁ?」
男の表情が、ますます険しくなる
「てめぇを産んでくれた人だろうが。線香、ここんところ上げてねぇんだろ。生前に何があったか予想はつくが、産んでもらった感謝ってのは大事にしてやんなきゃいけぇねぇ。違うか?」
「い、いや……」
そういう意味で口にした台詞ではないと説明しかけて、ごくりと唾を飲み込んだ。
目の前で、まるで家族の一員であるかのように開けっ広げな所作を見せつけるこの男の言葉に、なぜか妙な説得力を覚えてしまったせいだ。
それでも警戒心は緩まず、どうしたものか躊躇していると、男は嘆息をついてからジャケットに包まれた左腕をまくった。
男の手首に、全面が光沢加工されたリストバンドが巻かれていた。
彼はそれを一瞥すると、苦々しい顔になり、
「まぁいい。時間がねぇ。俺の話を聞き終わったら、ちゃんと母ちゃんに線香あげてやれよ」
どうやらリストバンドの正体は腕時計らしい。だがあんなタイプの腕時計は見たことがない。デジタル式なのだろうが、それにしてもデザインがシンプル過ぎて装飾の類は一切施されていないようだ。
「おい」
男が、剣呑とした視線をこちらに向ける。
「なに人の腕じろじろ見てんだ」
「あ、あぁ、えっと……」
「あーもう! もういいから! さっさとこっちに座れ!」
癇癪を起こしたように男は慌ただしく立ち上がると、むんずと私の右腕を掴んだ。かなり強い握力。逃げようと考える間もなかった。
「だ、誰なんですか、あなた」
「なに泣きそうな声出してんだよ」
抵抗らしい抵抗もできないまま、私は男の対面に位置するソファーに無理矢理座らされた。
我が家のはずなのに心臓が早鐘を打つのは、明らかに目の前に座る、この正体不明の男の存在があるせいだ。
「もう一度念を押して言うけどな、俺は泥棒でもなんでもない。てめぇに用があって訪ねてきたんだよ」
男は乱暴に言い放つと、私の顔を舐めるようにじっと見ながら、ジャケットのポケットに手を入れた。
次の拍子には何らかの凶器が飛び出してくるのではないかと思わず身を固くしたが、予想を裏切り、男が取り出したのは薄っぺらい正体不明のカードだった。
「触ってみろ」
テーブルに置かれたそのカードは銀色に磨かれていて、なにやら英語らしき文章が右上の隅に綴られており、異なるデザインの紋章が四つ、カードの中央部に横一列に配置されていた。
クレジットカードの類に見えるが、とりあえず私は言われた通りに、恐る恐るカードの表面をなぞる様にして触れてみた。
すると、カードの中央部から蛍光色の光が逆三角錐状に生じた。そこから、男のバストショットが立体的に立ち上がり、ゆっくりと自転を始めた。
「ホログラフ……?」
十数年前から公共施設のサービスのみならず、映像業界を中心に活用されるようになった技術だ。だが私が知るそれよりも、このホロはずっと高解像度であるように見える。眉毛の一本一本までつぶさに観察できるぐらいには。
「俺の身分証明のIDカードだ」
「は? IDカード?」
聞いた事がない。なんだそれは。
「俺の時代じゃこれが普通なんだよ。画像以外に、名前とか住所も表示される」
男は、よく見ろと言わんばかりにホロの右上をしつこく何度も指差した。言われて見ると確かに、そこには白い立体文字が表示されていた。
その立体文字が意味するところを理解した瞬間、私は思わずホロから視線を外し、鏡の奥を覗き込むような気持ちで、男の顔をまじまじと見た。
男の髪型はオールバック。頬は私より少しシャープだ。
「あんた……」
だが唇や眉の形、二重の瞼、口元のふすべの位置、広めのおでこ、二年前に道路で転んで擦った顎の傷の大きさなど、私との共通点はいくつもある。
「そうだよ」
男はカードの表面に触れてホロを切ると、「ようやく納得してくれたか」と呟いてから、言った。
「俺は、別の世界からやってきた木澤光一だ。俺は、もう一人のお前自身なのさ」
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「もしかして、異世界転移か?」
身を乗り出しながら口にした自分でも、これは確信を突いた言葉だと感じた。図星だとでも言うように、その男は、つまり「並行世界の木澤光一」は頷いた。
「そうだ。おたくらの時代でも確立されている次元渡航技術だ。そいつを使って、俺は沢山の並行世界を旅している。なんだ、俺が泥棒だって、もう疑うのをやめたのか」
「そりゃあ、ね」私は思わず失笑した。「身分証明(ID)カードなんて、この時代にないものを持っているし、それに何より、俺と顔がほとんどそっくりじゃないか。口調は乱暴だけれど」
「知らないのか? 世界には自分と同じ顔をした人間が、少なくとも三人はいるらしいぜ? 自分も含めて」
少し意地の悪さを見せつけるように放たれた男の言葉に、私はなんと返してよいものか窮した。だがもう疑う気になどなれなかった。
顔立ちが似ているというだけではない。なんと例えて良いか分からないが、私の直感が囁いていた。この男は、自分と並々ならぬ繋がりがあると。
だが同時に、少しの謎もあった。
「消滅、しないもんだな」
「何が?」
「いや、そういう現象が起こるものだとばかり思っていたんだ。並行世界間を移動して、うっかりその世界の自分自身に出会うと、次元渡航者の側がドッペルゲンガー的存在になって、互いの存在を意識した途端、肉体が対消滅するって……」
「ふぅん。アンタの世界ではそういう認識なのか」
「ああ、だから異世界保険の契約内容にも、絶対に自分と似た存在と出会わないように注意してくれって書かれてある。出会う確率は限りなく低いけどね。でも、こうして顔を突き合わせている以上、それは間違いなんだろうな」
「おそらくな。俺がいた世界の理論がこっちでも通用するなら」
「理論って、なんだ?」
「異世界転移や転生をするのは、肉体じゃなく情報体。そこに次元相似性の原理や、シェルドレイクの並行世界定理を突き合わせて考えれば、どうして俺達が『微妙に異なる顔つきをした同一人物』であるかの説明もつく」
「なんだって?」
「つまりだな」
聞き慣れない専門用語が飛び出すたびに反応に困る私を見て、男は、身振り手振りを交えて解説してくれた。
「宇宙ってのはそれが誕生した瞬間から、四次元方向に向けて光の速度で広がり続けている。このルールは言い換えるなら、質量を持つ物体が光速を越えて移動するのは不可能ってことを意味している。だが情報はその限りじゃない。なぜなら、情報には質量がない。だから重力の影響だって受けない。よって、意思を持つ情報……人間の精神的・肉体的な記憶だけは光速を越えることが可能で、それで異世界への扉である『次元の壁』を突破できるって訳だ。あんたらの世界の事を少し調べてみたが、ヘカトス粒子とリンカネーション・バンパー、だったか。コイツがそれらの役割を全部代用してるみたいだな」
「でも、移動するのは記憶だけだろ? それだと向こうの世界に行った時に、どうやって活動するんだよ」
「簡単さ。なぜなら記憶があるからな。自分が自分であったという記憶が。それが次元の壁を突破した直後に量子的効果を受けて、記憶を基に肉体を再構築する。洒落た言い方をすりゃあ、記憶という種が、肉体という名の花を咲かせるのさ」
「非物質的存在が、物質的存在を生み出すのか!?」
「ああ」
信じられない話だが、驚く私とは対照的に、男はさも当然のように頷いた。
「ただ、量子的効果を受ける際に、ほんの少しだけ妙な影響が顕れる。肉体の記憶がエラーを起こすときがあるんだ。こいつが発生すると、虫食いのパズルのような現象がはたらいてな。記憶を基に適当なピースを一から作って、パズルに嵌めていく必要性が出てくる。肉体に関するエラーは修正したり除去したりするのが不可能らしくてな。だから俺とアンタは、同じ木澤光一でも、肉体的な違いが出てくる。それで、微妙に違う顔つきをしているってことだ」
「君がさっき見せた、あのカードは? あれはただの物体じゃないか」
「あれな、一見プラスチックか何かに見えるが、実際は俺の肉が混ぜてある。つまりはあれも、俺の肉体の記憶を持った存在だってわけだ」
「肉だって?」
「もっと言えば細胞だな。こっちじゃセル・マーキングって言って、マーカーをつけた細胞を有機素材と結合させた代物が出回ってる。徹底した個人管理社会なんだよ。すり替え防止ににも一役買ってる。それと、さっき話に出た『相似性の原理』についてだが、こいつは数学で言うところの相似とは違う。生物学的な意味合いに近いな」
「それは知ってる。あれだろ? 形態的に同じ機能を宿す者同士でも、それぞれが由来とする原初構造は異なるって奴。トンボとカラスは同じ羽を持つけれど、でもそれが変形した箇所は全く別だ」
「そういうことだ。これを量子物理学に置き換えたのが次元相似性の原理だ。例えば二人の人間が同じ出発地点から同じ目的地へ別々に向かうとする。この時、利用する乗り物が異なれば、移動者本人の状態だって変わるよな? あんたらの時代に合わせて言うと、バイクを走らせるのと、超高速新幹線に乗るのと、自分の足で歩くのとじゃ、移動時間も発汗量も服装の汚れ具合も心拍数も精神状態にも違いが出てくる。並行世界ってのはそういう風にして、どんどん枝分かれに構築されていくんだよ」
「経験する内容が微妙に異なるから、俺とあんたは完全な意味での同一人物じゃない。だから対消滅も起こさないって、そういうことか?」
「そうだ。世界線Aの木澤光一と、世界線Bの木澤光一とでは、見てきた世界が一致しねぇんだ。実際に、お互いがこれまで何を経験してきたか告白し合ってみるか? 大筋は似通っているが、多分微妙に異なってくるぞ」
つらつらと理論を述べた後、男は少し顎に手を当てて俺の顔をじっと見つめ始めた。自分とよく似た顔つきの奴にこうして観察されるのは、なんだか落ち着かないものだ。
「中学二年生の時、バレンタインデーの日に七つチョコレートを貰った」
「あ、ああ! 貰った。貰ったさ。でも、俺は五つだった」
「チョコをくれたうちに一人に、体育館裏に呼び出されて告白された」
「いや、こっちは二人だ。それも放課後の教室で」
「そうか。そのうちの一人は、岡崎か?」
「そうだ。もしかしてそっちも?」
「ああ。で、付き合う事になった」
「俺もだ。でも半年後に別れた」
「俺は卒業と同時に。それから高校時代に一人と付き合った」
「俺もだ」
「大学に行きたかったんだが、母ちゃんが精神病になってな」
「え」
「色々あって、進学できなかった。アンタもそうなんだろ?」
私は答える代わりに、男の肩越しに映る仏壇を見た。二年前に自殺した母の遺影は、精神病に罹る前のもので、なんとも朗らかな笑みを浮かべている。
だが、なぜか遠くから響いてくる。謝罪の声が。私のせいでお前を大学に行かせられなかったと、そう嘆くかのような母の懺悔が。
それは多分、私の深層意識に眠る、卑屈な願望の発露なのだろう。
「って、あぁ、もう」
私が母の遺影を眺めている傍で、男は苛立たしげに腕時計を眺めた。あれにも多分、彼の細胞が組み込まれているのだろう。
だとしたら、彼のいる世界は個人の時間までも管理している、徹底的なディストピアということになるが。
「さっきの説明でもう五分以上も使っちまったじゃねぇか」
彼は、もう余計なお喋りは無しだと態度で告げてきた。
前かがみの姿勢で膝の上に両手を汲んで、
「一度しか言わねぇから、今ここで結論を出せ。分かったな」
眦を決して口を切った。
「お前、あの引きこもりの弟を、どうにかして助けろ」




