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第二話 妄想するのと実行するのとでは、話が大きく違ってくる

 異世界転移。異世界転生。


 そんなものは御伽噺だと、『あれ』が世に出る以前は、誰もがそう思い込んでいた。


 世界に害を為すドラゴンを異世界から来た勇者が倒し、どこかのお姫様と仲睦まじい結婚生活を送る。


 あるいは、王の座に君臨した異世界人が、現地人のお粗末な文化を発展させ、富国強兵を推し進める。


 あるいは、現代世界の知識を活用して多くの人望を集める賢者になり、悠々自適な暮らしを謳歌する。


 あるいは……数え上げればきりがないほどの、夢物語の数々。


 私も、そういった類の創作物には沢山触れてきたつもりだ。それでいて、わりかし好きな方ではある。


 自分の知らない世界で、自分のことを知っている人がいない世界で、自由気ままに力を誇示して生きる。そんな妄想に耽るのを悪趣味だとは思わない。むしろ心の健康を保つ上で、必要な娯楽だとさえ思っている。


 だが、妄想するのと実行するのとでは、話が大きく違ってくる。


 今から五十年前のことだ。アメリカ、日本、ドイツ、スイスの四ヵ国が共同で推し進めていた、未知の素粒子を発見する量子物理学関連の国際プロジェクトがあった。そのプロジェクト推進中に、人類は未知の素粒子を偶然にも発見し、これに『ヘカトス粒子』という名称をつけた。


 ヘカトス……古代ギリシアの太陽神・アポロンの別名。意味は『遠くにまで力の及ぶもの』だと、新聞で読んだ記憶がある。確かにその名に相応しい力を、ヘカトス粒子は備えていた。


 この素粒子は、一定の速度で物体と物体を衝突させた際に、ごくまれに通常空間に生成される。それもなぜか有機物と無機物同士、且つ衝突物質同士の質量差が八百キロ以上九百キロ以内に収まっている場合に限る。


 奇妙な条件を備え、見えざる何者かの調整が為されたようなその特徴から、都合の良すぎる粒子(ドアマット・エレメンタル)なんて呼ばれたりもする。


 神秘的にして禁断とも呼べる性質を宿すヘカトス粒子の謎を、世界各国の研究機関が解き明かすのに夢中になった。


 だが、好奇心を刺激されたのは学者だけでない。


 金の匂いを嗅ぎ付けて擦り寄ってきた幾つもの企業が共同でヘカトス粒子の実用化技術確立に乗り出し、これを成功させた。


 ヘカトス粒子が任意の場に密集した際、隣り合わせの別次元世界へ通じる次元の裂け目が生じる――図らずしも、新素粒子の存在はパラレル・ワールド理論を裏付けるものとして定着した。


 結果としてどうなったか。世界は狂乱と歓喜に陥った。


 およそ道徳心を捨て去り、目先の儲けのみに執着した多くの企業がヘカトス粒子を様々な形で応用しようと試みた。その果てに、一つの超常的道具が誕生した。実によくある形態でありながら、だがとてつもなく現実味のない代物が。


 次元跳躍車両。通称・次跳車(じちょうしゃ)……ヘカトス粒子を基盤とする次元渡航技術が生み出した、シンギュラリティの申し子。


 私の勤め先である藤原特車にも納入されている、衝突時に次元の裂け目を一時的に発生させ、轢いた相手を異世界へ送り出す魔法の車だ。ヘカトス粒子の保存と増幅に適した素材で作られた『リンカネーション・バンパー』を備えた、いまや世界で最も売れている製品だ。


 こいつが開発された結果、世界はますますおかしくなった。私には、そのように映ってならなかった。


 現実世界に嫌気が差した者や、何らかの事情で居場所を失くした者。そういった不逞の輩が、次々と、それも喜々として次跳車に轢かれていった。


 世界人口が、瞬く間に減っていた。


 最初は、これで食糧問題や難民問題が解決に繋がると、ふざけた論理を展開する批評家たちが大勢いた。各種SNSでも、これぞ二十一世紀最大の発明品だと、はやし立てる輩で溢れていた。


 事態がままならない状況になり始めたのは、世界総人口が三十億を切った、つい先月のことだった。


 深刻なニュースを、深刻そうな表情で告げるテレビのニュースキャスターを見て、アホかと、私は心の中で毒づいた。世の中どうしてこんなにも馬鹿ばかりなのか。なぜもっと早く気が付かなかったのか。なぜ異世界転移・転生の法的規制に、すばやく乗り出さなかったのか。


 否――乗り出せなかったのだ。


 ある学者がテレビで言っていた。人類叡智の粋とも呼ぶべき次元渡航技術の確立は、複雑極まる現代社会の構図に増々の拍車をかけたのだと。


 その結果として、人々の間で『認知閾(にんちいき)』が発生し、事態を未然に防ぐための対応が遅れたのではないかと。


 認知閾(にんちいき)――つまり、私たちの住む社会が人の理解が追いつかないほどに高度に発展した結果、それらが起こす諸問題の解決手段を人間が導き出せなくなり、非合理的な思い込みや、事態からの逃避が先行してしまったのだと、その学者は口にしていた。


 もしその通りなのだとしたら、人類という種族は自ら墓穴を掘っていることになる。実に哀れであり、同時に空恐ろしい想いに駆られてしまうのは、きっと私だけではあるまい。


 人口が急激に減少の一途を辿ればどうなるか。労働力は枯渇し、国の生産性は背筋が冷えるほどに低下する。消費は停滞し、有名・無名に関係なく企業は次々に倒産。


 首を切られた失業者が街中を徘徊し、起きなくても良かったトラブルがあちこちで起こり、治安が悪化。警察の出動率が高くなる。


 が、そもそも警察にだって人は少ない。対応しきれない時、トラブルは血の惨劇となって降りかかる。そんな事が、毎日のように起こる……


 凡庸な私でも、これぐらいの未来予測をすることは可能だ。そうして事実、世界は私が危惧していた通りの方向へ、舵を取りつつあった。


 誰にも止めることはできないのだろう。たしかに文明は、少しずつ崩壊に向かいつつある。


 そうして、世界情勢が不安定になればなるほど、皮肉なことに、ここではないどこかの世界に、安住の地を求める人が大量に発生する。


 異世界へ夢馳せる者は指数関数的に増大し、その欲求に応える形で、次跳車を扱う企業ばかりが乱立する。


 今や、世界中のどんな企業体ですら敵わない次跳車操業。


 それを頼る奴らも、そんなところに勤めているこの私自身も。


 みんなひっくるめて、大嫌いだ。









 その日の業務報告書を作り終えて上司に提出し、簡単な雑務をこなし、次跳車の整備チェックを終えて家路に着こうとした時だった。不意に、コートのポケットに入れていた携帯電話が、けたたましく鳴り響いた。


「もしもし?」


「あ、光一君?」


 聞き慣れた女性の声が、私の耳朶(じだ)を熱くさせた。自然と笑みが零れた。


麗菓(れいか)か。どうしたの?」


 こちらの問い掛けに、彼女は一拍ほど間を置いてから、


「えっと、お仕事終わった?」


「うん、これから帰るところ」


「じゃあ……ちょっと会って話せない?」


 歩きながら話していると、向こうからハイビームで道を照らしながら疾走するスポーツカーが、すぐそばを通り過ぎていった。


 外灯が不規則に明滅を繰り返して、私の足元に歪な陰影を浮かび上がらせていた。


「いいけど、何かあったの? 来週の旅行の計画なら、家に帰ってから話そうと思っていたんだけど」


「それよりも……話さなきゃいけないことがあるの」


「なに?」


「大事な話。電話だと、ちょっとアレだから、直接会ってお話したいの」


「……うん」


「薬局近くのファミレス。そこなんかどうかな?」


「分かった。二十分後ぐらいに到着すると思う」


「待ってるね」


「うん、じゃあ」


 電話が切れた。


 耳元を、晩秋の息吹が刺すように通り過ぎていった。

出典:文明はなぜ崩壊するのか(2012年 原書房 著者:レベッカ・コスタ 訳者:藤井留美)

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