その88.情けなくてカッコ悪くて、漫画の主人公みたいにずっとカッコ良くいれたらいいのに
冷たい床が腫れた頬を癒してくれる。
それでも熱い腫れがスグに引くことは無い。
立て続けに殴られ、蹴られ、口の中は切れまくり血だらけで。
鼻血は止まらない。
あまりにもかっこ悪く倒れて、あまりにもかっこ悪くうめき声を上げて。
それでも僕は右手を開かない。
どんなにかっこ悪くても絶対に開かない。
あの子がね。
悲しい顔する方がイヤなんだって。
そんなキャラじゃないのに、キャラに似合わない事すると、ホント疲れるね。
「聞ーいーてーまーすーかー? へーじクーン?」
会長の楽しそうな声が上から聞こえる。
聞こえるから頭踏むなボケ。
「その手を開いて、私に土下座したら許してやるって言ってるんですけどね?」
そう言いながら僕の握り締めている拳を踏みつけてくる。
全体重を乗せられ、踏まれた足と廊下で挟まれ拳が嫌な音を立てる。
ミシミシと音を立てるがそれでも拳の力は緩めない。
寧ろ更に力を加える。
ロザリオが壊れたらどうする気だアホ。
上から溜息が聞こえると、会長はしゃがみ込んだ。
僕を見下ろしているようだ。
バランスの悪い形の会長を今のうちに仕返しする事も逃げ出す事も今なら出来るのだが。
どうやら僕が完全に動けないのはバレているようだ。
ボロボロになると動けなくなるらしい。
満身創痍って奴だ。
正直最初は喋れたが口も開けないぐらいだ。
痛みで嗚咽は漏れるが、言葉で抵抗する元気すら奪われた。
「ったく、君は以外に強情なんだね? 弱いくせにココまで意地っ張りなのは始めてだ……殴ってる方も疲れるんだけどね?」
そう言いながらそっとロザリオとは逆の手を持たれた。
何をする気だ?
「殴られたり蹴られたりする痛みに慣れてるなら……こういうのはどうだ?」
そっと握られた僕の左手の人差し指。
一瞬、寒気が走る。
会長は躊躇無く指を逆側に曲げた。
ボキッというあまりにも軽く、コミカルな音が鳴る。
折られながらも『こんな音がするんだ……』という妙な考えが過ぎる。
その後、痺れの後から来る激痛。
「ぎ、ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
もう声が出ないと思っていたのは僕の心の問題で、体は素直に痛みに対して動いた。
自分の悲痛な叫び声は廊下に響き渡り、情けないまでに涙が零れる。
のたうち周るも、しっかりと持たれた左手は離されない。
「っふ、う、っふぅぅぅ……」
自分でも妙な呼吸をしているのは理解している。
必死で落ち着こうとするも指の痛みが脳みそを掻き回す。
ボロボロと零れる涙も止まる気配を見せない。
「アッハッハ! やっと良い反応をするようになったじゃないか!!」
嬉しそうな会長の声に僕はッキ! と顔だけ上げて睨む。
「アレアレ? まだそういう生きた目出来るんだ? もう無理だと思ったけど?」
そう言いながら今度は中指に触れてくる。
「っぃ……っひ……や、止め」
スグに怯える目になってしまい。
言いたくも無い、絶対に口に出さなかった言葉が漏れようとする。
凄く嬉しそうに会長は微笑み、中指がまた、行く筈が無い方向へ。
「ひっぎゃぁぁぁあぁァ!?」
情けない言葉が再び響く、今度は長く、先程よりも長く。
痛みをまぎわらそうとするように。
会長が喜ぶ声を、音を僕は上げる。
「良ーい、歌声だな? 悪が苦しむ声はどんな音楽よりも心を和らげるよ」
最早会長の声は届いていない。
「っふ、っふ、う、うぅ」
痛みを堪える為に僕は服の裾を思いっきり噛んでいた。
あまりにも情けないが、そこまでしてでも痛みを我慢しようとしていた。
そうしなければ、心が折れそうだったから。
既に頭の中では諦めと後悔が蠢いていた。
『よく頑張ったから許してもらおう』『仕方が無い、もう離してしまおう』
そんな自分の言葉を必死で心の奥へ持っていく。
そうだ。
縁は僕が守るって決めたんだ。
自分を犠牲にして誰かを守る彼女を、彼女の変わりに守るって決めただろ!
これ以上、この男に思い通りにさせて、ロザリオを渡してたまるか!
僕の消えかかる火はその一つに集中して再び燃える。
泣き声か、痛みの悲痛の声か、もう何だか解らない。
それでも僕は必死で歯を食い縛り、ギュッと目を瞑った。
強く強く裾を噛み、もう二度と叫ばない事を心に近う。
何をするか解っているなら対応するしかない。
三度目を、耐える!!
会長が今度は薬指を手にする。
来るなら、来い!
ボロボロと涙は瞑った目から零れ続ける。
醜態もプライドも、指でも何でも、くれてやる!! だけど、あの子が大切にしているこのロザリオだけは。
渡さない!!
「……つまらん」
突然の会長の言葉。
先程までの嬉しそうな声とは違った呆れたような声。
「どれだけ痛めつけても、音を上げないみたいだし、もういいだろう、君の体は大分壊した」
そう言うと、左手から会長の感触が消えた。
正直ホッとした。
会長が飽きてくれたのか? 何にしても助かった……もう、イヤだ。
そう思った瞬間、安堵を胸に撫で下ろした瞬間。
「今度は心を壊そうか」
ぞっとする声が上から聞こえた。
慌てて目を開けると、突然背中に重みが乗る。
目を上に向けると、会長が僕の右腕を両足で挟むようにして僕の上に乗っていた。
両手で僕の腕を持ち、うつ伏せの背中の方に持ってきていた。
腕の稼動範囲はスグに越えて僕の腕はつっかえる。
その手はロザリオを思いっきり握っている手。
無論僕の強い意志は変わらず離す気など無い。
それは僕の意思の問題であって、体の問題じゃない。
見上げていた僕と会長の目が合った。
何故そんな目が出来るのか解らない。
嬉しそうに、残酷なまでに輝いていた。
つっかえていた腕は、つっかえていた筈なのに、更に動いた。
指を折っていた音に似ていたが、それよりも大きな音で、ベリベリっという妙な剥がれる音もしていた。
付く筈が無い腕が、背中に付いた感触が背中からした。
腕に感触は無い。
頭が真っ白になり、何も考えられない。
予想以上の痛みが、脳をシャットダウンしようと目の前が真っ暗になって行く。
頭が危険信号を出したのだ。
最後に、僕の右手が、力を伝えられなくなった拳がゆっくりと開き、あそこまでして渡さなかったロザリオが会長であろう手から持ち上げられている。
ああ、あんなに頑張ったのに。
僕の意思とは無関係に、強く保っていた心が崩れる。
チキショウ、チキショウ。
なんて僕は弱いんだろう。
やっぱり口だけの。
貧弱男じゃどうしようも無いのかな。
縁、ゴメン。
……イヤだなァ。
悲しい顔、するのかなァ。
そこで古い箱型テレビの電源を切るように。
プッツンと僕の意識は途絶えた。
無力ってのが、一番応えるんですよね……




