99 ローレンス・アシュベリー大公
ローレンス・アシュベリー大公のお屋敷は王都を出て東に進んだ場所にある。この屋敷はかつて、ランダル王国からの侵攻に備える軍事拠点だったそうだ。
真っ白な五階建てのお城の敷地は広大。建物は堅牢そうな作りで中庭を囲むロの字形。
案内されて建物に一歩入ったところで、白いゆったりしたシャツに黒いズボンの五十代の男性が笑顔で近寄ってきた。
「よく来てくれた。アッシャー子爵夫人。さあ、私についておいで」
まさかと思ったが、この口調なら男性が大公閣下なのだろう。絵姿で事前に確認していたが、実物は絵姿よりずっと若々しい。普通と逆だ。私は最上級のお辞儀をした。
「はじめまして、大公閣下、本日は……」
「ああ、いい、いい。堅苦しくしないでいいんだ。私のことはローレンスと呼んでくれ。あなたのことはアンナと呼んでいいかい? それともビクトリアと呼ぶべきか」
「どうぞお好きなほうでお呼びくださいませ」
「ではビクトリアと呼ばせてもらおう。あなたの聡明そうな雰囲気にぴったりだ。さあ、こちらへ」
そう言ってスタスタと歩いていくローレンス様は、がっしりとした体格。金髪が全て白髪になっていて、銀髪にも見える。私の近くにいる使用人の皆さんは、このざっくばらんな対応に慣れているらしく、誰も驚いていない。
私は黙って後ろをついて歩く。ローレンス様は二階の部屋の前で私を振り返った。ドアを開け、私を招き入れると私の背後にいる使用人に「茶の用意を」と命じて私をソファーに座らせた。
「あなたを呼んだ目的は、読書会ではないんだ。少々頼みたいことがあってね」
「私にできることでしたらなんなりと」
そんな気がしていた。
会ったこともない子爵夫人の私を読書会に呼ぶのは唐突すぎるし不自然すぎる。ローレンス様は目だけで笑って話を続けた。
「なんだ、驚かないんだね?」
私は何も答えず、微笑むだけにした。この人がどこまで私の事情を知っているのかわからない以上、沈黙は金。
「私の末娘を捜し出し、連れ戻してもらいたいのだ。娘は王都にいるらしい。少し前に手紙が届いた」
ローレンス様が私に紙を差し出す。受け取ると、茶色でザラつく安価な紙。そこに走り書きで『王都にいます。元気です。B』とある。
この屋敷を訪問するにあたって下調べをしてきた。ローレンス様には六人の娘がいる。近い将来に長女が婿を迎えて大公家を引き継ぐ予定で、次女から五女までは国内外の有力な貴族に嫁いでいる。
六女の名はサブリナ。十七歳。紙に記されたBは愛称ブリーの意味だろう。
「サブリナはワーズ侯爵家の令息に嫁ぐ予定でね。毎月一度侯爵家に通い、次期侯爵夫人として采配のとり方を学んでいたんだ。ところが結婚式も間近という最近になってワーズ侯爵家から姿を消した」
「それは……ご心配ですね」
「ワーズ侯爵家には体調を崩して慌てて我が家に帰った、ということになっている」
大公家の娘が婚約者の家から姿を消し、王都で平民に紛れ込んで暮らしている。その事実を知られたら、まず結婚話は取り消し。その後は一生醜聞がついて回るだろう。いまだって侯爵家側が具合が悪くなったという話をどこまで信じているかわからない。
結婚前には清い身でいることが大前提の貴族社会では、次の嫁ぎ先は見つからないか侯爵家よりかなり格下になるだろう。大公家の面子が丸潰れになるだけではない。既に嫁いだ他の姉たちにも影響する恐れもある。
「ビクトリア、私は用心深い性格でね。サブリナにはそれなりの心得がある使用人を付けていた。家の中で静かに育ったサブリナが、その使用人の目を盗んで侯爵家を抜け出すことができた。おそらく協力者がいる。協力者は今もサブリナを匿っているのだろう。サブリナを探し出し、連れ戻してほしい。そして協力者が誰なのかを報告してほしいのだ」
「この件を、デルフィーヌ様はご存じなのでしょうか」
「知っている。陛下もね」
なるほど。だからデルフィーヌ様は読書会の話を内緒にしたのか。さて……これが断れない話なのはわかっている。問題はローレンス様が私のことをどこまで知っているかだ。
「ローレンス様は私のことをどこまでご存じなのでしょう」
「ああ、そうだったな。君が先の反乱時にデルフィーヌ様の影を務めたことは調べた。私は自前で特殊任務をする人間を抱えているんだ。王位継承権を持っていると、なにかと面倒なことがあるからね」
「王城内、それも王族に近い場所に、ローレンス様の指示で動く人がいるのですね」
ローレンス様は肯定も否定もしない。
「影を務めた君は、その道の専門家なんだろう? 私の調べによると、セドリックの治める公爵領の出身だそうだね」
「はい」
「だが公爵領で、君の子供時代を知っている人物を一人も見つけられなかったよ」
ふうん。思いがけない人物に調べられていたようだ。
「軽い気持ちで調べ始めたが、それで俄然興味が湧いてね。本腰を入れて調べた。その結果、面白いことがわかったよ。君が現在親しくしている人物には共通点がある」
「なんでございましょう」
「ジェフリー・アッシャー、ヨラナ・ヘインズ、バーナード・フィッチャー、エバ・アンダーソン。この全員が、六年前に強盗に襲われて死んだビクトリア・セラーズと親しかった、という共通点だよ」
感心している内心を読み取られないよう、私は「はて?」という顔で微笑みを浮かべて聞いている。
「そこで君がビクトリア・セラーズだと気がついた。コンラッド陛下は王太子時代からジェフリーを重用しているだろう?」
「そう聞いております」
「他国出身の、その手の女性を妻にしているジェフリー・アッシャーを軍務副大臣にするとは、ずいぶん迂闊なことだと思ってね。最初は腹立たしく思ったが、王妃までがあなたに夢中だと聞いて考えを改めた」
私はいつ攻撃されてもいいよう、体の重心を意識しながら話を聞いている。
ローレンス様は少し前のめりになり、声を小さくした。
「代々この国の王妃になる女性は、徹底した箱入りの状態で育てられている。上品で見目麗しく、世継ぎを産めたらそれでいい、という安直な考えだ。加えて母国の要求を夫である国王に上手に伝えられたら文句なし。そういう育てられ方をしているものさ。だがデルフィーヌ様はそのような女性とは一線を画す聡明さがある」
確かに。デルフィーヌ様は国民の上に立つ意味と責任を、己の使命として理解している女性だ。
「そのデルフィーヌ様があなたに惚れ込んでいると聞いて、これは一度会うべきだと思っていた。だが、そんな悠長なことを言っているうちにこの事態だよ」
なるほどねぇ。
「そこまで有能な配下がいらっしゃるのに、なぜ私に? それに、第三騎士団に頼まないのはなぜでしょう」
「有能な配下が一ヶ月捜し回っても見つからないのだよ。あなたは最後の望みの綱なんだ。それと、第三騎士団には頼みたくない。このような私事で縋れば借りができてしまう。あの組織を動かしているのが誰なのかは知らないが、その人物についての噂は山と聞いている」
「どのような噂でしょう」
ローレンス様は指折り数えながら教えてくれた。
「冷酷、聡明、計算高い、国家への強い忠誠心、そして相応の見返りなしには動かない。金では動かないらしいがね。そのような人物に借りを作りたくない。借りを作ればこの先、他の娘やその夫が利用されるかもしれないからね」
「忠誠心が強いのであれば、大公家にも誠実なのでは?」
ローレンス様が「はっ」と笑った。
「第三騎士団の長がなにより大切に守ろうとしているのは、国であって王家ではない。王家は二の次のはずだ。ましてや大公家など、国家に組み込まれた歯車のひとつでしかないはずだ。それは第三騎士団の仕事ぶりを見ていればわかる」
私には特に反論する理由がなかった。だからローレンス様の依頼を引き受け、要塞のような大公家を後にした。






