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手札が多めのビクトリア 2 【書籍化・コミカライズ・アニメ化】  作者: 守雨
【新しきアシュベリー王国】

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93/145

93 始まり

 酒場『トパーズ』は若い男女を給仕係として五人雇っていた。

 薄暗い店内をすいすいと歩いて働いている彼らは、動作を見る限り戦闘要員ではない。カウンターの中にいる三十代後半の金色の髪に緑の瞳の男性はおそらく戦闘の心得がある。


 客席には客を装って長居している用心棒が五人。彼らの顔ぶれがたまに入れ替わる。控室にいるらしい用心棒を入れて常時十人は待機している。レッド・ロビンの情報では賭博場の営業時間には護衛が二十人になる。


 私は今、黒髪のカツラをつけ、平民の服を着てバーにいる。通うのはこれで四回目。ジェフは最初の頃こそバーの客になっていたが、ここ数日は二階の闇賭博場に通っている。

 彼は体格と銀髪で目立つし、筋肉の付き方から軍人か騎士であることは隠せない。だから、『貴族がお忍びで来ている』という設定で私とは別行動だ。

 

 ジェフが賭け事の合間に酒場に下りてくることもあるのだが、給仕の女性が素早くジェフに近寄っては笑顔で話しかけている。ジェフは美形な上に鍛えられた身体ですものね。女性が寄ってくるのはもう、仕方ない。


 私はカウンターの端の席、店の奥に近い席に座って、店内の様子を時折り眺めている。

 私が知る限り、メアリーはバーに下りてこない。外出する時はこのバーを通らずに、外の階段を使っているようだ。

 今夜はそろそろ引き揚げよう。必要な建物内部の情報は手に入れた。私が立ち上がると同時にバーテンダーが声をかけてきた。


「お帰りですか?」

「ええ」

「お気をつけて」

「ありがとう」


 ホテルに向かって歩いているとミルズがどこからともなく現れ、私から一定の距離を保って歩く。今日もミルズ以外の尾行はついていない。メアリーが雇っている用心棒は、切れ者が少ないようだ。

 やがてホテルに到着し、部屋に入った。少し遅れてジェフも帰ってきた。

 

 私たちが滞在しているホテルは、メアリーの経営するバーのすぐ近く。ゴール手紙小荷物集配所からは数ブロック離れた場所にある。そのホテルの一室で、私とジェフはメアリーの日常について、ここ十日ほどの間に知り得たことを話し合った。


「メアリーは驚くほど外出しないわね」

「深夜まで闇賭博場で客の相手をしているようだからな。たまに夕方から食事に出るが、あの時間帯は人目があるし、出かける先は繁華街ばかりだ。外出時を狙うのは無理だな」

「そうねえ。やはり彼女の寝室に入ることにしましょう。明日でいいかしら」

「俺は問題ない」


 私は窓辺に立って深夜の街を見おろした。深夜だから人通りはほとんどない。

 他の客の会話では、『トパーズ』は最近護衛を増やしたそうだ。私に報復されるのを恐れているのだろうか。だったら最初から私に手を出さなければよかったのに。メアリーは相変わらず行き当たりばったりに動いている。


 彼女は想定外の状態に陥ったとき、感情に引っ張られがちだった。そして判断を間違う。

 その場の思い付きで動いて失敗したときのメアリーの言い訳は「臨機応変に動くべきだと思った」というものだった。

 臨機応変は大切なことだが、彼女のとっさの判断は悪い結果を招くことが多かった。勘が悪い、ということだろう。


 メアリーは養成所を辞めさせられることもなく卒業して工作員になれたのだから、求められる能力はあったはず。だが同年代の他の工作員と比較して、メアリーには大きな仕事が与えられなかった。


「アンナ、どうした?」

「ううん、なんでもないわ。彼女が眠る時間は深夜の三時くらいから朝の十時まで。寝室はサイラスとは別。昼食はたまには外出して食べる。利用する店はそのときによっていろいろね。あなたの言う通り、やっぱり待ち伏せは無理だわね」

「俺が見る限り、バーと闇賭博場にいる用心棒の腕はたいしたことがなさそうだ。俺一人で十分対応できる」

「あの手の男たちは汚い手段を使うわよ?」


 ジェフが大丈夫だ、というように微笑む。


「安心して任せろ」

「わかった」


 何度も計画を頭の中で繰り返し、地図を見て逃走経路を何パターンも話し合って決めた。


「明日決行しましょう」

「素早く終わらせよう」

「ええ」


 眠れないかと思ったけれど、すぐにぐっすり眠れた。

 翌日の夜明前、私とジェフはトパーズに向かった。酒場は閉店して従業員は帰っているし、闇賭博場も終了してから時間がたっている。メアリーは今、眠っているはずだ。


 私とジェフは外階段から三階に上り、ジェフが見張る。私がドアの鍵を専用の道具で開けた。静かに廊下を進み、メアリーの私室を目指す。メアリーの部屋が三階の西の端なのは確認済み。廊下を曲がった突き当りだ。


 廊下の角を曲がる前にそっと覗くと、メアリーの部屋の前には椅子に座って腕組みをしている男が二人。二人とも腕組みして目を閉じている。


(二人だけか)


 背後のジェフを振り返り、指で(私が奥の男、あなたは手前の男)と確認する。ジェフが一度うなずき、長い指を立てた。一本、二本、三本と順番に立て、四本目のタイミングで同時に二人で飛び出した。


 二人の男は声を出すこともなく椅子から崩れ落ちた。護衛は残り八人。

 ドアを塞ぐように倒れている男たちをジェフが動かす。私はドアの鍵に取り組んだ。

 かちり音を立てて鍵が開く。ゆっくりドアを開け、私だけが入る。ジェフは見張りと護衛を引き受ける役だ。


 奥の寝室に続くドアを開けると、メアリーが肩肘をついて上半身を起こし、ぼんやりした表情ながらも目を開けてこちらを見ていた。残念。さすがに気配を察したか。


 私が走り寄る間にメアリーは素早くサイドテーブルからナイフを手に取り、無言で天井からベッドの脇にぶら下がっている紐を強く引いた。


 どこか遠くでカランカラン! と甲高いベルの音がしている。

 メアリーはナイフを構えたままゆっくりベッドの向こう側に下りた。

 

「クロエ、あんたはきっとここに来……」


 私は最後まで聞かずにメアリーに向かって飛び出した。

 メアリーが左手でガラスの水差しを投げつけてきた。それをかわして近づく。ベッドを挟んでメアリーと向かい合った。メアリーの顔が憎しみで歪んでいる。


 ナイフを構えたままのメアリーがベッドを回り込むようにじりじりと動く。私がその分距離を詰める。廊下を走ってくる重い足音が聞こえてきた。ジェフの出番だ。


 メアリーは足首まである白い夜着姿でさらに奥に通じるドアを開けた。背後からはジェフリーと駆け付けた護衛の男たちが激しく戦う音が聞こえてくる。唸り声やうめき声は護衛の声のみ。ジェフは無言だ。

 メアリーが寝室のさらに奥にあるドアを開けた。狭い部屋の質素なベッドに少女が寝ている。使用人だろう。メアリーは眠っていた少女にとびつき、腕を引っ張って乱暴に起こした。


「きゃああっ!」


 少女が悲鳴をあげた。メアリーは少女が慌てて頭を起こすと、彼女の首に腕を回してベッドから乱暴に引きずり下した。私を睨みつけながら首に回した腕で少女を引っ張り上げ、彼女を立たせる。少女は十五歳くらいか。


「ナイフをこっちの床に放りな。さもないとこの子の目を刺す」

「へえ」

「早く捨てろって言ってるんだよ!」

「相変わらずクズね」


 少女は何が何だかわからないという表情で口からヒューヒューと苦しそうな呼吸音を漏らし、脚をガクガクと震わせている。


 私は愛用のダガーを床に放った。メアリーはダガーの握りを足で蹴り、部屋の端に滑らせる。その間にも少女を抱えたまま後ろに移動している。背後は壁なのに。


「偽善者ぶりは相変わらずね」


 歪んだ笑顔でそう言うと、メアリーは少女を私に向かって突き飛ばした。そして部屋の隅にあるワードローブの扉を開けて中に飛び込んだ。駆け寄って中を覗くとワードローブには底がなく、穴が開いていた。下から空気が吹き上がってくる。


「こんなものが……」

「無事か?」


 振り返ると返り血を浴びたジェフが剣を手に立っていた。ジェフが私とクローゼットの穴を素早く見た。


「無事よ」

「抜け穴か。この真下は闇賭博場だな。行ってくる」

「私はこの中に」


 ジェフが無言で走って行く。私はダガーを拾い上げ、怯えている少女を残してクローゼットの中に入った。



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