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手札が多めのビクトリア 2 【書籍化・コミカライズ・アニメ化】  作者: 守雨
【新しきアシュベリー王国】

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92 カミラ・ゴール

「ノンナ、本当にここか?」

「うん。隠し金庫にあった手紙に、ここの住所が暗号で書かれていたもの」

「どうにも俺の予想とは違う感じだなあ」


 イルが納得いかない顔で建物を眺め、出入りする人々を見た。

 建物には「ゴール手紙小荷物集配所」と看板が掲げられている。窓が大きくて中の様子が丸見えだ。


「なんだか……ちゃんとしてるとこだね」

「ちゃんとしてるな。ここの人間がビクトリアさんの敵なのか?」

「と思ったんだけど、違ったのかも」


 道を挟んだ反対側、少し離れた場所でイルとノンナが小声でやり取りをしていると、建物のドアが開いた。スラッとした女性が近寄ってくる。


「こっちに来る」

「ありゃ心得のない人間だな。俺が対応するよ」

「わかった」


 赤い髪を肩のあたりで切り揃えた女性は、シャツとズボンという軽装でスタスタと近寄り、話しかけてきた。


「ノンナさん? 隣にいるのはイル君かしら?」


 ノンナとイルはぎこちなく会釈をしながらも、いつでも動けるようごくわずかに腰を落とした。それには気づかない様子で、女性は二人の真ん前に立った。


「お母さんから聞いているわ。きっとあなたたちが来るだろうって。私はカミラ・ゴール。あそこの責任者なの。さあ、いらっしゃい。疲れたでしょう。おなかは空いているかしら? ゆでた豚肉とパンはいかが? お茶かホットミルクも用意しましょうね。馬は入口の左側に繋いで」


 一気にまくしたてられ、ノンナとイルは戸惑いながらもカミラのあとについて建物に入った。広い部屋では五人の若い男女が手紙や小荷物を仕分けしている。そこを通り抜け、奥の部屋へと案内された。


「早かったわねえ。さすが彼女の娘だけあるわ」

「カミラさん、お母さんとお父さんはどこですか? ここじゃないんですか?」


 するとカミラは優しい笑顔で首を振った。


「あなたのお父さんとお母さんは、ここにはいません。用事が終わったらここに立ち寄るはずだから、それまでここで待っているといいわ」

「私、行かなきゃならないんです。お母さんがどこにいるのか、ご存じでしたら教えてください。お願いします」

「とにかく座って」


 二人が腰を下ろすのを待って、カミラは台所と事務所を往復し、二人の前にパンとゆでた豚肉の薄切り、バター、塩、ホットミルク、お茶を並べて椅子に座った。


「事情を説明するわね」


 カミラは二人が座るのを待って手で「どうぞ」と食事を勧める。ノンナとイルはホットミルクに少しだけ口をつけた。


「まず、ノンナさんが読んだ手紙を書いたのはあなたのお母さん。私の字をそっくり真似ていたと思うわ。彼女はあなたが追いかけるだろうと推測して、隠し金庫に自作の偽の手紙を置いてきたの」

「偽の手紙……には見えませんでしたけど」

「そりゃそうよ。あなたのお母さんは、その手の、ええと、その、なんて表現すべきかしらね」

「書類の偽造ですか?」


 イルが素早く口を挟んだ。


「簡単に言えばそう。あなたのお母さんは、書類の偽造に関して天才的に上手な人なの。あなたに見分けられないのは当たり前よ」

「あれが偽造……。カミラさん、お母さんはランダルに来ているんですよね?」

「そうよ。でも居場所を教える気はないわ。はっきり言わせてもらう。あなたのお母さんとは長い付き合いだけれど、彼女があなたを連れて来なかったのは、あなたを危険に晒したくないだけじゃないわ。あなたが足手まといだからよ」


 ノンナの顔から表情が消えた。


「傷つけたのならごめんなさい。でも彼女はそういう人よ。一番大切なことは何かの判断を間違えない人。たくさんの条件を考慮して、あなたがいないほうが仕事がしやすいと判断したの。その上であなたがきっと自分の後を追うだろうと予想して、偽の手紙を仕込んでここに誘導したのよ」


 茫然としてうつむくノンナの肩にイルが手を置いた。


「ノンナ、いただこうよ。俺は腹が減った」

「あ、うん」

「召し上がれ。食べながら聞いてね」


 カミラは優しい眼差しでノンナを見ながら話を始めた。


「私と彼女の付き合いは十六年になる。どうやって知り合ったかは言えないわ。いろいろあって、私は彼女のためにちょっとしたお手伝いをしているの」


 イルは黙々と食べながら話を聞いていて、ノンナはもそもそとパンを食べている。カミラはパンを追加したりお茶のお代わりを注いだりしながら話を続けた。


「彼女から仕事以外の手紙が来るようになったのは、あなたと暮らすようになってから。あなたがとても可愛いとか、賢いとか、嬉しそうに書いてあった。彼女自身は、覚えている限り、一度も親に逆らったことがないんですって。妹がいたし、家が貧しかったという話だから、親に気を使ったんでしょうね。だからあなたのことはのびのびと育てたいって、子供らしいわがままを言わせたいって書いてあった」

「わがまま、ですか」

「ノンナさんと暮らし始めたばかりのころに、仕事先の学者さんがノンナさんのことを『行儀が良くて静かで聞き分けがいい』って褒めたんですって。そのとき、彼女は胸が痛んだそうよ。『あの子がいい子なのはいい子でなければ生きられなかったからで、好きでいい子だったわけじゃない。それを忘れていた』って、とても反省していたわ」


 ノンナが無言なので、イルがチラリと隣を見ると、ノンナは涙をこぼしながらパンを食べていた。カミラがハンカチを差し出し、受け取ったノンナが頬を伝う涙を拭いた。


「彼女は家族を大切にすることが生きがいなの。お母さんの好きにさせてあげてほしい。もしこれが十年後で、彼女が四十四歳であなたが二十三歳ならあなたに行き先を知らせたけどね。今はだめ。私は彼女の判断を尊重します。ノンナさん、あなたがどうしても彼女の役に立ちたいのなら、次の機会ね。次の機会なんてないに越したことはないけど。それまでせっせと腕を磨いたらどうかしら」


 ノンナはパンを噛みながらコクリとうなずいた。


「わかってくれてありがとう。泊まる部屋は用意してあるわ。言っておくけど、ここから勝手に出かけることは私が許しません。彼女が戻ってくるまであなたを預かるのが、私の役目ですからね」

「それは大丈夫です。俺が責任をもってノンナとここでビクトリアさんを待ちますから」

「そうしてくれると助かります」


 すっかり元気をなくしたノンナに、カミラは優しい目を向けた。


「私、暗号にかけてはなかなかなのよ? どう? ここにいる間に、暗号の勉強でもしてみない? 二人ともランダル語は使えるの?」

『私は問題なく話せますし、読み書きもできます』

『俺は簡単な会話ならどうにか』

「うん! 二人とも上手。これからは私もランダル語で話すわね。きっとあなたたちが来るだろうと思って、暗号を解く練習にちょうどいい文章を書いておいたわ。それぞれ違う暗号を使っているの。解読できたらビクトリアさんの若いころの話をしてあげる」


 今まで聞いたことがないビクトリアの過去の話を聞ける、とノンナの顔が急に明るくなった。カミラはそれを見て満足げにうなずいた。


「ノンナさん、ビクトリアさんの自慢の娘でいてあげて。あなたが子供でいられるのはあと数年だけだわ。あなたくらいの年頃は、すぐに大人になっちゃうんだから」

「……はい」

「私にも子供がいるの。十八歳と十五歳。そのうち帰ってきたら紹介するわね。さ、まずはひと休みしなさいな。暗号はそれからでいいわ」




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