80 エドワードの顔色
馬車の中は沈黙が支配している。
私も無言だし第三騎士団の人もなにもしゃべらない。静まり返ったまま馬車は進み、夜はごく普通に宿に泊まる。
ドアの前には椅子に座った男性が『護衛です』という風情で見張っているが、私が逃げるとは思っていないようだ。
私は逃げるつもりはないし、そんな理由もない。
出される食事は遠慮なく食べ、飲む。
(エドワード様、どういうおつもりなのかしら)
一応そう思うことは思うが、わからないことを考えても無駄に消耗するだけだ。私は室内で一人で運動をして身体がなまらないように心がけた。
私を乗せた馬車は、二週間かけて深夜の王城に到着した。
諸制度維持管理部に連れて行かれるのかと思ったが、私が連れて行かれたのは、お城の西棟だ。
会議室や招待された他国の貴族が使う客間が集まっている棟。
つまり、戴冠式を終えた今はあまり人の気配がしない場所だ。
一室に案内され、そこで一人にされた。
ベッドと小さなテーブル、いすが二脚。それだけ。絵も飾られていないしカーテンが無地の黒。倉庫代わりの部屋だったらしい。
さほど待つこともなく足音がしてドアが開き、エドワード様が入ってきた。
「手荒なことをして申し訳なかったね。とても急いでいたものだから」
「丁重に扱ってもらいました」
私は最小限のことだけをしゃべるようにした。
エドワード様は椅子を運び、私の真ん前に置いて座った。
「さっそくだが、君が接触した人物について教えてほしい」
「接触した人と言われましても、一ヶ月の間にはたくさんの……」
「ああ、いいよ、わかっているから。話してほしいのは、ハグルの特務隊元室長のランコムのことだ」
なんだ、ランコムという工作員名ももう把握済みでしたか。ミルズが報告したのかしら。
さて、私はどこまでしゃべるのが正解だろうか。あの日のことだけ? それとも私がランコムを見限ったところから? それとも、八歳でランコムに声をかけられたところからだろうか。
「我が国のとある貴族が、大切な情報を他国に売っていた。その貴族の使用人が、ハンフリー・エイデン。マグレイ伯爵が通訳として何度も使っていた男だ」
「その人は突然姿を消したと聞きました。私は会っていません」
「それは知っている。ハンフリーが情報を売っていた相手がランコムなんだ。ランコムは捕まえることができなかったんだよ」
ああ、ランコムが言っていた行方不明の人物は、やはりマグレイ伯爵が使っていた通訳だったのか。
だが、おかしい。
私がランコムと接触したのを知っているエリザベス嬢は、父親と一緒に拘束された。では誰が私とランコムの接触をエドワード様に報告したのか……。
そこまで考えて、私とランコムが二人きりで会話したことを知っている人物に思い当たった。
「なるほど。マグレイ伯爵家の護衛は、第三騎士団員でしたか。ずいぶん丁寧な潜入捜査をさせているんですね」
エドワード様は毛ほども表情を動かさず、私を見つめて上品に微笑んでいるだけ。
「ビクトリア。面倒なやり取りをしている時間があまりない。我が国に甚大な損失を与えかねない貴族を、一刻も早く捕まえねばならないんだ。使用人のハンフリーが戻らなければ、伯爵が怪しんで証拠を隠滅する可能性がある。君が接触した人物が、間違いなくハグルの工作員だと証言してほしい」
「どこで、誰に対して証言しろとおっしゃるのでしょう」
「新国王のコンラッド陛下と宰相と裏切者の前でだ」
「そのためだけに私を拘束したのですか?」
「そうだ。ハンフリーは情報を売っている相手の正体を知らなかった。シェン国産の自白剤を使ったが、だめだった。ハンフリーの主を拘束するには、もっと確たる証拠が必要だ」
「なぜあのような手段を使ったのか、説明してください。私たちが王都に戻ってからでも事足りた話ではありませんか」
エドワード様が小さくため息をついた。
普段なら義理の妹である私はこんな強い態度には出ないのだが、ノンナを巻き込んだことが許せなかった。ノンナが私のことをどれほど心配したか、私が離れている間にノンナになにかあったら。そう思うと、ふつふつと怒りが湧いてくる。
「何者かが君たちの馬車を狙って、ランダル王国内で五十名をゆうに超える傭兵を集めていた。我々が先に君たちを確保しない限り、君たちの命を守り切れたかどうか」
私は慌てて立ち上がった。ガタタッと椅子が音を立てる。
私は怒鳴りたいのを我慢した。大声を出さないよう奥歯を食いしばったままエドワード様に尋ねた。
「ノンナは? あの子は無事なんですよね? それとも傭兵の集団に襲われてしまったんですか?」
「無事だ」
「本人を見せてくれるまでは、信じません。何を聞かれても答えません」
「ビクトリア。落ち着きたまえ」
エドワード様を睨みつけながら、ゆっくりと椅子に座った。
「君たちが国境近くで待ち伏せされているという情報が入った。だから主要な街道から外れた旧道で帰ってこさせた。ノンナとイルは馬車ではなく馬に乗って王都まで戻っている」
「ノンナに会わせてください。まずはそこからです」
「ビクトリア、話を聞いてくれ。君が会ったのがランコムだと証言しないのであれば、陛下と宰相が見ているところで君に自白剤を使わなければならない」
「使えばいいのでは? 私は困りません」
「だめだ。君はあの薬の効果を知っているだろう? 君が薬剤に対してどの程度耐性があるかわからない。過剰に自白剤を投与して、余計なことまで君がしゃべってしまう事態は防ぎたい。君は我々が欲しい情報だけを渡してくれればそれでいいんだ」
「ノンナの無事を確認したら話します」
そこからは私もエドワード様も無言。
(ノンナとイルが戻っていると言うのなら、無事なのだろう)そう冷静に思う私と、(ノンナになにかあったとしたら、傭兵も、傭兵を雇ったヤツも、あなたも、全員許さない)と凶暴な怒りに我を忘れそうな私がいる。
エドワード様の顔を見ながら待った。
睨み合いが続いたあとで、エドワード様は「はぁ」とため息をついてからドアのところへ行き、ドアの外の誰かと二言三言会話してから、また椅子に座った。
耳を澄ませていると、外に軽やかな小走りの音。思わず立ち上がり、ドアを見つめていると、ノックもせずにドアを開けて飛び込んできたのは、ノンナだった。
「お母さん!」
「ノンナ……無事だったのね!」
「うん。あのあと、私は馬に二人乗りして帰ってきたの。イルも他の人と二人乗りだった」
「そうだったの。ああ、よかった。あなたが無事でよかったわ」
ノンナを抱きしめ、何度も頬にキスをした。
さっき、ノンナが見捨てられて殺されてしまったのかと思った。
その瞬間、私はエドワード様に対して強烈な殺意を持った。気づかないでいてくれたら助かるが、おそらく気づいただろう。
コホン、とエドワード様が咳払いをした。
「ビクトリア、これで交渉に応じてくれるかい?」
「はい、エドワード様」
私は組織で叩き込まれた「愛想のいい、善良そうな笑顔」をエドワード様に向けた。
「ありがとう。シェン国行きの経緯まで陛下の前でしゃべられたら、私は公私混同の罪で辞職しなければならないところだった」
「まあ、エドワード様、それならそうと先におっしゃってくださいませ」
愛想よくそう答えると、エドワード様は一秒の半分ほどの時間、私を呆れたような表情で見た。
「では、しばらくここで待っていてほしい。陛下と宰相と裏切り者の前で、私の質問に答えてもらう」
「はい、わかりました。では、ノンナを家に帰してくださいませ。できれば私が帰宅するまでは、ノンナに護衛を二十名ほどつけていただけるとありがたいのですが」
「わかった。我が家の護衛をつけておこう」
「ありがとうございます」
全力で笑顔を作ったが、エドワード様の顔色が悪い。
たぶん私の放った殺気のせいだと思うが、傭兵の話を聞いたときは、義理の妹という立ち位置なんかどうでもいいと思ったのだから、仕方ない。
それにしても、私を狙って傭兵を集めたのは誰だろうか。
ランコムがハグルの国王に私のことを知らせたのだろうか?
違う、と私の勘が否定するが、他に思い当たる人物がいない。






