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手札が多めのビクトリア 2 【書籍化・コミカライズ・アニメ化】  作者: 守雨
【新しきアシュベリー王国】

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79 再会

 本心は全力疾走したいところだけれど、あちこちに『飲食禁止』『走らないこと』と貼り紙がしてある。私はできる限りの早足で子供たちのところへと急いだ。

 やがて前方にノンナとイルが護衛と一緒にいるのが見えた。


「お母さん!」

「ノンナ、ごめんね。なんでもなかった。視線を感じたと思ったのは、気のせいだったわ」

「そうなの? よかった!」

「エリザべス嬢は? 護衛と一緒なのね?」

「うん、一緒だよ。あ、来た。エリザベス、こっちだよ」


 笑顔のエリザベス嬢と、彼女の家の護衛が歩いてくる。

(よかった。全員無事だ)

「アッシャー夫人! この美術館、展示品が充実していて素晴らしいですわ。イルさんにくっついて来てよかったです!」


 笑顔のエリザベス嬢と護衛、その後ろから……茶髪の男性が歩いてくる。


 ランコムだった。


 ランコムは笑顔でゆったりこちらに向かって歩いてくる。

 いつかきっと再会するだろうと思っていた。

 ランコムを見つめ続ける私。

 ランコムは嬉しそうな、懐かしそうな顔をして、私に近寄ってくる。

 会いたくなかったけれど、会えばこんなにも懐かしい人。


「お母さん? どうしたの?」

「どうもしないわ。大丈夫よ、ノンナ」


 ランコムに一番近いのはエリザベス嬢。だからここで事を構えるわけにはいかない。


「アッシャー夫人、こちらは旅行客のハリーさんですわ。私に焼き物について説明してくださいましたの」

「初めまして、アッシャー夫人」

「初めまして。ええと?」

「ハリー・ノットと申します。アッシャー夫人」

「ノットさん、あちらの部屋にはどんなものが?」

「花瓶が並んでいましたよ。すばらしい作品ばかりでした。一緒に見に行きませんか?」

「ええ、ぜひ。お願いしますわ、ノットさん」


 流れるような会話を重ね、私とランコムは隣の展示室に向かった。

 振り返って笑顔で小さく手を振ると、エリザベス嬢とイルが笑顔になった。ノンナだけが心配そうな表情だ。

(だいじょうぶよ)と口の動きだけで伝えた。

 ノンナは不安そうな顔をしながらも小さくうなずき、私を見送っている。護衛二人は笑顔で私を見ている。


 隣の展示室には様々な国の焼き物が飾られていた。白くて大きな花瓶、黒い壺、絵を描いた皿。

 見るからに価値のありそうな品々が四角い大理石の台の上に飾られている。

 私とランコムは微妙な距離で並び、壺を眺めている。


「クロエ、君はきっと生きていると思っていたよ」

「そうですか」

「なぜ姿を消した?」

「わからないのね?」


 私はきっと悲し気な笑顔をしていることだろう。ランコムは、そんな私を眺めながら顔を曇らせた。


「家族のことか?」

「家族の死を知らせないまま、私を働かせたわね」


 怒りではなく、強い悲しみが込み上げる。

 私はランコムを兄のように慕っていた。ランコムに喜んでほしくて働いていた日々が、奔流のように記憶の箱からあふれ出てくる。


「すまなかった。君はあの頃、立て続けに重要な任務に就いていたから……」

「知らせたら私が仕事を失敗すると思ったのね」

「私の判断は間違っていたんだね。すまなかった」


 私はランコムを見た。六年半の間に、ランコムはずいぶん白髪が増えていた。


「ランコム、家族が死んでしまったら、私にはあなたしかいなかった。ちゃんと家族の死を知らせてくれていたら、私はあなたのために、さぞかし全力で働いたと思うわ」

「そうか」

「でも、全ては終わったことだわ」

「そうでもない」

「どういうこと?」


 私は上着の中に隠してあるダガーをいつでも使えるように握り直した。


「ランダル国からの旅行者ビクトリア・セラーズは、強盗殺人の被害者で、この世から消えたことになっている。しかし陛下は疑わしいと思っているようだ」

「私を殺せと命じたのは……」

「陛下だよ。私は君が戻ってくると訴えたし、戻ってくることを期待していた。けれど、どうやら君にその気はなさそうだ」

「あそこでまた働く理由が、私の中にあると思う?」


 ランコムはそれには答えず、私の顔を見た。


「クロエ。幸せそうだな」

「ええ、幸せよ。初めて手に入れた幸せなの。この幸せを奪おうとする者は、どんな相手でも、絶対に容赦しないわ。ランコム、絶対に、よ」


 そこでランコムは「ふふ」と笑った。子供のころから見慣れている、穏やかな笑い方だ。


「私は君から宝物を取り上げたりはしないよ」

「そう願いたいわね」

「気をつけることだ。君は仲間に見つかり次第、処分されるだろう」

「ええ。そうでしょうね」

「僕はそろそろ国に帰るよ」

「そう」

「取引相手が姿を消したからね。事情はもう、知っているんだろう?」


 なんのこと?

 取引相手が姿を消した……マグレイ伯爵の通訳も行方知れずと言っていた。同一人物ということだろうか。

 だが、私が気づいていなかったことを、ランコムに知らせてやる義理はない。


「さあ、なんのことか、さっぱり」

「ふふ、そうか。私は子犬に付け回されるのにも飽きたからね。帰るよ」

「そう。それもなんのことか、さっぱり」


 ランコムはほんの一秒ほど私の目の奥を覗き込み、クシャッと笑って視線を外した。私からは見えない彼の左手にはきっと、バタフライナイフが握られているのだろう。


「君は相変わらずダガーを愛用しているのかい?」

「ええ。あなたもバタフライナイフを?」

「ああ」


 ランコムはノンナたちがいる部屋とは反対の方へと歩き出した。そして数歩歩いてから振り返った。


「クロエ。君は私の自慢の教え子だった」

「そう」


(あなたは大切な兄のような人だったわ)


 声には出さない。

 次に会うときは、殺し合う状況かもしれない。だから、胸の中に湧き起こったこの感情を、言うなら今だ。


「ランコム。あなたも幸せを知る日がくるといいわね」

「クロエ、私たちにとって、平凡な幸せは……猛毒だ。私は遠慮しておくよ。じゃ」


 後ろ姿で右手を上げて、ランコムはいなくなった。


「ビクトリアさん」

「はい? あら、イル、どうしたの?」

「今の人、何者ですか? 動きに隙がなくて、あれ? と思っていました」

「さあ、知らない人。旅行客ということしかわからない」

「そうでしたか」


 イルは納得をしていないような顔でノンナのところへと戻って行った。

 私はその日、子供たちから離れなかった。

 ノンナの誕生日の贈り物も、ノンナを連れて買いに行った。ノンナは猫の形に削られた水晶のペーパーウェイトを睨んでうんうん唸っていたから「二つ買ってあげるわよ」と言うと「むふぅ」と花がほころぶように笑った。


 エリザベス嬢は「本人が見ている前で買うのも驚きだし、本人に選ばせるのも驚きです」と言っていたが、「これが我が家のやり方だからいいの!」とノンナに言われて納得していたようだ。

 その日ずっと子供たちと行動し、夕食はマグレイ伯爵と一緒に五人で食べた。


「アッシャー夫人のおかげで、商売は順調に進めることができました。大変お世話になりました」

「少しでもお役に立てて、なによりでしたわ」


 通訳の男がランコムと関係していたかもしれない。その話は、もちろんしなかった。

 伯爵がなにも知らなければ、もし男との関係を疑われても真っ白な心で対応できるはずだ。

 夜、部屋に戻って思わず独り言をつぶやいた。


「エドワード様に、報告すべきかしらね」


 声に出してからそっとノンナの方を見たけれど、ノンナはぐっすりと眠っていた。

 翌日から、私があまりに子供たちから離れないので、ノンナは怪しんでいるようだった。


「お母さん、なんか変だよ。やっぱりあの男の人となにかあったんじゃないの?」

「なにもなかったってば。ノンナ、考えすぎよ」


 私は何も話さなかった。

 ノンナにだけはあの組織と関わってほしくない。その思いだけで動いていた。

 ランダル王国での、のんびりした観光三昧の日々は流れるように過ぎて、あっという間に一ヶ月がたった。私たちは明日、帰途に就く。


「一ヶ月ってあっという間だったね、お母さん」

「そうね。あっという間ね。きっとジェフが首を長くして待っているわよ」

「お父さんにも他のみんなにもお土産を買ったし、もういつでも出発できるよ」


 私はお世話になっている方々に、ランダル王国特産の水晶のアクセサリーとカフスボタンを買い、アシュベリーを目指してホテルを出た。

 順調に旅は進み、国境を越えてアシュベリーに入った。

 アシュベリーに帰国して数時間たったときのこと。街道沿いの森の脇を通っている私たちの馬車は、森から現れた黒づくめの男たちに囲まれ、マグレイ伯爵、エリザベス嬢、私の三人が拘束された。


「お母さんっ!」

「大丈夫よ、ノンナ、落ち着いて」


 ノンナが殺気立っている。あの子が周りにいる男たちをなぎ倒したら厄介だ。私は全力で「なんでもないわ、大丈夫」と朗らかな笑顔をノンナに見せた。


「アッシャー夫人、ご同行願います」

「理由は?」

「それは目的地についてから説明いたします」

「そう。拒否権はないのですね?」

「はい」


 私たちに対する対応は丁寧だったし、私が子爵夫人であることもわかっているようだった。だから私はそれほど慌ててはいなかった。


「ノンナ、心配はいらないわ。なにかの間違いだと思う。あなたは家に帰りなさい。ジェフに報告しておいてね。イル、ノンナを頼みます」

「わかりました」


 私は黒塗りの馬車に乗るよう言われ、伯爵とエリザベス嬢とは別の馬車に乗った。私と一緒に乗った男性に見覚えがある。軍が反乱を起こしたときに一緒に行動した第三騎士団の一人だ。

 その人に話しかけた。


「このこと、『部長』はご存じなのかしら」

「ええ、部長の指示ですので」


 なるほど。いよいよエドワード様と向かい合うときが来たようだ。




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