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手札が多めのビクトリア 2 【書籍化・コミカライズ・アニメ化】  作者: 守雨
【新しきアシュベリー王国】

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77 行方不明の男

 マグレイ伯爵に通訳と仕事の繋ぎを取ってくれる人物が行方不明では、ここまではるばる来たことが無駄になる。

(通訳なら私が)

 ランダルではただのんびり遊んですごそうと思ったけれど、じっとしているのが苦手な私にはちょうどいい。


「もしよろしければ、私が通訳を務めましょうか? ランダル語なら、不自由なく話せます。お仕事の足手まといにはならないと思います」

「本当ですか! それは助かります! アッシャー夫人、ぜひお願いしたい」

「はい、喜んで。それで、ご商売のお相手はどなたですか?」

「ランダル王国の子爵、クレイグ・リーン子爵様です。通訳をお願いするのですから、商売の内容をお知らせいたします。どうぞ心に留め置いてください」


 マグレイ伯爵が要点を教えてくれた。その会話だけでも伯爵が頭の回転が速い人だとすぐにわかった。

 商売の知識がほとんどない私でもわかるように簡単な言葉を使い、噛み砕いて説明できる人は、自分がなにを話すべきか、ちゃんとわかっている人だ。


 ランダル王国のクレイグ・リーン子爵の領地では豊富に水晶が採掘されるのだそうだ。マグレイ伯爵は水晶の原石を大量に買い付けてアシュベリーに運び、研磨してアシュベリーの女性たちに人気のアクセサリーを作って売る予定だそうだ。

 私はテーブルに積んでおいていた刺繍の本を見た。森の民の間に入って模様を集めたアシュベリーの女性とは、どんな人だったのだろう。興味深い。


「アッシャー夫人、では今夜にもクレイグ・リーン子爵と夕食を兼ねて顔合わせをしたいと思います。ご都合はいかがでしょうか」

「私の方はいつでも大丈夫ですわ。喜んで通訳をいたします」


 私は部屋に戻り、さっそく刺繍の本を開いた。ページをめくり、たくさんの柄の中から大小の四角と円を複雑に組み合わせた柄を選んだ。


「うん、これがいいわね。ノンナのドレスの裾にこれを刺繍したら映えるわ。あの子、花柄よりこういう柄のほうが喜びそう」


 アシュベリーから運んだ荷物の中から、刺繍の道具一式を納めてある箱を取り出した。淡い水色に鮮やかな青の刺繍糸がいいだろうか。それとも新緑の緑と夏の緑を組み合わせようか。以前は考え事をするときにはカツラを手作りしていたが、もうカツラの出番はないだろう。

 これからは考え事をしたいときは刺繍をするつもりだ。


 はるばる運んできた水色の布に柄を書き写し、新緑の緑から刺繍をし始めた。娘が嫁ぐときに持たせるドレスは、母親が刺繍をするのがアシュベリーの風習だ。高位貴族の夫人であっても、刺繍専門の使用人がいる場合でも、母親は娘の幸せを願って必ず少しは針を刺す。

 私とノンナは、今ではすっかり母親と娘だ。私が最後まで刺繍をして新婦になるノンナに贈りたい。


「ノンナの母親は、どうなったのかしらね。あの子を捨ててまで選んだ誰かと、幸せに暮らしているのかしら。あの子の哀しみと引き換えに手に入れた幸せが、続いてくれているといいけれど」


 ヨラナ様の家のスーザンさんは、ノンナをとても可愛がっているだけに、何度か私にこう言ったことがある。


「あんなに可愛いノンナを捨てた母親には、神様の罰が下るといいんですよ。いえ、きっともう罰が下されているに決まっています」


 私はそれを聞くたびに曖昧に困った笑顔を浮かべる。

 ノンナをどこかに預けることもせずに広場に置き去りにしたことは許されることではないが、そんな配慮もできないくらいに母親が平常心を失っていた可能性はある。


 私の両親だって、一家四人が飢え死にしそうなほど追い詰められたら、私とエミリーをどうしていたか。


 今日死ぬか明日死ぬかというほど追い詰められている人間の心は、明日の食べ物の心配がない人には理解できないものだ。

 お金と引き換えに私をランコムに渡した両親だって、好きでそうしたわけじゃないのはわかっている。

 そこでハッと我に返り、深呼吸を繰り返した。


「どうしてここに来てからずっと、昔のことばかり思い出すのかしら。よくない傾向だわ。さ、刺繍に専念しましょう。夕食までには少しは進めておきたい」


 私は鮮やかな緑色の刺繍糸を針に通し、最初の模様に刺した。

 途中、マグレイ伯爵の使用人が夕食の詳細について連絡に来た。このホテルのすぐ近くのレストランに個室を予約したそうだ。


 控え目なデザインのドレスを選び、筆記用具をバッグに入れた。インクは親指ほどの小瓶に入れてきっちり蓋をした。メモ用の紙も入れた。


「よし、準備完了。あとは時間が来るのを待つだけね」


 約束の時間は夜の七時。ノンナたちの護衛から連絡が来て、夜の八時までは移動遊園地とやらで遊んでから戻るのだとか。

 私はマグレイ伯爵と一緒にレストランに行くことを護衛に伝えて、部屋を出た。


 レンガ造りのレストランは二階建てで、マグレイ伯爵と私はすぐに二階の一番奥の個室へと案内された。

 

 ほどなくしてクレイグ・リーン子爵と彼の通訳が到着した。

 挨拶はマグレイ伯爵がしたが、その先、食事中の会話からは私が通訳した。


「マグレイ伯爵、遠いところをお越しくださり、ありがとうございます」

「こちらこそ通訳のハンフリーが行方知れずで時間を遅らせてご迷惑をおかけしました。こちらのアッシャー子爵夫人が代わりに通訳してくれます」


 自己紹介のあとは、大人同士の礼儀を守った上品な会話が続いた。食後のお茶が出て、そこから先はひたすら商取引の話になった。私はバッグから紙とペンを取り出し、大切なポイントは漏れがないように書き留めながら通訳に徹した。


 ひと通りの取引条件をまとめたところで、マグレイ伯爵が雑談を話し始めた。


「今回通訳を務めるはずだったハンフリーはいったいどこにいるのか。自宅にはおらず連絡も取れず。ランダルは治安がいい国なので、事件ではないと思いたいものです」


 それを聞いたリーン子爵が言いにくそうに話し出した。


「マグレイ伯爵はあの通訳の男を信用していたようなので口を出さずにいましたが、彼はどうも危うい気がします。一度、王都一の高級レストランで、彼が年下の男と二人で食事している場面を見かけました。平民が使うには、高級過ぎる店だったのです。相手の男が支払いを持つのだろうと思いました」


 マグレイ伯爵が目に見えて不安そうになった。


「リーン子爵、それで?」

「彼が通訳の守秘義務を守る男なのか不安に思ったので、ハンフリー・エイデンの身元を調べさせました。ハンフリー・エイデンというのは偽名でしたよ。王都の住民にその名前の人間は二人。少年と若者でした。あの年代の男はいませんでした。彼が住んでいると言っていた集合住宅に、そんな男はここ十年、住んでいないのも確認しました」

「ええっ」

「どうやら偽名で小遣い稼ぎの通訳をしていたようです。ただの小遣い稼ぎならまだいいのですが。マグレイ伯爵、重要な情報を彼に渡していませんよね?」

「ええ、さほど重要なことはなにも」


 そこまで通訳して考え込んだ。

 事件の匂いがするけれど、首を突っ込むのはやめておこう。ハンフリー・エイデンの顔も本名も知らない状態では、捜しようもない。それに今はまだ事件かどうかもわからない。


 仕事の通訳を無事に終えてホテルに戻ると、ノンナが待っていた。


「お母さんお帰り。移動遊園地、すっごく楽しかったよ。普通の何倍もあるブランコとかシーソーとか、転がして競争する大樽とかがあったよ。とっても楽しかった。移動遊園地、アシュベリーにも来ないかなあ」

「楽しかったのね。よかったわ」

「それでね、大通りでミルズを見たよ。ミルズは多分尾行中だったから、声はかけなかったけど」

「ミルズ? 第三騎士団のミルズがここに来ているの? そして尾行中?」

「うん。茶色の髪の男の人を尾行してた。ブランコが高い場所にあったから、大通りがよく見えたの」

「ちょっと待った。あなた、尾行かどうか、なぜわかったの?」

「あ」

「私はノンナに尾行については何も教えてない」


 ノンナが目に見えて落ち着きを失った。私の顔をまともに見られない。


「チェスターさんに教わりました。お母さん、チェスターさんを怒らないで? 私、すごく楽しかったんだから」

「教わってしまったことは仕方ないけれど、尾行は鬼ごっことは違うの。気づかれたら一気にあなたが危険になる。ノンナ、尾行を実際に試さないって約束してくれる?」

「……はい」


 一度チェスターさんと話し合わなければ。私が影役の間に、何をどれだけノンナに教え込んだやら。さっきまで楽しそうだったノンナがしょんぼりしている。気持ちを切り替えなくては。


「遊園地の話を聞かせて? イルも楽しんでくれたのかしら」

「うん、イルがね、ナイフ投げで歴代最高得点を出したんだよ。景品のナイフを貰ってたの。とても自慢げな顔をするから笑っちゃった。エリザべスは、イルのナイフ投げがかっこいいって、ずっと小声ではしゃいでた」


 着替えの手を止めてノンナを見た。


「ノンナ、あなたまさか」

「ナイフ投げなら、やってないよ。せっかくイルが歴代最高の点数出したのに、そのあとで私があっさり記録を更新したら悪いでしょ?」

「あら。大人になったわね」

「まあね。明日で十三歳だし」

「覚えてたの」

「誕生日はお母さんと私が出会った日だもん。大切な記念日だから忘れないよ」


 ノンナは保護した当時、自分の誕生日を知らなかった。かろうじて六歳という本人の言葉を信じて六歳としたけれど、小柄だったからもしかしたら五歳だったかもしれない。小柄なのが五歳だったからなのか、栄養も運動も足りていなかったからなのかは私にもわからない。

 出会った日をノンナの誕生日に決めて、毎年その日に贈り物をして、子羊のローストを焼いている。


 ノンナと二人で同じベッドに入り、移動遊園地がどんなものなのか、食べ物は何を売っていたのか、働いている人たちがどんな仕事をしているのか、話を聞いてから眠った。

 明日はノンナにプレゼントする品を買いに行こう。

 

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