75 マグレイ家と同行の計画
ジェフリーは毎日帰りが遅い。
だが今日は夕食に間に合う時間に帰宅した。
「おかえりなさい、ジェフ。今日は早いのね」
「ああ、君と話し合いたくてね。君は戴冠式の一ヶ月前には、ここを離れたほうがいいと思うんだが」
「そうね。私もどこか離れた場所にノンナを連れて出かけようと思っているの。でも、王都以外となると、公爵領のカディスしか知らないから迷ってる。私は公爵領出身ということになっているから、逆にあそこには近寄らないほうが安全じゃないかしら。『あなたはいったいどこの誰だ。本当にここの出身か』と言われかねないもの」
「そうだな」
床に座り込んで、アシュとベリーを遊ばせていたノンナが顔を上げた。
「あのね、お父さん、お母さん。私、エリザベスにランダル王国に一緒に行かないかって誘われているの。エリザベスの家は、商売で成功しているでしょう? 結構頻繁にランダル王国まで往復しているんだって」
「マグレイ伯爵は、仕事で行くのにエリザベスを連れて行っているの?」
「エリザベスの話ではね、あの子のお父さんはランダルの大きな商会の跡継ぎとエリザベスを結婚させたがっているんだって。わりと最近までエリザベスは乗り気だったんだけどねぇ」
そこでノンナが微妙な笑顔を浮かべた。
「なあに、その顔は。なにか言いたいなら言葉にして言いなさい。悪い顔になっているわよ」
「この前、エリザベスの耳元で、天使がラッパを吹いちゃったでしょう? 今のエリザベスは、ランダルの商会の息子に嫁ぐのは、気乗りしないみたいなんだよね」
天使のラッパの相手とはイルのことなのだろうけど、イルは無理だろう。いずれシェン国に帰国する身だし。だが、今からそんな先の話を心配しても仕方ないか。
「それで?」
「だから私を連れて行って、『この子にランダル王国を案内しなければならないので、忙しいんですの。ごめんあそばせ』って相手の男の子に言うつもりだと思う。私、エリザベスが考えることは、だいたいわかる」
黙って聞いていたジェフが私を見る。私もジェフの目を見る。
ランダル語なら、私もノンナも問題なく話せる。戴冠式の前後に余裕を見て、ランダルに避難するのもいいかもしれない。
「なになに? お父さんもお母さんもなんでそんな顔をしてるの?」
「まだ内緒。ねえ、ジェフ、各国のお祝い客が来たら、私も夜会に参加しなきゃならないのよね?」
「どうかなあ。軍務大臣は夫人を連れて参加するだろうが、俺は実務担当だからね。明日、コンラッド殿下に確認してくるよ」
「ええお願い。『夜会は出ません』と頑なに言い張るのも逆に貴族たちの憶測を呼ぶでしょうから」
「ああ、わかった」
翌日、ジェフはコンラッド殿下に「自分と妻は夜会に参加しなくてはならないのか」と尋ねたそうだ。ジェフが話してくれたコンラッド殿下とのやり取りはこんな感じだったらしい。
◇ ◇ ◇
王城の殿下の執務室で、二人きりで話し合うジェフリーとコンラッド殿下。
「アッシャー夫人は二か月間も休みなしでデルフィーヌを守ってくれたからね。影を務めただけじゃない。反乱軍に見つかったときは、夫人自ら軍人を相手に戦ったそうじゃないか」
「はい」
「そこまで尽力してくれた夫人には褒美が必要だな。夜会など、出たがりの貴族たちに任せておけばいい」
「殿下、では、妻は夜会に顔を出さなくてもよろしいのですね?」
「そんなに確認しなくても大丈夫だよ。約束する。夫人は他国の人間と顔を合わせたくないんだろう? 戴冠式の一ヶ月前から好きなところで休養を取るといい。そして祝いの客たちが全員帰国してからアシュベリーに戻って来ればいいさ」
「殿下、ありがとうございます!」
「僕はジェフが近くでしっかり仕事をしてくれれば、それで満足だよ」
◇ ◇ ◇
「ということになった」
「まあ!」
「君は頑張ったからね。このくらいの褒美は当然だな」
ジェフリーは間違いなく軍務副大臣の仕事で忙殺されるだろう。そんなときに長期の旅行に出かけるのは気が引けるが、私がハグルの使者に姿を見られるくらいならこの国にいないほうがいい。
「ノンナ、私とノンナも一緒にエリザベスのお出かけに同行させていただきましょうか」
「いいの? お母さんと一緒にランダル王国に行けるの? やった! 王都だよね? 牧場と港町は行ったけど、王都は行っていないから楽しみ!」
「そうね」
「明日、さっそくエリザベスに知らせてくる」
影役は自分のために引き受けたけれど、あの時の決断がこうして回りまわって自分を助けてくれることがありがたい。
「私が一緒に行ってご挨拶してもいいかしら?」
「もちろんだよ! ……違った。もちろんですわ。お母様はデルフィーヌ様のお気に入りってみんな知ってますから。エリザベスのご両親だって歓迎してくれますわ!」
「だといいわね」
翌日、ノンナの言葉の意味を身をもって理解した。
エリザベスの家に先触れを出した上で訪問したら、それはそれは大歓迎をされたのだ。エリザベスの父、マグレイ伯爵自ら出迎えてくださった。
「アッシャー夫人、ようこそいらっしゃいました。わたくし、エリオット・マグレイです。これは妻のミルドレッドです」
「お邪魔いたします。アンナ・アッシャーでございます。いつもノンナがお嬢様によくしていただいて、感謝しております」
マグレイ伯爵家の居間は豪華ながらセンスがいい。エリザベスは何度も「うちは成金だから」と言っていたが、そんな感じはしない。上品で高級な調度品が揃えられている。
「王都には定宿がございますので、アッシャー子爵夫人とノンナさんも、ぜひそこへお泊りくださいませ。融通の利くいいホテルですよ」
「ご迷惑でなければ、ご一緒させてください」
「これは嬉しい。ランダル王国に行く楽しみが増えました。エリザベスは気が強そうに見えて引っ込み思案なところもありましてね。ノンナさんとお付き合いさせていただいて、私も妻も喜んでいるのです」
楽しくおしゃべりをして、エリザベスの家からエドワード様のお屋敷に回った。家を長いこと留守にする以上、事前にお知らせをしなければ。エドワード様はお城だろうから、昼間の訪問は気が楽だ。
ノンナはお義母様の部屋に一直線に飛び込んでいき、楽しそうな声が聞こえてくる。
ブライズ様は上品に微笑みながら私の旅行の話を聞いてくれている。
「そうよね。お祝いの使節団が訪問するようになったら、ジェフリーはずっと警備の仕事で忙殺されるのは間違いないわ。屋敷には寝に帰ってくるだけでしょうから、家でずっと待っているより出かけたほうがいいわよ。ランダル王国のお土産話を楽しみにしているわ」
「ありがとうございます。ノンナのお友達のご一家と同行するのです」
「ビクトリアさん、僕も同行していいですか?」
声をかけてきたのはイル。とても期待に満ちた眼差しを私に向けているけれど、エリザベス嬢のラッパの件があるから迷う。
「んー、イルだけ部屋が別になるから、どうかしら」
「滞在費用なら問題ありません。実家が多めに渡してくれました。僕は世界中を旅して回りたかったんですが、父と祖父が反対するので実現しなかったんです。ランダル王国をこの目で見てみたいです」
なんと返事をしたものか。迷っていたら、イルに思わぬ援軍が登場した。コートニーお義母様だ。
「連れて行ってあげなさいよ。若いうち、健康なうちにしか経験できないことって、たくさんあるわ。ましてイルはシェン国の人だもの。ランダルに行く機会はなかなかないでしょう。見聞を広めることは有益ですよ」
「コートニー様、ありがとうございます!」
イルが爽やかな笑顔全開でお礼を言っている。
「そうですね。わかりました。では、私が責任をもってイルを連れて行きましょう。ブライズ様、エドワード様によろしくお伝えください」
「ええ、安心してね。エドワードもきっと賛成してくれるわよ」
エドワード様はおそらく賛成してくれる。
大切なジェフリーの妻がハグルの元工作員だと知っているのだ。ハグルの使者がこの国を訪れる前に姿を隠してほしいと願うだろう。
大喜びしているイル、わくわくしているノンナ、やれやれこれで安心とホッとしている私の三人は、戴冠式まであと一ヶ月という日まで準備に費やした。帰国するまで二か月の予定だから、羊牧場のマイルズさん、修道院の院長、ザハーロさん、助手を務めているバーナード様、今はお茶友達になったヨラナ様にご挨拶をして回った。
最後にクラーク様の家を訪れた。エバ様は「あら、そう。ジェフがいいと言うなら問題ないわよ。いってらっしゃい」とさっぱりしたものだった。
クラーク様はまだお帰りになっておらず、短い時間で家に戻った。家に帰るとバーサが手紙を持ってきた。
「奥様、お帰りなさいませ。奥様にお手紙が届いています。マイクさんという方が届けてくださいました」
「そう。ありがとう」
部屋に戻って開封すると、封筒の中には丁寧に書かれた文字が几帳面に並んでいた。
『アッシャー子爵夫人、あのときは大変お世話になりました。おかげさまで私は順調に回復しております。国に仕える身ではありますが、夫人が万が一お困りの際は、全力でお力になりたいと願っております。その際は、遠慮なくお申し付けください。マイクさんかチェスターさんにご連絡いただければ駆け付けます。深い感謝を込めて。ミア』
ミアさんが自分を許せない状況にならなくてよかった。
こうして私、ノンナ、イル、エリザベス、マグレイ伯爵の五人はランダル王国に向かうことになった。






