74 ミルズのその後
第三騎士団の若き団員ミルズは今、ランダル王国で任務に就いている。
第三騎士団の主な仕事場は他国における情報収集だから、状況としては特に珍しいことではない。
だが、(急にランダル王国での仕事を割り振られたのは、ノンナとの一件が原因だろう)とミルズは考えている。
対象者が建物から出てくるのを待ちながら、ミルズは声には出さず独り言を口の中でつぶやいた。
「まさかさあ、王太子妃殿下の影役が、部長の義理の妹だなんて誰も思わないよね。俺だけじゃないよ。みんな思わないよ。そんな秘密を知ってしまったんだから、そりゃ、飛ばされるよね。他の仲間に言うつもりはなかったけどさ、うん、あれは俺が悪かった。部長案件と知っていながら、ノンナに接触した俺が馬鹿でした。飛ばされた先がランダルで、大変ありがたいです」
一人でぼやいていると、一人の男性が建物から出てきた。
ミルズは距離を置いて尾行を開始する。対象者はアシュベリー王国の伯爵家で働いている平民。年配で白髪。大人しそうな地味な外見。
資料によると、独身で、見た目とは違って頭が切れる人物らしい。
(うちの部長が苦労して作り上げた連絡網なんだ。それを台無しにするような情報を洩らしやがって。お前もお前の主も、アシュベリーの人間だろうが。国を裏切るとは、とんでもない野郎どもだよ、まったく)
特殊任務部隊の予算がどんどん削られる中、エドワード・アッシャーが予算を確保するために交渉術を駆使して作り上げた早馬連絡網。連絡網の役目は、他国からの情報を一刻も早く城まで届けること。予算が限られているから各拠点の人員は二名のみ。敵に襲われたらかなり危うい。
だから拠点を頻繁に変えてきたし、拠点の場所はもちろん極秘とされている。拠点を置いている土地の顔役にも領主にも知らせていない。
なのに『連絡網の拠点の場所が洩れている』と、ランダル王国に潜入している仲間から連絡が入った。
ミルズは白髪の男を尾行しながら、マイクとのやりとりを思い出している。
「アシュベリーの人間が連絡網の拠点の場所を他国に洩らしているようだ。どんな見返りと引き換えかはまだ不明だが、大問題だ。部長がじっくり時間をかけて容疑者を一人に絞ってくださった。ルナはそこに潜入していたんだ」
「ルナが……」
仲間の仕事先は知らされないことが多い。万が一自分が敵に捕まっても、知らなければ白状のしようがないからだ。
「そうだ。だが、脱出に失敗して大怪我を負ったからね。そのルナの代わりに、アッシャー子爵夫人がデルフィーヌ様の影役を引き受けてくれたのだよ」
「でも、デルフィーヌ様はかなり危ない状況でしたよね? 夫人はどれくらい危険か知っていたんですか? 知った上で引き受けたんですか?」
いつも無表情なマイクの目元がごくわずかに細められて、楽しげな顔になった。その顔を見て、ミルズは驚いた。
(わ。マイクさんでもこんな楽しそうな顔をするんだ?)
もちろん口には出さない。
「かなり危険であることは、夫人は十分にご存知だった。子爵は奥様を案じて断りたいご様子だったが、夫人は『ここで自分が断ってデルフィーヌ様になにかあったら、影を務めるはずだった彼女は一生苦しむだろう』とおっしゃってね。最後は『自分がやりたいから引き受ける』と言って、笑って引き受けてくれたんだよ」
「なんですかそれ。恰好良すぎるじゃないですか!」
「ああ、恰好良すぎる人だよ」
その話を聞いて以来、ミルズの中でビクトリアは英雄である。
「うん? あそこに入るのか?」
白髪の男が酒場に入った。まだ早い時間だが、酒を飲むのか。それとも人に会うためか。
ミルズも帽子を目深にかぶり、酒場に入った。白髪の男は隅の席でこちらを向いて腰を下ろした。
男の向かいの席には、先に来ていたらしい茶髪の男がミルズに背中を向けて座っている。
「向かいの男が情報を買っている人間か? ランダルの人間ってことかな?」
ミルズは入口近くの席に座り、安いワインとつまみを一品注文した。ワインを飲むふりをしながら奥の席の二人を視野の端に収めて見張った。
やがて奥の二人は立ち上がり、ミルズの方に歩いてくる。ミルズはさりげなくワインを口に含み、二人が通り過ぎるのを待った。
ミルズは見た目がやんちゃに見えることを便利に使っている。一見するとチャラチャラした遊び人風、相手を油断させる幼い顔立ち。この見た目のおかげで相手は勝手に油断してくれるのがありがたい。
「今度はあっちの男を尾行しますか」
白髪の男が会っていたのは四十代半ばくらいの男だ。茶色の髪、茶色の目。引き締まった体つき。歩き方にはこれといって特徴がないが、ミルズの目には動きに隙がないように見える。
ミルズは最初こそ男を背後から尾行していたが、途中から日が暮れたのを利用して、建物の上に場所を変えた。
屋根から屋根、塀から塀へと移動しながら男を尾行する。
夜しか使えない方法だが、これは尾行を気づかれにくい。茶色の髪の男はごく普通のホテルに入った。
「ホテルか。てことは、この辺りの人間じゃないってことか?」
ミルズは急いで移動し、ホテルの向かい側にある建物の屋根の上へと場所を変えた。相手に気づかれないよう、急な屋根の上に伏せて観察する。男の部屋はどこだろうか。
ホテルは四階建て。各階に部屋は五つ。二階から四階までが客室だから、全部で十五部屋だ。
しばらく見ていると、三階の角部屋にさっきの男が入り、カーテンを閉めた。
「三階の西側の角部屋か」
それを確認して流れるような動作で往来へと降りた。すぐにランダル王国に紛れ込んで生活している仲間に情報を伝え、その足で白髪の男の宿泊先へと移動した。
白髪の男は部屋にいた。ミルズは男の部屋の隣室を確保してある。自分が宿泊している部屋に入ると、すぐに部屋の隅に椅子を運び、そこに乗った。仲間の手により、既に小さな覗き窓が開けてある。
穴に片目をくっつけて覗くと、白髪の男は無表情に酒を飲んでいた。
(外で飲む最後の酒だ。味わって飲めよ)
人生の終盤にきて重罪を犯さねばならなかった立場の男を憐れに思う。
椅子を下りたミルズが、窓のカーテンを三回開け閉めした。『男は一人でいる』の合図だ。
それから再びのぞき穴に目を当てる。男の部屋のドアがノックされたが、男はギョッとした顔でドアを見つめたまま動かない。
「エイデンさん? ハンフリー・エイデンさん。ご注文の料理をお持ちしました」
「私はなにも頼んでないぞ。間違いだ!」
エイデンと呼ばれた男はそう返したが、ドアはすぐに合鍵で開けられてしまった。
白髪の男は悲鳴もあげる暇もないまま、力技担当の男たちに押さえつけられた。素早く口と目を布で覆われ、連れ去られた。
同時刻。数キロ先にあるホテルの一室で、茶色の髪の男は、手に入れた情報を暗号に変えていた。小刀で木彫りのオオカミの台座に刻みを入れている。暗号のルールに従い、刻みの大きさと間隔に神経を配りながら、黙々と刻む。
数年前、男が所属している組織の暗殺部隊四人が、脱走工作員を処分しに行ったまま音信不通となった。国王は激怒し、暗殺部隊が失踪した理由を調べるよう命じたが、理由は調査するまでもなく、すぐにわかった。
調査の最中にアシュベリー王国から『そちらの人間四人が、我が国に滞在していたランダル王国の女性を殺害した。四人は既に強盗殺人の罪で逮捕し、処刑した』と連絡が入ったのだ。
アシュベリーからの書状を読んだハグルの国王が冷笑しつつ、側近に話しかけた。
「四人がただの強盗ではないことぐらい、アシュベリー側も気づいたはずだ。わかっていて連絡してきたに決まっておるわ。実に粗末な結果に終わったな。アシュベリーに借りを作っただけではないか。クロエを仕留めたかどうかも怪しいものだ。クロエほどの腕なら、他の人間に入れ替わることぐらい簡単にできただろう。殺されたとあちらが言っているのは別人の可能性もある」
暗殺部隊の失敗により特務隊の長が降格され、特務隊の中で役職が入れ替わった。
元室長であり後に養成所の教官を務めていた男は、本人の強い希望で再び現場に戻った。
男の現在の役目は、ランダル王国に赴き、アシュベリーの『早馬連絡網』の拠点を探り出し、母国に知らせることである。
男の工作員名はランコム。
八歳の少女の中に工作員の素質を見出し、少女の養成所時代は兄のように慕われ、最後はエース工作員となった彼女に見限られた人物である。






