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手札が多めのビクトリア 2 【書籍化・コミカライズ・アニメ化】  作者: 守雨
【新しきアシュベリー王国】

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73 天使のラッパ

『イルカーク君がエドワード様の家に到着した』との知らせを受けて、私とノンナは急いでお屋敷へと向かった。

 馬車の中で(そうだ、ノンナに注意しておかなくちゃ)と気がついた。

 

「ノンナ、わかっていると思うけど」

「わかってます。エドワード伯父様たちの前では淑女らしく振舞うと約束します」

「はい、よろしい」


 だが、ノンナとイルが顔を合わせた数秒後にこの約束は破られそうになった。

(あっ!)と思ったが、ノンナはブライズ様の前で蹴りを入れるのだけは思いとどまってくれた。

 よかった。本当によかった。イルも事情を察してくれた……と思う。


 今はブライズ様とコートニーお義母様、私、ノンナ、イルの五人でお茶とおしゃべりを楽しんでいる。主にブライズ様がイルにシェン国のことを熱心に尋ねている。


「シェン国には貴族制度があるのかしら」

「アシュベリー王国と似たような感じです。僕の家は三百年続く薬師の家で、貴族と平民の間ぐらいの立ち位置です」

「そうなのね。イルも薬には詳しいの?」

「基礎的な事ならひと通り。兄が十四歳になった時点で正式に跡継ぎと決まったので、僕は好きに生きることを許されています」

「十四歳まで跡継ぎが決まらないのは、アシュベリーでは珍しいわ。それはなにか理由があるのかしら」


 アシュベリーでは貴族の長男が跡継ぎに選ばれることは法律で決められている。抜け道は多々あるらしいのだが、まずは長男、男子がいなければ長女が婿を迎える、というのが通例だ。なので、私も興味深くイルの話を聞いている。


「シェン国では『子供は途中で神に招かれることがある』と考えているのです。成人の儀を済ませた十四歳なら、まずはこの先も無事生き延びるだろうという考え方ですね。我が家の場合は職業が薬師ということで『向き不向きを見極めるため』という理由もあります」

「確かに十四歳まで育てば、病気もひと通りは乗り越えているわね」

「父には『好きな仕事に就いていいが、エンローカム家に利益をもたらせ』と小さいころから繰り返し言い聞かされて育ちました。まあ、自分としては『頑張ったけど実家に利益を導けなかった、ごめんね』という逃げ道はあると思っています」

「あら」


 平然と『親の思い通りになる気はない』と告白するイル。笑いながら驚くブライズ様。唇の端を少しだけ持ち上げて聞いているノンナ。私も微笑するにとどめたが、イルの次男らしいたくましさと自由さを微笑ましく思う。

 お茶とお菓子に専念していたノンナが、イルに声をかけた。


「イル、私の家に遊びに来ない?」

「いいよ」

「あら、ノンナ、もう帰ってしまうの?」


 コートニー様がお寂しそうだ。するとノンナは立ち上がってコートニー様の前に膝をついた。下から顔を覗き込み、優しい声で話しかける。


「おばあ様、明日も遊びに来ていいですか? 私もおばあさまとお話がしたいです」

「もちろんよ、ノンナ。いつでもいらっしゃい。一緒におしゃべりもボール投げもしましょうよ」

「はい。では明日に。楽しみにしています」

「待っているわ、ノンナ」


 うん。今日のノンナはどこから見ても可憐な淑女だ。そこへエドワード様が小柄な男性と共に部屋に入ってきた。


「やあ、ビクトリア、ノンナ。いらっしゃい。こちらは今度お城で働く薬師のダムさんだ。これからお城に送りがてら、私も一緒に行ってくるよ」


 そろそろ潮時かと私も立ち上がった。


「ではブライズ様、私たちもそろそろおいとまいたします」

「おばあ様、また明日に」


 三人で我が家の馬車に乗り込むと、真っ先にイルが謝ってきた。


「すみませんでした。ノンナとビクトリアさんの武術の腕前は、あの家では内緒だったんですね?」

「そうだよ、イル。ブライズ様の前でいきなり正拳突きなんてしてくるからびっくりしたよ」

「ノンナ、ごめん。俺、知らなかったんだよ」


 イルが私に頭を下げる。前もって知らせていなかったのだから、仕方ない。


「私とノンナの武術のことは、あのご家族には知らせていないのよ。これから気をつけてくれればいいわ。私こそ怖い声を出してしまったわ。ごめんなさいね」

「今後は気をつけます。呼び方はビクトリアさん、でいいんですよね? アッシャー夫人とか、アンナさんとお呼びしたほうがいいですか?」

「夫人呼びは堅苦しいから苦手なの。私はアンナ・ビクトリア・アッシャーだから、アンナでもビクトリアでもいいのよ」

「わかりました。では僕も皆さんと同じように、ビクトリアさんと呼ばせてください」

「ええ、よろしくね」


 私たちは家に帰り、ノンナとイルは庭で鍛錬を始めた。イルの腕前は十分知っているつもりだったが、思っていたより腕がある。それに、二人ともカン先生に習った生徒同士なのに戦法がかなり違う。


 ノンナは身軽さを最大限に利用してジャンプや回転を多用しているが、イルはシェン武術の基本の動きがほとんどだ。打撃と蹴りを組み合わせながら、猛烈に速い動きで攻めている。


「さすがに二人とも若いわね。ずっと動いているのに、全然疲れが見えないじゃないの」


 感心して見ている私に、我が家の護衛たちが声をかけてきた。


「奥様、我々もお嬢様とお客様の鍛錬に参加させていただけませんか?」

「私はかまわないけれど、あの子たちに聞いてみてくれる?」

「かしこまりました」


 イルと二十八歳のルイス、ノンナと三十五歳のライリーが組んで鍛錬を始めた。しかし、どう見ても子供たちが手加減をしている。


(あんなにわかりやすく手加減したら大人は立場がないでしょうに。もう少し上手に手加減すればいいものを)


 そう思ったが、(そこまでの配慮は難しいか)と思い直して眺めているところだ。

 イルはたっぷり二時間以上鍛錬をして「すっきりしました」と言いながら家の中に入ってきた。


「汗だくね。サイズが合わないでしょうけど、ジェフの服を貸すから汗を流してから着替えていらっしゃい」

「はい。ではお言葉に甘えます」


 イルが浴室へと向かった直後にエリザベス嬢がたまたま家に立ち寄った。先触れなしに遊びに来るくらい、エリザベス嬢とノンナは仲がいい。


「ノンナさんがお好きな焼き菓子を、うちのシェフが焼きましたの」

「わあ! 嬉しい! エリザベスの家の焼き菓子、美味しいんだよね。大好き!」

「そうでしょうとも。うちのシェフは、父がお金に物を言わせて他の貴族のお屋敷から引き抜いた腕利きですから」


 相変わらずエリザベス嬢は面白い。

 バーサがさっそくお茶とお皿の用意をしているとこに、イルが入ってきた。

 丈が長いジェフのシャツとズボンを、ざっくりと折り曲げて入ってきたイル。濡れた黒髪がツヤツヤしている。

 イルを見たエリザベス嬢が、まさに大きく口を開けた状態で動きを止める。少しして慌てて口を閉じ、手にしていた焼き菓子をお皿に戻した。


「ノンナさん、こちらの方は?」

「イルだよ。私がシェン国で暮らしていたときの家の子。イル、この子はエリザベス。私の友人だよ」

「イルカークです。初めまして」


 イルは笑顔で話しかけているのだけれど、エリザベス嬢は固まったまま無言だ。口が達者な彼女のこんな姿は初めて見た。


「エリザベス、どうかした?」

「ど、どうもしません。初めまして、イルカーク様」

「イルと呼んでください」

「ではわたくしのこともエリザベスと」

「どうぞよろしく、エリザベス」


 イルは勧められた焼き菓子を「旨い旨い」と立て続けに何個も食べる。それをエリザベス嬢がうっとりと見つめている。

 やがてエリザベスは「そろそろ帰らないと。お邪魔いたしました」と立ち上がった。


「エリザベス、また来てね。焼き菓子が美味しかったとシェフに言っといて」

「ええ、伝えます。きっと喜びますわ。ではイルさん、ごきげんよう」

「また会いましょう」


 イルにそう言われてエリザベス嬢の顔がバラ色になる。実に初々しく微笑ましい。ノンナは玄関まで見送り、走って戻ってきた。


「家の中では走らないの」

「えへ。ごめんなさい。イル、これ美味しいね」

「旨いな」

「エリザベスはイルのことを気に入ったみたいね」

「そうか?」

「天使のラッパが聞こえたもん。プオープオーって」


 イルが「なんだそれ。間抜けな音だな」と笑い、私も笑ってお茶をこぼしそうになった。


「お母さんもイルも知らないの? 誰かが誰かにときめくと、天使がやってきて耳元でラッパを吹くんだよ。デル・ドルガーに書いてあった」

「デル・ドルガー? それ、どんなおとぎ話だ?」


 イルは苦笑している。私は(なんでもかんでもデル・ドルガーで学んでいるのね)と思いながらもしみじみする。クラーク様に婚約を申し込まれたときも、この子の耳元で天使がラッパを吹いたのだろうか。


 夜になり、イルは帰って行った。入れ替わりにジェフが帰宅。表情が硬い。


「おかえりなさい、あなた。なにかあったの?」

「ただいま、アンナ。ちょっとこれから忙しくなりそうだ。今も忙しいが、もっとだ。陛下が退位を表明なさった。以前からコンラッド殿下に託したいとおっしゃっていたんだが、ここへ来て急にそのお覚悟を固めたらしい」

 

 ジェフリーが脱いだジャケットをバーサが受け取り、ブラシをかけるべく部屋から出た。二人だけになったところでジェフリーが声を小さくして話しかけてくる。


「戴冠式には周辺各国から祝いの使節団が押し寄せる。ハグルからも来るぞ」

「来るわね」

「俺はおそらく使節団が全員帰るまで、職務に忙殺される。君の近くにいられないだろう。どうする? どこかに避難するか?」

「考えるわ。何が最善か、じっくり考える」

「そうしてくれ。おそらく二か月後には戴冠式が行われる」

「二か月? そんな急に? 普通は一年とか余裕を持たせるわよね?」

「王妃殿下の体調がお悪いらしい。それもあって、急いでいるんだ」


 ずっと体調不良がささやかれていた王妃殿下が。


「わかった。急いで考えるわ」


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