71 想像もしなかった生活
私とジェフリーは、少しずつ貴族の招待を受けるようになった。
一気にお付き合いを広げてしまうと「今までの病弱で寝込みがちっていうのは嘘だったのか?」と要らぬ不興を買ってしまう。
だから少しずつ。
おかげで、どの招待を受けても「帰国したら体調が回復しまして」という言い訳から始めている。信じたかどうかはこの際気にしない。気にしたところで何もいいことはない。
『アッシャー子爵は王太子のお気に入りで軍務副大臣。アッシャー子爵夫人は王太子妃のお気に入り』という情報は、貴族の皆さまにとって大変魅力的なようだ。
週に一度は招待を受けてお茶会か夜会に参加しているのに、まだまだお誘いの予定を消化しきれないでいる。
それはノンナも同様だ。
「ノンナ、あなた本当に招待された全部のお茶会に出るの?」
「うん。出る。クラーク様が『貴族の知り合いは多い方がいいと思う』って言うし」
「あなたがいいならいいけど、もめ事は起こしてないわよね?」
「起こしていないってば。みんな私にすごくヘコへコしているもの」
「ヘコへコって!」
「心配しなくても大丈夫。私、図に乗って威張ったりしないもん。物静かに、丁重に、優しく上品に振舞ってるよ」
まあ、そうだろうと思う。この子はやろうと思えば令嬢らしく振舞えるのだ。
この国に戻るまでは、ノンナにあまり友達付き合いをさせてやれなかったから、本人が望んでいて、なおかつクラーク様と一緒に世間を広げてくれるなら、私に文句はない。
「アッシャー夫人、最近、ノンナさんを囲む会ができましたの。ご存じですか?」
「囲む会、とはなんでしょう、エリザベスさん」
エリザベス嬢が上品に飲んでいたお茶のカップをテーブルに戻した。エリザベス嬢は最近、急に背が伸びて体つきも大人びてきた。ノンナより一歳年上だから十三歳、もうすぐ十四歳になるのだそうだ。
「この前のお茶会で、とある伯爵家の令息が、自慢げに最近流行りのダーツの腕前を披露したんです」
「あ……」
なんとなく話の先が見えてしまった。ノンナが気まずそうに私から視線を逸らす。
「さすがに自慢しただけあって、その令息は上手だったんです。みなさんが拍手喝采している中、ノンナさんだけは拍手をせずに白けたようなお顔で見ていたものですから、その令息がカチンときたのでしょうね。『君、やってみるかい』とおっしゃいましたの」
「ええと、エリザベス、その話はもういいよ」
「あら、ノンナさん。ここからが面白いんじゃありませんか」
「ぜひ聞かせていただきたいわ、エリザベスさん」
そこから先は予想通りだ。
ノンナは大人げなく、いや、ノンナは子供だけれど、とにかく、ダーツで令息に圧勝したそうだ。
そこから我も我もと大勢の令息と令嬢がノンナに挑戦したらしいが、まあ、結果は聞かなくてもわかる。
小さいころから石で的当て、十歳ごろからはナイフ投げで遊んできた子だ。昨日今日その手のゲームを始めた子とは経験値が違うのだから、勝つのは当たり前だろう。
「ちょっとね、運が良かっただけなの。えへへ」
「そう、ちょっと運が良かったのね」
常々、気安く自分の手札を見せびらかすなと言い聞かせていたのに。
「あの程度のことであんな騒ぎになるとは思わなくて。そうしたら、私を囲むダーツの会っていうのができちゃったの。今更引っ込みがつかなくて。えへ」
「いいんじゃない? ダーツなら」
「えっ、いいの?」
言外に(ナイフ投げは見せていないでしょうね?)と、ノンナを見る目に力を込めてみた。ノンナが小さくコクコクとうなずいているから、伝わったようだ。
「先生、ノンナは先生の前ではこんな口調ですけど、外ではちゃんと洗練された淑女のマナーを実践しています。よく頑張っているんですよ」
「クラーク様、ありがとうございます。クラーク様と一緒なら、安心ですわ」
「僕は母に、これでもかと繰り返しマナーを叩き込まれましたが、ノンナは何でも一度で覚えてしまうので、いつも感心しています」
クラーク様は、相変わらずノンナのエスコート役を務めてくださっている。ありがたいことだ。クラーク様と一緒にいるときのノンナは年齢相応の楽しそうな表情で、最近は(このまま婚約するのだろうな)と思う。
正式な婚約はまだしていないが、エバ様は「ノンナなら、我が家はいつでも大歓迎よ。夫も喜んでいるわ」とあっさり承諾してくださった。
私とデルフィーヌ様は十日に一度の頻度でお会いしている。
ランダル語のレッスンなのだが、もともとある程度の会話はできる方なので、今はランダルでよく使われる言い回しや諺などを取り入れた会話を練習している。
「楽しいわ。こんなに楽しい語学の講義は初めて。お店での上品な値切り方、一度実践したいものね」
「いえ、デルフィーヌ様、そんなことをされては私が叱られます。ここだけのお楽しみにしてくださいませ」
「あら、殿下は心の広い方ですもの、あなたを叱ったりはなさらないわよ」
そのコンラッド王太子殿下だが、不気味なことに私に全く接触してこない。
影を務めたことを知った以上、私の過去に見当はついているだろうに、一切、全く、毛ほども何も言ってこない。
おそらく、私がこの国に来たばかりの頃の夜会騒動も、私が犯人だと見当がついていると思うのに。
ジェフリーは「俺に嫌われたくないから、君の正体に気がついても何も言わないんじゃないか?」というが、王太子に気を遣わせる子爵というのもいかがなものか。
エドワード様のことは保留にしている。
あちらから何も言ってこない以上、私から動いて藪からヘビを出すようなことはしたくない。
とにかくジェフを大切にしている方だから、私がジェフの害にならない限り排除されることはないだろう。その辺、私は楽観的だ。来るか来ないかわからない凶事に怯えるのは無駄だ。
◇ ◇ ◇
王城の北塔。諸制度維持管理部で、エドワード・アッシャーと第三騎士団担当のウル医師が話し込んでいる。
「ウル医師、シェンに帰国するって本当かい?」
「ええ、エドワード部長。親がもう高齢ですからね。帰って安心させてやりたいのですよ。妻と息子はシェンで暮らしてもいいと言ってくれているんです」
「そうか、寂しくなるな。君のことだ、後任の手配は済んでいるのだろう?」
「もちろんですよ。ずいぶん前に従弟に頼んだら、十年間ならここで働いてもいいと返事を貰っています。優秀な男なので、部長をがっかりさせることはないはずです」
「助かるよ」
そこでウル医師はちょっと困った顔になった。
「ただ、そいつと一緒に、イルカークという若者が一緒に来るそうで。その若者をどこに住まわせたらいいものか。部長、いい貸し部屋を紹介してくれませんか」
「イルカークというのは?」
「薬種製造販売の大きな家の息子さんです。ノンナさんとは親しかったんじゃないかな」
「ノンナと?」
「ええ。イルカークは世界中を旅して回りたいと言っていたらしいんですが、親に反対されたそうで。アシュベリーなら許すと言われたらしいです。アッシャー御一家がとても好印象だったんでしょうね」
「ああ、弟たちが世話になったあの家の息子さんか」
「そうですそうです」
「では我が家でイルカーク君を引き受けよう」
「いいんですか? それは間違いなく安心ですね。助かります」
「ノンナが自宅に帰ってから、我が家の中は火が消えたようでね。妻も母も寂しがっているんだ。ちょうどいい」
「ではよろしくお願いします。シェン武術の腕もあるそうなんで、護衛代わりに使ってやってください。あ、第三騎士団には入れないでくださいよ?」
「わかってるさ。そんなことはしないよ」
◇ ◇ ◇
「お母さん、お茶会に行ってきます」
「いってらっしゃい」
「お母さんは? 今日はなにをするの?」
「羊の毛刈りをする予定よ。マイルズさんと一緒に毛刈りをして、量が溜まったら毛糸を紡いで、あそこの女性たちと一緒に染めてみようと思ってるの。木の皮や花びらできれいに染める方法に詳しい人が、女性たちの中にいたのよ」
「お母さん、毎日楽しいね。シェン国もランダル王国も楽しかったけど、私はやっぱりアシュベリーが一番好き」
「私もよ」
今の一番のお楽しみは、毛糸をジェフの瞳の色に染めて、彼のためにセーターを編もうと計画していることだ。
「さあ、今日も笑って楽しくすごしましょう」
「うん! じゃ、私はお茶会に行ってきます!」
クラーク様の乗った馬車がやってきた。ノンナが淑女らしからぬ速さで馬車まで走って行く。
「アンナ、俺ももう出かける」
「いってらっしゃい、あなた。お帰りを待っているわ」
「ああ。なるべく早く帰るよ」
ジェフはそう言って私の頬に口づけて出かけて行く。軍務副大臣として毎日忙しそうだ。
「さて、羊牧場に行きますか。留守番を頼むわね」
「奥様、いってらっしゃいませ」
ハグル王国を出たときの私は、誰にも縛られずに自由に生きるつもりだった。
けれどノンナと出会い、ジェフと出会い、ヨラナ様やバーナード様、エバ様、ザハーロさんと出会って、今ではすっかりこの国に根を張って暮らしている。
ついには王家とのかかわりまでできてしまった。
ハグルを出たときには全く想像もしなかった生活だ。
今も少々普通ではない人生ではあるけれど、家族と過ごす毎日は充実している。
私はこれからも、家族を守るためならどんな手札でも迷わず使う覚悟だ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。2章はここまでといたします。
しばらくお休みしてから、この先を更新していこうと思っています。
イル君もやってくることですし、なにかしら事件は起きる予感が。






