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手札が多めのビクトリア 2 【書籍化・コミカライズ・アニメ化】  作者: 守雨
【王太子妃の影】

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70 お前か。

 ノンナを寝室に下がらせ、今はジェフがミルズと話し合っている。


「その男女の件は第二騎士団が動こう。チェスターには今回のことを知らせておいた。妻のことはチェスターとマイクと君たちの長だけが知っている。それ以外の人間には他言無用で頼む」

「もちろんです。子爵様の承諾も得ずにノンナさんを鍛錬に誘い、申し訳ございませんでした」


 ミルズが深々と頭を下げた。

 

「いや。ノンナには行くなと言ったんだ。ノンナが言いつけを破ったのは私たちの手落ちだ。何も知らなかった君は悪くない。ただ、君とノンナの関係から妻の影役が知られては困るんだ」

「おっしゃる通りです。今後は控えます」

「すまないな。ノンナには説明しておく。では、君たちが乗り込んだ場所を教えてほしい」


 ミルズはおおよその住所と地図を描き、何度も頭を下げて帰って行った。


「アンナ、俺は第二騎士団に連絡を入れてくる。一刻も早い方がいいだろう」

「その地図で場所はわかるの? 地図を見る限り、塀を三回も乗り越えてるじゃない」

「王都のことなら、これでわかるよ。俺たちはノンナたちと同じルートは使えないけどな」


 ジェフが馬で出て行き、私はノンナの部屋をそっと覗いた。ノンナは寝ておらず、私が部屋に入ると起き上がった。私がベッドに腰かけるとすかさずノンナが謝ってくる。


「お母さん、ごめんなさい。家に着く前、ミルズに帰っていいよって言ったんだけど、『こんなに帰りが遅くなった事情を説明する』って譲らなかったの。お母さんが正体を隠してたのに、ごめんなさい」

「過ぎたことは悩んでも仕方ない。いいのよ、これから気をつければいいわ」


 寝るときのノンナは三つ編みをほどいている。金色のツヤツヤな髪は、触るとひんやりと冷たい。


「ジェフがあなたに行くなと言ったのは、私の正体が知られることを心配したからだと思う。だけど、私があなたに行ってほしくなかったのは、別の理由」

「お母さんの理由って?」

「私はあなたが自分の身を守れるようにと鍛えたけれど、期待のはるか上を行く強さになった。言葉だってアシュベリー、ランダル、シェンの言葉を問題なく話せる。ハグル語もかなり使えるようになった」


 ノンナは黙って聞いている。私の話がどこにたどり着くかわからないのだろう。


「今のあなたは、ハグルの組織や第三騎士団にとって、喉から手が出るほど欲しい存在になっているの。ああいう組織にあなたを取り込まれるのが、私はとても恐ろしい。そこまでちゃんと説明すればよかったわね。ごめんね、言葉が足りなかった」

「お母さんはああいう組織が嫌いなの?」

「私は八歳でその世界に入ったとき、そこで働きたいか働きたくないかを選べなかった。家族のために働かなきゃならなかったの。でも、あなたは違う」


 そこから先は、(どうか私の真意がこの子の心に届きますように)と願いながら言葉を続ける。


「あなたにはあの種の組織に関わらないでほしい。あそこには『死』があふれているの。組織に入って人の死に慣れていくノンナを想像しただけで、私は自分を許せなくなる。あなたを鍛えたことを後悔しながら生きる自分が見える」

「お母さん……」


 ノンナが必死な表情になった。


「私は強くなってお母さんを守りたかっただけだよ。それに、楽しかったから鍛錬を続けたの。私はお母さんに助けてもらわなかったら、オーリみたいになっていたかもしれない。何度もそう思った。周りのみんなを憎んで、誰かを騙してお金を儲ける人になってたかもって」

「ノンナ……」

「言いつけを破った私が悪いの。ごめんなさい、お母さん。私、言いたいことをちゃんと言えばよかった。私、自分の友達は自分で選びたかった。お父さんが『だめだ』って言ったとき、なんか、なんか、腹が立ったの。なんでそんな言い方するの? って、イライラしたの」


 私も(ジェフにしてはきつい口調だな)とは思ったけれど、ジェフの不安と心配がわかるだけに黙っていたっけ。


「三人とも言葉が足りなかったわね。これからは、ちゃんと言葉にして伝えるわ。ノンナもそうしてね。だいじなことを教えてくれてありがとう。あの二人のことは、ジェフが行ったから大丈夫よ」

「お父さん、こんな遅くに?」

「それが第二騎士団の仕事だもの。安心して任せましょう」


 翌朝。

 フレッドとその一味は第二騎士団に捕まったと報告が入った。ロザリーも軟禁状態から解放したそうだ。やはりフレッドは男たちとグルだったのだ。

 朝食後、まだしょんぼりしているノンナを牧場に送り出した。


「牧場のマイルズさんと、好きなだけ鍛錬してきたらいいわ。必ず護衛も連れて行きなさい」

「鍛錬もするけど、羊と仲良くするコツを聞いてくる」


 ノンナはどうにか笑顔を作り、馬車で出かけて行った。

 私は王城に向かわねばならない。朝の九時に、本日のお茶会の招待状が届いた。今日の招待状で今日のお茶会。

 これは絶対にただのお茶会じゃない。


     ◇ ◇ ◇


「デルフィーヌ様。お招きいただきありがとうございます」

「アッシャー子爵夫人、急で悪かったわね」

「とんでもないことでございます」


 二か月間詰めていたデルフィーヌ様のお部屋には、思いがけない人物がいた。グンター・バールだ。私を見て、なんだか気まずそうにしている。


「今日はどうしてもあなたに謝りたかったのです。私の話し相手とランダル語の講師にあなたが選ばれたそうね」

「はい」


 そうね、ということは、デルフィーヌ様のご指名じゃないということか。


「私はあなたのこと、殿下には言っていません。なのに、この者がコンラッド殿下にわざわざ教えたのです」

「申し訳ございませんっ!」

「アッシャー夫人、グンターの本名はグレイソン・オルドランです。私の母国の人間が私を案じて送り込んでくれたのですが、この者のおかげで私はあなたとの約束を破ったことになってしまいました」

「まことに申し訳なく思っております。デルフィーヌ様、アッシャー夫人。この処罰はいかようにもお受けいたします」


 デルフィーヌ様が上品にため息をつく。


「アッシャー夫人、この者は反乱鎮圧後にホールに入ってきたあなたを見て、気づいたそうよ」

「妃殿下にしては動きに隙がなさすぎるな、と思い、気になりまして。注視しているうちに『一緒にダンスを踊ったあの方だ』と気づいてしまったのです。コンラッド殿下がご存じないとは露ほども……」

「気づいただけならともかく、殿下に『この国は貴族のご婦人が影役を務めるのですね』などと余計なことを言ったのです」


 コンラッド殿下に私のことを告げたのは、グンター、お前か。

 殿下は、私とデルフィーヌ様が親しくなれば『大好きなジェフリーを繋ぎとめる材料が増える』と思ったのかもしれない。ジェフは殿下に愛され……過ぎている。


「殿下は、アッシャー子爵に絶大な信頼を置いていらっしゃるの。私はあなたまで指名する必要はない、とお止めしたのだけれど、だめだったわ。『ジェフリーは金や名誉では動かない男だから』とおっしゃって」

「殿下が夫を信頼してくださり、ありがたいことです」


 コンラッド殿下はジェフの性格をよく理解している。


「殿下はお小さいころ、処刑されたブライアン・ウィルクスによく遊んでもらったそうなの。彼を信頼していたのね。それが今回、そのブライアンが私を亡き者にしようとしたでしょう? 殿下は精神的に大きな衝撃を受けたはずです。なのにいつも通り穏やかで、私にも心の内を隠していらっしゃるの。ご心労の大きさはいかばかりかと案じられるほど、明るいご様子なのよ」


 デルフィーヌ様はまっすぐに私を見る。


「あなたを話し相手に指名したこと、心苦しく思います。ですが、一方で私は喜んでもいるのです。生まれたときからこの国の王妃になるべく育てられた私は、世の中をあまり知りません。王妃に必要な知識はあれど、一人の人間としては欠けている部分がたくさんあるのです。アンナ、私は将来の王妃としてだけではなく、一人のアシュベリー王国民として、息子たちの母として、もっと成長したいのです。あなたの豊かな知識と経験で、力を貸してほしい」

「デルフィーヌ様……」


 驚いた。

 立場は全く違うけれど、『自分に欠けている部分を補いたい』という願いは、私がこの国に来たときの目標と同じだ。

 デルフィーヌ様は国母となるお立場なのに、まだ人として成長したいと願っていらっしゃる。その純粋で真面目なお人柄に、胸を打たれる。


「お話し相手とランダル語の講師役、謹んで務めさせていただきます」

「感謝します、アッシャー夫人」


 デルフィーヌ様はそこまでを花の妖精のような表情でしゃべったあとで、表情を一変させ、キッ! とグンターを見る。


「グレイソン。あなたの父、オルドラン公爵には、幼いころ、よく可愛がってもらいました。オルドラン公爵に免じて、余計なことを口にしたことは見逃しましょう。でも、私は本当に怒っているの」

「申し訳ございません!」

「私はこの命が尽きるまで、この国の民と共に生きて行く。私はもう、アシュベリー王国の人間なのです。心配してくれた公爵にもそう伝えてほしい」

「かしこまりました」

「アッシャー夫人、次は余裕をもって使いを出すわ。あなたとの時間を楽しみにしています」


 デルフィーヌ様のお人柄に感動しながらお城を出た。

 グンターと初めて会った日に(どこかで会ったことがある)と思ったのは、おそらくイーガルの公爵家の令息としてどこかの夜会で見かけたのか。それとも彼は軍人のようだから警護役で要人に同行していたのかもしれない。

それがハグル王国でなのかランダル王国だったのか思い出せないから、言葉を交わすこともなく会場で見かけただけなのだろう。


 私がデルフィーヌ様の話し相手と語学講師になった話は、あっという間に貴族の間に広まったようだ。

 一度は落ち着いた招待状の山が、再び我が家に届くようになった。私たち夫婦にだけではない。ノンナにもだ。


 一瞬げんなりしたけれど、ここで投げ出したりはしない。

 私とジェフとノンナにとっての最善を探しながら、デルフィーヌ様と同じように、私もこの国の民として、この国で生きる覚悟はできている。

 


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