58 聖フローレン祭
私は今、エリーさんと二人きり。人が来なさそうな小部屋で向かい合っている。
なぜ私に呼び出されたのか、エリーさんは気づいているらしい。私に視線を合わせることなくうつむき、その身体からいつもの気迫が消えてひと回り小さくなったように見える。
「エリーさん、デルフィーヌ様からお言葉を預かってきました。『死ぬことは許さない。私が王妃を退いたら、再び私に仕えなさい』とおっしゃっていました」
「そう……。妃殿下がそのようなお言葉を……。でもね、ケイト。私にはその資格がないこと、もうわかっているんでしょ? 私がデルフィーヌ様のおそばにいれば、またご迷惑をおかけするかもしれない。あなたは私の事情を詳しく知っているから呼び出したのではなくて?」
エリーさんは私が第三騎士団員だと思っているものね。
「エリーさん、妃殿下を毒殺しなかったのは正しい選択でした。妃殿下を毒殺したところでご実家の借金は消えませんから。むしろ妃殿下毒殺とエリーさんの実家の借金はすぐに結び付けられます。そうなれば国の命令でご家族は全員処刑されたでしょう。もしくは毒を渡した側が口封じのために、国より早くご家族全員を殺していたかもしれません」
「まさか、そんなこと!」
「そんなことが行われるのがこの世界です」
「なんてこと! 私は家族を助けるつもりで家族を殺すことに加担していたかもしれないって言うの?」
「ええ。危ないところでした。エリーさん、あなたが自死しようとして毒を口にしても死ななかった理由、わかりますか?」
「いいえ。猛毒を飲んでも死ねないのは、私が毒薬の使い方を間違ったからだろうと」
「妃殿下はご自分が狙われているのをご存じでした。あなたが実行犯に選ばれていることも。だから妃殿下が毒薬を入れ替えさせていたのです。あなたなら、きっと妃殿下を毒殺するより自分が死ぬことを選ぶだろうと推測して、先手を打ったのですよ」
「ああ、デルフィーヌ様……」
エリーさんは悲痛な声でそう言うと、泣き崩れてしまった。
ドアがノックされ、マイクさんが顔を出した。
「そろそろ連れて行きます」
「マイクさん、どうかエリーさんに手荒なことは……」
マイクさんは返事をしない代わりに、いつも無表情な顔に少しだけ笑みを浮かべた。エリーさんはマイクさんに付き添われ、うなだれて部屋を出て行った。
翌日の報告では「エリーは、自白剤を使うまでもなく全てを白状しましたよ」とのこと。
デルフィーヌ様は「ケイト、お願い。エリーの様子を見てきて。殴られたりしていないか、それだけを確認して来て。そうでないと、エリーのことが心配で眠れそうにないわ」とおっしゃった。私は深夜を待って、エリーさんに面会することになった。
指示された城の西棟に行くと、エリーさんは窓のない部屋に入れられ、ドアの前には見張りが立っていた。
マイクさんの話では、エリーさんの処遇は『病気療養のため王太子妃付き侍女を退職』となったそうだ。これは間違いなくデルフィーヌ様の希望だろう。エリーさんは王都から遠く離れた田舎の、引退した第三騎士団員の家に送られるという。
『そうでもしないとエリーは口封じで始末されかねない。エリーは軍部副大臣ブライアンの国家反逆罪と、王太子妃殺害計画犯の大切な生き証人だ。絶対に死なせるわけにはいかない』というのがマイクさんの上司の判断だそう。
「陛下とコンラッド殿下を含めた表向きには病気による退職と報告する予定です。真相はまあ、折を見て」
平然とそう言い切るマイクさんの言葉を聞いて、(この国を実質的に動かしているのは、もしや第三騎士団なのかしら?)と思ったが、王族の安全管理に関しては軍部が牛耳っていた。そこまでの権力はまだ持ってないという状況か。
だが、第三騎士団にかなり大きな裁量権があるのは間違いない。
深夜、暗闇に紛れるようにしてエリーさんを乗せた馬車が王城から出て行った。周囲を何頭かの馬に乗った人が囲んで移動している。
私は窓から馬車を見送り、(エリーさん、どうぞご無事で)と祈った。
マイクさんはデルフィーヌ様からの『軍部副大臣のブライアン・ウィルクスがイーガルの反王家とつながっている』という情報を聞いてから、ずっと忙しい様子。
「しばらくここには来られないと思います」
そう言って定時報告用の小部屋で別れてから、マイクさんには会っていない。
※・・・※・・・※
いよいよ聖フローレン祭の日になった。
王城前の広場には朝早くから人が集まり始めている。
今日は年に一度の大きなお祭り。普段楽しみが少ない平民のために、広場を囲むようにずらりと屋台が並んでいる。王都の店だけではなく、アシュベリー王国各地から有名店が屋台を出している。地方の美味を売るのも、このお祭りを人気にしている理由だ。
何十という屋台からはところどころから調理の煙が上がっている。
ノンナはこのお祭りに来たがっていた。来年は二人で一緒に来よう。鏡を見ながら一瞬だけノンナを思い浮かべた。
ニーナさんに見守られながら、今は化粧を始めた。
万が一帽子が誰かに剥ぎ取られることがあっても目鼻立ちが違うと言われないよう、入念に眉を描き目の周囲にも線を引く。唇もデルフィーヌ様に似せて少しだけ大きめに塗った。
よし、これでいい。
私は金髪のかつらをかぶり、ネット付きの帽子を被った。デルフィーヌ様のドレスに着替え、宝石類もお借りした。影としての準備を全て済ませて、デルフィーヌ様の前に立つ。
「ケイト、今日はよろしく頼みます」
「お任せください」
デルフィーヌ様は使用人の制服に着替え、複数の使用人の服を着た男性に囲まれて出て行った。私は行き先を知らない。おそらくお城に敵が攻め込んだとき用の避難場所へ向かったのだろう。
私の隣にはマイクさん。私の周囲を固めて一緒に歩いているのは第一騎士団なのに、第三騎士団はどういう政治的な力技を使ってマイクさんをここに送り込んだのか。あとで聞いてみたいところだ。
さあ、私の出番だ。
三十人の第一騎士団に周囲を守られ、城からゆっくりと広場に向かう。私が姿を現すと、群衆から「おおおお!」と地鳴りのような歓声が沸いた。
胸を張り顔を上げ、デルフィーヌ様の歩幅で歩く。先頭の第一騎士団がスッと横一列に並び、私を取り囲んでいた第二騎士団員はコの字の形に私を取り囲む。私と群衆を隔てているのは第一騎士団の一列のみ。
集団の中から誰かが「デルフィーヌ様ぁ!」と叫んだ。
次々と声は集団の中に伝わって、デルフィーヌ様の名前を叫ぶ人は数十人から数百人へ、やがて広場にいるほとんどの人が腕を振りながら叫ぶ。
「デルフィーヌ様ぁ! デルフィーヌ様ぁ!」
大きな波が押し寄せるように、私に向かって声が押し寄せてくる。
私は鼻の途中まで目の粗いネットを下ろしているが、微笑んでいることは伝わるはず。笑顔でゆっくり周囲を見ながら手を振った。
こちらに押し寄せたがっている集団を第一騎士団員が防いでいるが、なにか小さなきっかけがあれば大変なことになりそうだ。私は油断なく集団を見渡した。
そして見つけた。第一騎士団の制服に身を固めているマイクさんも同時に見つけたらしい。
少し離れた屋台の主がかがみ込んでなにかやっているな、と見ていたら、その男性が弓を構えた。
「伏せてっ!」
マイクさんが叫びながら私に覆いかぶさろうとした。
「違うっ!」
私はマイクさんを突き飛ばし、ドレスの裾をめくって腿に取り付けた短剣を取り出した。






