54 ビクトリアの夢とノンナの外出先
定時報告の小部屋で、ビクトリアがマイクの報告を受けて驚いている。
「イーガル王国の公爵の五男? グンターが? どう見ても公爵家令息というより軍人だったのに」
「それを裏付ける手紙を、既に宿泊先のホテルで手に入れています。本人の言うとおりグンターはデルフィーヌ様を守るために城に潜入したようです」
「ではグンターは毒殺未遂事件には関わっていないのですね?」
「ええ。グンターの父親はイーガル国王の弟で王家派の筆頭です。デルフィーヌ様に死なれたら困る立場ですので」
「それなら私、失神させたことをグンターに謝罪しなくては」
「グンターもビクトリアさんを暗殺者と疑って尾行していたのです。お互い様ですよ。気にする必要はありません」
サラッと涼しい顔で言ってのけるマイクさんを思わず二度見した。
確かに私が殺されていた可能性もあるか。グンターが工作員じゃないなら手加減に失敗してうっかり私を殺してしまうことだってありそう。
うん。やはりマイクさんの言う通り、ここはお互い様ということにさせてもらおう。
「疑わしい人物が一人減っただけでも大収穫ですよ、マイクさん」
「そうです。それと、ビクトリアさんに頼まれた件、イーガルにいる者から返事がきました」
「もう? 早いですね」
「私の上司が考案した連絡網がありますから。返事によると、エリーの実家にきな臭い話がありました。エリーの実家は王家派の子爵ですが、何らかの理由で大きな借金を抱えていました。借金の理由は現在調査中です。そこを反王家派につけ込まれたのかもしれません」
「エリーさんは実家の借金のためにデルフィーヌ様の毒殺を実行しなければならなかった、ですか? それならエリーさんが毒を口にするのは話が合いませんね」
「そこなんですよ。なんでエリーが二度も毒で倒れたのか……」
デルフィーヌ様のことを話しているときのエリーさんを思い出す。エリーさんはデルフィーヌ様を心から大切に思っているように見えた。彼女の表情と口調に嘘は感じられなかったのだが。
「マイクさん、二度も死ぬには至らなかった、という時点で変だなと思います。一度毒殺に失敗したら、普通なら二度目はより強力な毒を使うか、毒殺以外の手段に出そうなものです。そもそもすぐに具合が悪くなる毒では、その料理をデルフィーヌ様が食べることはないのですし。なぜ二度も死なない程度の毒が仕込まれたのか。毒を仕込んだのは誰か。もう一度周辺の人間を調べ直す必要がありますね」
「そうですね。ですが、ビクトリアさんは影の役目を第一にお願いします。これ、お渡ししておきます。金髪のカツラです」
小袋から取り出されたカツラを受け取る。デルフィーヌ様の髪の色味にそっくりな金髪だ。ネット無しでそのまま被ってみる。サイズはちょうどいい。
「では、これを使います。それと、そろそろデルフィーヌ様にネット付きの帽子をお使いいただいたほうが安全かと思います」
マイクさんにそう告げて私は自分用の小部屋に戻った。
部屋には交代要員の侍女がいたので彼女に話しかけた。
「ニーナさん、交代ありがとうございました」
「もうよろしいのですか? ケイトさん、ちゃんと休養は取れていますか?」
「ええ。しっかり眠ってますから大丈夫ですよ」
「それなら安心しました」
一人になり、部屋の中をいじられていないか確認する。引き出しには封印のように私の髪の毛を一本貼り付けておいた。引き出しを開けられれば髪の毛が剥がれ落ちるからわかる。引き出しは無事だった。
ベッドに入り、マイクさんから聞いた情報を整理し、デルフィーヌ様の食事に毒を盛る理由がありそうな人物を考える。
「もしエリーさんの自作自演なら、その目的はなんだろう」
判断を下すための材料が少なすぎて答えは出せそうにない。
久しぶりの影の仕事で神経を張り詰めているせいか、影を始めてからは全く疲れを感じない。だが家に帰ったら一気に疲れが出そう。
私はもう三十三歳。工作員ならそろそろ引退後のことを考え始める時期だ。
「そうね。そろそろ本腰を入れて羊牧場で暮らすことを考えようかな」
ノンナは数年もすれば嫁ぐだろう。
ジェフリーと二人で羊飼いみたいにのんびり暮らすのもいい。毛糸を紡ぎ、好きな色に染め、ジェフリーとノンナのためにセーターを編む。
ノンナが生むであろう赤ちゃんのためにおくるみを編むのも楽しそうだ。
そんなことを考えていたら家族の夢を見た。
ジェフリーと私が羊牧場を眺めながらお茶を飲み、ノンナの赤ちゃんを抱え、ノンナとおしゃべりしている夢だった。
目が覚めたのは午前四時。まだ暗い。とても幸せな気分で目が覚めた。
デルフィーヌ様は二児の母。コンラッド第一王子殿下とも夫婦仲が良く、優しい母親でいらっしゃる。
私が影になることで守れる幸せがあるのなら、必ずやり遂げてみせる。
※・・・※・・・※
ジェフリーは兄エドワードの屋敷を訪れていた。
「母上、驚きました。ずいぶんお元気そうですね」
「ノンナのおかげでとっても体調がいいの。あなたはいい娘に恵まれましたね」
「ええ、ノンナは私とビクトリアの宝物ですよ」
「ふへへへ」
緩んだ笑い声はノンナだ。
二人掛けのソファーにノンナとジェフリーの母コートニーが並んで座っている。
コートニーは、ノンナが来る前まではベッドの上で一日を過ごすことが多かった。起きているときも揺り椅子に座ってぼんやりと庭をながめる程度だったが、今日は服を着替え、背筋を伸ばしてソファーに座っている。それだけでも大きな進歩だ。
「お父さん、お母さんが帰って来るまであと一ヶ月だね」
「そうだな。すぐだ」
「うん。すぐだよ。お母さんが帰ってくるのは、ちょうど聖フローレン祭のころじゃない? お母さんと一緒に行けるといいなぁ」
「そうだな」
だがその日、ビクトリアは一番の大仕事があるから帰っては来られない。ジェフリーは顔に出さないように気をつけながら返事をした。
「ノンナ、ブライズ伯母さんの言うことをよく聞いてくれよ」
「わかってます。いい子にしてるよ? ね? ブライズ様」
「ええ、ノンナさんは聞き分けのいい小さな淑女ですよ。ご安心くださいな、ジェフリーさん」
一見平和で微笑ましい一族の団らん。ジェフリーはノンナが母と暮らすことで生まれた思いがけない効果を喜んでいる。
だが、ここにいるノンナは秘密を抱えていたし、エドワードはその秘密を知っていた。
その秘密とは。
ノンナが夜になると二階の部屋から抜け出していること。
抜け出してくるノンナを第三騎士団の連絡係チェスターが待っていること。
チェスターが毎晩のようにノンナと鍛錬をしていること。
全てはエドワードの手のひらの上で行われているのだが、ノンナはそれを知らない。
その夜も、皆が寝静まった夜の十時にノンナは静かに部屋の窓を開けた。
外に向かって窓を押し開け、窓枠の上に立つ。
手には指先が出る革の手袋、下は黒い乗馬ズボン、上は紺色のビクトリアの手編みのセーター。足には柔らかくて短い革の編み上げブーツ。金色の長い三つ編みはセーターの中に入れてある。
「お母さんが紺色大好きな人で助かるよ」
独り言を言うと、両手を振って窓枠を思い切り蹴る。危なげなく庭のニレの木の枝に飛びついた。ガサガサッと葉擦れの音。
しばらくはじっと動かず木の一部のように身体を丸めて気配を消すノンナ。アッシャー伯爵家の警備兵には気づかれなかった。
「よし。よしよしよし。じゃ、行ってきまーす」
スルスルと幹を下りると庭を走り、素早く石塀を乗り越えた。
塀の外にはいつもどおり馬が待っている。馬の上にはチェスター。行き先はチェスターの家。ヨラナ様の屋敷の裏隣の、あの家だ。






