53 グンター・バール、ビクトリアを尾行する
グンター・バールは、ホテルの一室で母国からの手紙を読んでいた。
東のランダル王国の言葉で書かれているが、書いた人物はイーガル王国の公爵である父だ。
手紙の内容は時候の挨拶、グンターが元気にしているかを尋ねる文章などが続いているが、最後にこんなことが書かれている。
『庭のカエデの木が枯れそうで気を揉んでいます。代わりに月桂樹が急に元気になっていて、庭が月桂樹だらけになってしまうのではと、心配です』
それを読んだグンターの顔が曇る。
「あまり時間がないな」
アシュベリー王国の北に位置するイーガル王国。王家の家紋にはカエデの葉が使われている。
そのイーガルの王家を支える貴族の筆頭はオルドラン公爵家。グンター・バールことグレイソン・オルドランはそのオルドラン公爵家の五男だ。
イーガルの国王が老いて体調に不安がある中、国内では王位争いの芽が育ちつつある。国王が王太子にその座を譲る日は近い。その交代のタイミングを狙って、いくつもの思惑が動いている。
グレイソン・オルドランは、一年前に父に使命を与えられたときのことを思い出した。
※・・・※・・・※
「グレイソン、お前にしか頼めないことがある。この国の行先を左右することだ」
「父上、頼むなどと水臭いことはおっしゃらないでください。私に命じてくださればよいのです。この命に代えても父上の命令を果たします」
「ではお前に命じよう。グンター・バールというランダルの貴族を装い、アシュベリーの城に入り込め。そしてデルフィーヌ様をお守りするのだ」
「デルフィーヌ様をですか? まさかあの方を狙う者がアシュベリーの城内に?」
「いるのだよ。幸いお前は公爵家の息子でありながら軍人になった変わり者だ。公的な行事に一度も顔を出していない。アシュベリーではランダル王国の男爵家の次男で通るだろう」
父はグンターにまっすぐ目を向ける。父の眼はわずかに白濁が始まっている。それが父の努力ではどうにもならない老いを感じさせる。
「バルビエ侯爵が反王家の貴族を束ねつつある。やつらは内戦となったときにアシュベリー王国軍が乗り込んで来ないよう、デルフィーヌ様を亡き者にするつもりだ。既にアシュベリーの王城にはバルビエ家の手の者が入りこんでいる。それをアシュベリーに知られぬよう、手を打ってほしいのだ。資金は惜しまぬ。バルビエの一派が謀反を企み、イーガルとアシュベリーの結束を崩そうとする日は近い。奴らからデルフィーヌ様を守ってくれ」
「かしこまりました」
「既に我が家の動向は監視下に置かれている。お前に人手は割いてやれぬ。一人でなんとかできるか? 偽の身分だけは用意してある」
「お任せください」
父にそう請け負い、一度ランダル王国へと移動した。そこから船でアシュベリーの港へ。セドリック閣下の公爵領に入り、閣下が無類の武術好きなのを利用して懐に入り込んだ。
王都に向かう閣下に同行し、今ではその友人として城の出入りは自由だ。ここまでは予想を上回る順調さだった。
「さて、ここからどうしたものか。デルフィーヌ様には近づけないし、無理に近づくのは危険すぎる。まずはお付きの侍女たちを仲間に引き入れるのがいいか」
だが客の立場では侍女長のエリーと親しくなるのは無理だ。彼女は常に複数の侍女を引き連れて動いているし、それ以外はデルフィーヌ様と一緒にいることがほとんど。
その次となると最近配属されたお付きの侍女になる。その情報を苦労して聞き込んだものの、この『新しく配属された侍女』というのがまず姿を見せない。
「どういうことだよ。食事や睡眠はどうしているんだよ。まさか不眠不休ってわけじゃないだろうに」
王族の居住区域にはさすがに入り込めず、上級の侍女たちに狙いを定めて接触しても空振りばかり。グンターは、自分が探している『侍女長エリーの次にデルフィーヌ様に近い侍女』がビクトリアであることを知るはずもなく、王族の使う区域の外で気を揉む日が続いていた。
しかも、その間にもセドリック閣下のために剣の相手をしなくてはならない。忙しい。
グンターは焦っていた。既にデルフィーヌ様の食事に二度も毒が盛られているのだ。
そこで彼は、危険を承知で城の使用人の制服を調達した。使用人にこっそり渡した金貨の威力は素晴らしかった。
「美人の侍女とお近づきになりたいから」という言い訳はニヤニヤ笑いと共にあっさり聞き入れられた。
(ずいぶん甘いな。公爵の友人の身元を確かめたわけでもあるまいに)
男性使用人の制服は侍女たちのように細かい階級分けがされていない。
それを利用して帽子を納めた円筒形の箱を抱え、さも帽子を運んでいる風を装って王族の居住区域に入り込んだ。
「あれ? あの侍女、見たことあるような。ええと、うーん? え?」
グンターは己の直感をないがしろにしない。少しでも(あれ?)と思うことははっきりさせる。それは軍人時代に身をもって学んだことだ。
だからすぐさま見覚えのある女性を尾行することにした。
自分の記憶では彼女は子爵夫人。侍女服を着て働いているわけがない。貴族の妻が城で働くことがあるとしても、必ず自前のドレスのはず。
侍女服の女性はスタスタと歩き、階段を下り、テラスを通り抜け、その動きはますます怪しい。グンターは(もしや運良く敵の潜入者を見つけたのでは)という期待で少しずつ距離を詰めていった。
そして人けのない部屋にその女性が入って行ったのを確認して自分もドアを開けて踏み込み、そこで気を失った。
※・・・※・・・※
下級侍女の部屋でガラス瓶を確認した帰り、私は尾行されていることに気づいた。
絨毯で足音は消されているが、おそらく男。さて、どうしたものか。
とりあえず相手の顔くらいは見ておきたいから、王族の区域の周囲をグルグルと回る。
間違いなく尾行されていると確信して、小部屋に入って待ち構えた。
灯りのない暗い部屋に男が入って来たので腹に一発、それから後頭部を一発。まだ失神しないから背後から首に腕を回して締め上げた。それで男はやっと失神した。窓のカーテンを開けて月明りで男の顔を確認すると……。
「あらまあ。グンター・バールじゃないの。使用人の制服を着ている以上、捕まったら言い訳はできないでしょうに。ずいぶん無謀な行動に出たものね」
まずは私を待っているマイクさんを呼びにいかなくちゃね。だが、このまま部屋の真ん中に転がしておくわけにもいかないか。
横向きに崩れ落ちたグンターを転がして仰向けに寝かせた。
私はグンターの腹の上に直角に仰向けになり、彼の左の膝下を抱えて彼の右肩方向に弾みをつけてゴロリと転がった。
「ふんっ!」
自分より五割増しに重いであろうグンターを、首に巻き付けるようにして立ち上がった。膝か腰が悲鳴を上げるかと思ったが、大丈夫だった。重心を意識しながら奥にあるドアを開け、クローゼットのような小部屋へと運ぶ。そこは夜会用品が詰め込まれているのは確認済み。滅多に出番がなさそうな花瓶や椅子などがあるだけだ。
重いグンターをドサッと床に下ろし、手早く縛り上げて声を出せないように口にもハンカチを突っ込んでから細縄でグルグル巻きにした。この城に勤めてから細縄とナイフはいつでも持っている。
「さて、エリーさんに戻るのが遅れるって伝えなくちゃ」
小走りで王族を守っている衛兵のところに行き、
「エリーさんに伝言をお願いします。『ケイトはマイクの用事で遅れる』と伝えてくれればわかります。大至急です」
と告げた。そこからまた走った。
(待っててね、グンター。今、尋問が得意な人を呼んでくるわ)
いつもの待ち合わせの部屋へ。マイクさんがいた。私の様子ですぐに何かあったと察したようだ。
「なにかありましたか」
「グンター・バールを縛り上げてあります。処分はお任せしますので、持ち帰ってもらえますか?」
「わかりました。一緒に行きましょう。で、グンターは何か行動に出たんですか?」
「ええ。まあ、見てください。行きましょう」
二人で穏やかな表情を装いながら早足でグンターの元へ。
マイクさんは奥の小部屋に押し込まれているグンターを見て「これを一人で運びましたか」とつぶやいた。
無表情なマイクさんがグンターに近寄って眺め、声をかける。
「意識を取り戻しているのはわかっている。グンター・バール。さっさと目を開けろ」
「うううっ」
「なぜお前が使用人の服装で、こんな区域をうろうろしてたんだ?」
「うう」
私は腿にくくりつけてあるダガーを取り出し、構えて尋ねた。
「グンター・バール。あのお方を狙って毒を仕込んでいたのはあなたの仲間だったのかしら?」
「ううううっ」
グンターは目を丸くして首を振っている。ここで問い詰めたいが、そろそろ私は影の仕事に戻らねば。ここから先はマイクさんの仕事だし。
「残念ですが私は仕事に戻ります」
「はい。こいつはお任せください」
「はい。では失礼します」
よし。今夜は結構な成果があった。
私は満足してデルフィーヌ様の部屋へと向かった。
★今回ビクトリアが使ったのは現代では『レンジャーロール』と呼ばれている技です。自分より重く、意識がない人間を一瞬で担ぎ上げる技。
https://youtu.be/KPrATJ-u5Rg






