47 その女性の正体は
「お疲れ様、ノンナ」
「疲れてないよ。警備隊の建物に久しぶりに入ったけど、昔と全然変わってなかった」
「そう言えばノンナと初めて会った日にここに来たんだったわね」
「うん」
アシュベリーに来た初日、ノンナを保護してここに連れて来たのはつい最近のようであり、はるか昔のことのようにも感じる。あれからもう六年以上だ。
「怪我した女性はどうなったかわかる?」
「すぐに別の部屋に連れて行かれたからわからない」
「あの怪我だものね。治療を受けに行ったのね」
帰りの馬車から下りながらノンナは
「たったこれっぽっちの距離を馬車に乗るのって、無駄だよね」
と苦笑している。ノンナも苦笑するようになったか、と私はそっちのほうが感慨深い。
家のドアを開けると、ジェフリーが出迎えてくれた。
「お帰り。今日は牧場に行ったんだろう?」
「ええ。ヨラナ様をお誘いして牧場に行ったのだけど……」
「けど? 何かあったのか」
ジェフリーに古書店前での出来事を話した。私はジェフリーに隠したいことがないので何でも話す。私の話を聞いてジェフリーは心配そうな顔になった。
「今回も無事にノンナが役立ったわけだね。だがノンナは今、ちょっと危ない時期だよ。実戦で二度も男たちを制圧できて、自分の腕前に自信を持っているだろう。思わぬときに足をすくわれる。気をつけさせないと」
「そうね」
そこにノンナが入って来た。
「お母さん、クラーク様の家に行ってきていい? 本を借りる約束があるの」
「馬車でね」
「歩いても行けるのに」
そう言いながらもノンナは馬車で出かけて行った。その馬車と入れ替わりのように馬車が一台入って来た。ジェフリーのお客かと思ったが、彼は怪訝そうな顔で窓の外を見ている。
馬車から下りた人物はマイクさんだった。
「先触れもなくお邪魔して申し訳ありません。緊急の要件でして」
「ビクトリアにか?」
「はい。実は今日ノンナさんが助けた女性は我々の仲間でして。それについては大変お世話になり、ありがとうございました」
「マイクさん、あの女性がマイクさんの仲間だと私にわざわざ教えるんですね。それは理由があるからですよね?」
「はい……。ビクトリアさんは、もうすぐこの国で聖フローレン祭りがあるのをご存じですか?」
「ええ。街中が賑わいますね。それが何か」
「あの怪我をした女性は、聖フローレン祭りでデルフィーヌ王太子妃様の影武者を務める予定でした。祭りまではまだ二ヶ月あるので、それまでに怪我も治るだろうと思っていたのですが、殴られた片目が今のところよく見えなくなっていることがわかりまして、その日までに回復するかどうかわか……」
「ちょっと待て」
突然ジェフリーが話を遮った。
「ジェフ、マイクさんは話の途中だわ」
「マイクは君を担ぎ出すつもりだよ。デルフィーヌ様は影武者を使わなければならないほど危険な状況だってことだ。そんなところに部外者の君を担ぎ出すなんておかしいだろう」
「アッシャー卿、事情を聞いてはいただけませんか」
「話が違う。こういうときのために国は我々をシェンに行かせたと言うつもりか。そう言われないよう、俺と妻はシェン国に滞在中、全力で働いてきたんだ」
「ジェフお願い。落ち着いて」
「アンナ、もしかして君は引き受けたいのか?」
ジェフは私が引き受けると言えば、きっと反対しない。本心ではとても嫌だったとしても許可してくれるだろう。だからこそ私は、中途半端な情報だけで引き受けるわけにはいかない。
マイクさんがなぜ部外者の私を頼るのか知りたかった。そして彼女の酷い殴られっぷりの理由も。
「引き受けたいと言うより、お話を最後まで聞いてみたい。今日助けた女性は無抵抗で殴られたように見えたの。アシュベリーの組織が彼女に何をさせ、何が原因で彼女はあんな目に遭わされたのか。断るのはそれを聞いてからでもいいと思う。それともマイクさん、彼女の怪我の事情を聞いたら、もうマイクさんのお話は断れないのでしょうか」
「具体名はお伝え出来ませんが、おおまかな事情なら」
「聞かせてください。専門職の彼女がなぜあそこまで被害を受けたのか知りたいです」
ジェフリーは何も言わなかった。彼がマイクさんに腹を立てていることも、私に関わらないでほしいと思っていることもわかっている。
だけど、どうしても知らん顔をする気になれなかった。ジェフリーは聞き役に回ったらしく口を閉じているので、私とマイクさんの二人が会話をする形になった。
「我が国の特殊任務部隊は今、女性が出払っています。隊の女性の人数が足りないと言うより、たまたま様々な事情が重なった結果です。その中でもあの女性は優秀な隊員です。今回はとある任務に就いている最中に、同郷の幼なじみがそこに就職してしまいまして」
「あぁ、それは……」
「幼なじみはそんな事情を知りませんので、雇い主側の人間の前で彼女の本名を呼んで駆け寄り、『結婚したと聞いていたけど、ここで働いていたのね』と一気にしゃべってしまったそうです。それから彼女は名前を偽っていたことで疑いの目を向けられたそうです」
「あの女性たちの故郷は遠いのですね?」
「はい。二人の故郷と働いていた場所は、国の東端と西端です。故郷からそれだけの距離がある場所ですので、普通ならまずこんな偶然は起きないのですが」
マイクさんは珍しく額に脂汗をうっすらかいている。
「潜入捜査の途中で疑われたまま雇い主と共に王都に同行し、隊員は影武者の仕事が発生したので脱出するはずでした。ところが幼なじみは主人付きの侍女だったので、置いて逃げ出すことができず、彼女を連れて逃げたのです。そして追いかけてきた人間に捕まりかけ、幼なじみをかばってあのような怪我を負いました」
「特殊任務をする者としては、情に負け過ぎましたね」
「ええ。今までこんなことをしたことはなかったのですが」
情に負け過ぎるのは私も同じだ。
この仕事をしていて情に負ければ、背負わなくてもいいことまで背負ってしまう。背負ってしまえば自分を追い詰めてしまう。芯の部分でこの仕事に向いていないということだ。
「アンナ、どうした?」
「考えてる。もう少しだけ待ってくれる?」
「ああ。好きなだけ考えてほしい」
マイクさんは私とジェフリーのやり取りを固唾を呑むような表情で聞いている。
私と同じように情に負けやすい女性が大怪我をした。彼女の代わりは今はいない。いないから部外者の私に依頼が来た。さあどうする私。
過去のいろんな記憶が頭の中に次々湧き上がってくる。
リーダーに恵まれずに初仕事で死んでしまった後輩。
信頼していたのに私を使うことを優先して家族の死を隠した上司。
自由になった生活初日にノンナを保護した私。
そんな私を受け入れてくれたヨラナ様、バーナード様、エドワード様、そしてジェフリー。
「マイクさん、あの大怪我をした女性に会わせてもらえますか。彼女と話をさせてください。それからそのお話を引き受けるかどうか決めたいのです」
「はい。彼女に会うことは可能です」
ジェフリーが微かに怯えたような表情を浮かべる。彼がこんな顔をするのは初めて見た。
「アンナ、引き受けたいのか」
「ジェフ、私、この世で一番大切なのはあなたとノンナだわ。それは揺るがない。でもね、彼女の話を聞きたいの。この国の特殊任務部隊を助けたいわけではなくて、彼女を助けたい。これで私がこのお話を断って、デルフィーヌ様に何かあったら……。怪我をして影武者を務められなかった彼女は間違いなく一生の心の傷を抱えることになる。一生自分を責める。私にはわかるの。それは間違いないのよ。私なら、それを防げると思うの」
「アンナ」
「私、自分が安全で幸せだからって、他人が不幸になるのを知らん顔するなんて、できそうにない。まずは彼女に会って、あなたやノンナに心配をかけてでも引き受ける意味があるかどうか、確かめさせてほしい」
「わかった」
マイクさんの顔に希望の光が灯る。ジェフリーは、そのマイクさんを睨みつけるようにして言葉を続けた。
「だが、会うなら今からだ。アンナのその覚悟を事前に聞かされた彼女に会うのでは意味がない。何の情報も与えられてない状態のその女性に会うべきだよ」
「そうね。私もそう思う」
「わかりました。では今から会いに行きましょう」
私たち三人は彼女がいる場所へと向かうことになった。






