35 守られる人
「ノンナ、あなた今までそんなこと、ひと言も……」
「うん、その時にクラーク様が『全部の準備ができるまで誰にも言っちゃだめだよ』って言ってたから」
「それにしたって、そんな大切なことを何年も私に内緒にしていたなんて」
「ごめんね。でも、シェン国に行ってからは『あれは本当かな?』って思ってたから。それにさ」
ノンナが可憐な眉毛の間にシワを作って気難しそうな顔になった。
「アシュベリーに帰って最初に会った時、クラーク様がその話を全然しなかった。だから『ああ、あれはやっぱり子どもの約束だったんだな、忘れちゃったんだな』と思ったの。約束した時、クラーク様は十二歳だったんだよ? 今の私とおんなじ年齢。子どもでしょ?」
「クラーク様はその約束を覚えていらっしゃるのかしら。そもそもノンナはその時なんてお返事したの?」
「私はその時、結婚てよくわからなくて。いいよって言った。でも、クラーク様があの時の約束を今も覚えているかどうかは、わからない」
「わからないって。何もおっしゃってないの?」
「うん。何も言わないし、私もその約束は忘れようかなって思ってる。もしあの約束をクラーク様が覚えてたとして、結婚て、今から決める必要ある? 私は今決める必要はないと思うんだよね」
それ以上は当のクラーク様がいらっしゃらないのでは判断がつかず、夜にジェフリーが帰宅してからもう一度その話をすることにした。
ノンナは「あの約束は昔のことだから、もういいよ」と言うが、私はどうしたらいいのか不安だ。ノンナが可愛すぎて手放したくないけど、このまま一生私の手元に置いておくわけにもいかない、などと先走ったことも考えてしまう。
いやいや落ち着け、と自分を叱咤し、「まずはジェフリーにこの話を相談しなくては。クラーク様とジェフリーは親戚なんだし、波風を立てないようにしなくては」と心を引き締めた。
◇ ◇ ◇
「いやぁ、アンナ、それ、子どもの約束だよね?」
「そうだけど、うちの方で勝手になかったことにしていいのかしら。貴族の世界ではどういう決まりがあるんでしたっけ? 婚約は親が決めるものだけど、格上の家柄の男の子が申し込んだ場合はええと……」
「落ち着いて、アンナ」
コクコクとうなずいて、ふぅー、ふぅーと深呼吸した。
「大丈夫。私、落ち着いてると思います」
「ならいいけど」
そう言いつつジェフリーが笑いを堪えてるのが少々腹立たしい。
「子ども同士の約束で婚約は成立しない。言い出したのが格上の家の男の側でもだ。だからノンナとクラークの婚約は成立していない。ここまではいいか?」
「はい」
「クラークが本気だった場合、アンダーソン家がうちに申し込みに来て、俺たちが同意して、届を出して、それで初めて正式に婚約成立だ」
「……では、今は婚約は全く? 何も? 心配いらないのよね?」
「そうだ。でも、ノンナの考えを聞いておいたほうが良さそうだね」
ノンナはエリザベス嬢の家から借りてきたデル・ドルガーを読んでいたらしく、本を抱えてジェフリーの部屋に来た。
「話ってなあに? クラーク様のことだったらなかったことにしたいけど」
「どうしてだい?」
「だってクラーク様は一人っ子でしょ? うちに婿養子に来ることはできないもの。私がクラーク様の家に行っちゃったら、お母さんを守れないし」
「ノンナ……」
「お父さんもお母さんも覚えておいて。私はお母さんを守ってあげたいから、お嫁には行かないよ。お母さんを守れなくなっちゃう」
私は目と口にグッと力を入れていたから怖い顔になっていたと思う。気を抜くとウルッとしてしまいそうだったのだ。
「ノンナ、あのね」
「わかってる。お母さんが私のことを一番に考えてくれていて、何よりも私が幸せになってほしいと思ってるのはわかってる。でも、それでも私はお母さんを守りたい。お母さんが私に身を守る方法をいろいろ教えてくれるようになった時、そう決めたんだもん。ほんとはこれ、言わないつもりだったのにな」
「ノンナ……」
「恩返しとか、そういうんじゃないよ。私を拾ってくれたから言ってるんじゃない。私はお母さんを守りたいの。ただそれだけ。だからクラーク様は仲良しだし友達としては好きだけど、あの約束はなしにしたい。最近クラーク様と一緒のことが多いから。一応お母さんに知らせておいた方がいいと思って言っただけ。万が一そういう話が来たら断ってほしいの」
ノンナは「デル・ドルガーが今、山場だから」と言って部屋を出て行った。
ノンナがパタンとドアを閉めた瞬間から私は両手で顔を覆ってため息をついてしまった。今までずっとノンナを守らなきゃ、ノンナとジェフリーを守ることが私の役目だ、と思っていたけれど。ノンナはいつの間にか私を守る覚悟で生きていたのか、だからあんなにシェンの武術にのめり込んでいたのだろうか、と思ったらもう……。
「子どもはあっという間に成長するんだな」
「ええ……」
「ノンナは君にそっくりだ」
「……そう?」
「ああ、本気で誰かを守ろうとしているところが君にそっくりだよ」
いいのに。私のことなんて忘れて恋をして、結婚して、子どもを産んで、母親になって、自分の人生を生きてくれたら、それでいいのに。
呆然としている私をジェフリーがそっと腕の中に抱えてくれる。
「アンナ、君がそんなに動揺している姿を初めて見たよ」
そう言われれば確かに。深呼吸しながら思い出そうとしたけれど、こんなに慌てたことが過去にあったか、思い出せない。
「そう、ね。私、今までは何があっても『慌てている場合じゃない、慌ててもどうにもならない、慌ててる暇があったら頭を働かせろ』って、自分をどやしつけてたから」
「もういいんだよ。そんなに頑張らなくても。俺とノンナがいる。君がいてくれるだけで俺もノンナも幸せなんだ」
「ジェフ……」
誰かを守り、戦うことが私が生きる意味だと思っていたのに。今は私を守ろうとしてくれるジェフとノンナがいる。二人とも私に何も求めない。いるだけでいいと言ってくれる。
「ジェフ、私は幸せ者ね」
ジェフリーが優しい顔になった。
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