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手札が多めのビクトリア 2 【書籍化・コミカライズ・アニメ化】  作者: 守雨
【失われた王冠の謎】

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32 ヨラナ様と訪問者

 何日も迷ってからヨラナ様の家を訪問した。

 ノンナも一緒だったが、ノンナはすぐにスーザンさんと別室に消えてしまった。きっとボビンレースの話や編み物の話で盛り上がっていることだろう。


「どうしたの、ビクトリア。何か悩み事?」

「私、そんな顔をしてますか?」

「あなたは嘘がつけない人だから、すぐにわかるわよ」


 ピリリと胸に痛みが走る。

 私は仕事で山ほど嘘をついてきた。ヨラナ夫人にもたくさんの嘘をついている。


「で、何があったのかしら?」

「ある人が、誰かに聞いてほしいことを生前書き残したものを手に入れたんです」

「そう。それで?」

「私、それを読もうとすれば読めそうで、でも読むのが怖くて迷っているんです。迷ってるくせに読まないでいることが気になって気になって」

「ビクトリア。気になるなら読めばいいわ。それを読んでつらくなったら私のところにいらっしゃい。そして二人であなたのつらさを分け合いましょう」

「ヨラナ様」

「だって私たち、友人でしょう? 友人なら楽しいこともつらいことも、共に分け合うものじゃないかしら?」


 ヨラナ様の「ね?」という笑顔に励まされて帰宅した。だが、誰も出迎えない。

 ノンナはあのあと別れてエリザベス嬢の家だしジェフリーは第二騎士団だ。我が家は少ない人数の使用人しかいないので、たまにそんなこともある。だが、屋敷を留守にする時、バーサはいつも事前にそれを告げてくれるはずなのに。

いや、そもそも料理人も掃除をする若い侍女も全員いないことはありえない。


 自分の部屋に入り、いつもの習慣で床のベビーパウダーを見た。そこに男性の足跡がついているのを見て、深呼吸しながら腰を伸ばした。私の私室に入る男性使用人はいない。ジェフが家を出ていってからベビーパウダーを撒いた。なら……。


 私はポケットに手を入れ、ポケットの底に開けてある穴から手を伸ばした。腿に縛り付けてあるナイフを握る。入ったのは誰だ?


「やっと帰って来たか。帰りが遅いから待ちくたびれたよ」


 振り返るとドアのところにウィル・ザカリーがいた。


「あら、珍しい顔ね」

「お礼に来たよ。強制労働なんてやってられないからね」

「ザカリーさん、お元気そうだこと。どうやって収容所から逃げ出したのかしら?」

「ああ、王家の犬なら知ってるかと思ったが。収容所で火事を起こしてね。仲間を誘って逃げ出してきたよ。そのまま逃げてもよかったんだけど、あんたの旦那を悲しませるのもいいかと思ってさ」


 こいつはそれほど腕が立たない。私一人でどうにでも……


「ああ、動かないでくれる? あんたが俺に手出しをしたら、あんたの使用人が死ぬことになるんだ。仲間を連れて来ているからね。あんた、使用人にもお優しいんだろう?」

「こんにちは、アッシャー夫人。この家の案内をさせてもらったわ」

「オーリ!」


 どこかで盗んで来たらしい服を着たオーリが、ナイフを片手に笑っていた。オーリの後ろにも下卑た笑いを浮かべた若い男。男はバーサの腕をつかんで立っている。男の右手にも小ぶりなナイフ。バーサは猿ぐつわを噛まされ、上半身を縛られている。なるほど。仕返しにわざわざここまで来ましたか。


 素早く気配を探るが、大勢隠れている様子はない。

 ザカリーがニヤニヤ笑いながら話しかけてくる。


「あんた、王家の犬なんだろう?俺は何度も王家の犬に仕事の邪魔をされてきたんだよ。一人くらい始末しておかないと気分……がっ」


 最後まで喋ることなくザカリーが前のめりに倒れかけた。私のナイフがザカリーの腿に深々と刺さっている。投げると同時に駆け寄り、みぞおちに拳を入れた。ザカリーが更に前のめりになったところで後頭部に体重を入れた肘打ち。


 声も出せずに倒れたザカリーを放置してオーリに飛び掛かり、右手でオーリの腕に全力で手刀を入れてナイフを叩き落とす。続けて左の拳でオーリの腹を殴る。オーリは仰向けに倒れた。気を失っている。動揺している後ろの男の股間を蹴り飛ばし、転げ回っているのを見定めて腹に膝を落とした。そいつも失神した。


 すぐにザカリーとオーリと若い男をベルトや紐で縛り上げ、怯えているバーサの紐をほどいた。


「奥様、申し訳ございません。走って逃げたのですが捕まってしまって」

「いいのよ。それよりやってほしいことがあるの。リードのところに行きなさい。強盗が入ったから第二騎士団を呼ぶようにと伝えるのよ」

「は、はいいいっ」


 脚をガクガクさせながらバーサが壁伝いに去って行く。それを確認しながら急いで料理人と掃除担当の若い侍女を探した。部屋を出て階段に着いたところで料理人が階段を駆け上がって来るのと鉢合わせした。料理人は制服が破れ、結構な血が付いている。


「奥様、ご無事でしたかっ!」

「大丈夫よ。あなたこそ怪我は?」

「怪我はたいしたことはありません。大半は賊の血です。あいつら、私の厨房に押し入って襲い掛かってきたんですよ」

「それで? あなたが倒したの?」

「一度は殴られて気を失いましたが、すぐに意識が戻ったんです。相手が油断している時に飛び掛かって倒しました。殺されなくて幸いでした」


 それから料理人と二人で掃除担当の侍女を探し回り、見つけた。ザカリーは若い彼女を売り飛ばすつもりだったのか、侍女は無傷のまま縛られて洗濯場に転がされていた。

 私は部屋に戻り、ザカリーの顔を往復で引っぱたいて目を覚まさせた。


「起きなさいよ」

「う、ううう」


 ザカリーが苦しそうな顔で意識を取り戻した。


「これであなたはもう強制労働どころじゃなくなったわ。大人しくしていれば生き延びることはできたのに。自分ではベテランのつもりだろうけど、相手の力量も読めないど素人なことを自覚するべきね。お察しの通り、私は一般人じゃない。でも王家の犬でもないの。ただの野良犬よ。残念だったわね」


 そのあとはザカリーやオーリが何を言おうが無視して第二騎士団の到着を待った。オーリはいろいろ言い訳をしていたが、さすがに返事をする気にはなれなかった。

 残念だった。ノンナのためにもオーリ自身のためにも、本当に残念だった。


 やがて到着した第二騎士団の人々に彼らは連行されて行った。一緒に駆けつけて来たジェフリーがオーリを氷のような眼差しで見ていた。


「ジェフ、あなたが彼らの尋問に立ち会ってほしいのだけど」

「ああ、そうなるよう動く。君は心配するな」


 ジェフリーが関わってくれれば私のことは漏れないようにしてくれるはず。

 そして私は今、バーサと話をしている。


「あなたが見たことは内緒にしてほしいの。私がどうやって彼らを倒したかは忘れてほしい。この家にいる限り、条件を良くしますから。他人には内緒にね? こんなことで噂されたくないの」

「はい、はいっ、奥様、助けてくださってありがとうございます。このことは決して、一生、口外いたしませんので」


 バーサの目を覗き込んで困惑する。

 私に対する怯えがあるかと思ったのに、憧れのような、尊敬のようなものが見えたからだ。言い訳しようかと思ったが(仕方ない。余計なことを言って他の家に移られるよりはいいか)と諦めた。


 それから家の中を見て回って、他には侵入した者がいないのを確認した。料理人には相手の油断している隙を見てやっつけたと伝えた。かなり無理があるが、これに関しては時間がある時にゆっくり考えよう。


◇ ◇ ◇


「お母さんただいま」

「お帰りなさい、ノンナ」


 ノンナは夕方に帰宅した。


「今日ね、不審者が入って来たの。捕まえて騎士団に渡したわ」

「この家に? へえ。この家に入るなんて、運が悪い人だね」


 ノンナは苦笑するだけでたいして驚かなかった。ノンナにはいつか機会を見てオーリのことを告げるつもりだ。ノンナは「どんな人が入って来たの?」と聞くかと思ったら「どんな技で倒したの?」と目をキラキラさせながら聞いて来た。


「ナイフを投げて腿を刺したの。そのあとはおなかに拳、後頭部を肘打ち」

「ふうん。こんな感じ?」


 ノンナがシュッとナイフを投げる真似をして、同時にダッと走って相手の腹に下から拳を入れて、肘打ちをする動作をした。


「そう。そんな感じ。よくわかったわね」

「まあね。なるほどねー。こうやってこうやってこう、こうやってこうやってこう、か。ん? あれ? なんか今、すごく懐かしい気持ちがした。なんだろう」

「さあ?」


 さあ、と言いながら笑い出してしまった。その言葉は私が初めてノンナに戦い方を見せたときの言葉だった。




 夜、ジェフリーが帰宅した。


「俺が第二騎士団に籍があってよかったよ。彼ら二人の事情聴取は俺が担当したよ。余計な情報は漏れないように手を打っておいた。マイクが駆けつけてきたからあとは彼に引き継いだ」

「マイクさんにはお世話になりっぱなしね」

「アンナ……」

「ん?」

「君が無事でよかった」

「ジェフ、大丈夫よ。あの連中の腕前は恐れるほどのものではなかったわ」

「今回はそうだ。だがこれからもそうとは限らない」


 私を抱きしめ、私の肩に頭を置いたジェフリーが深く息を吐く。


「種を蒔いたのは私ね。ごめんなさい」

「いいや。君はこれからも自由にしていい。後のことは俺に任せろ」

「迷惑をかけました」

「問題ない。それよりも腕が立つ男を雇おう。君が留守でもこんなことは防げる」

「そうね」

「窮屈かもしれないが我慢してほしい」

「ジェフ、そんなことに文句は言わないわ」


 私がオーリをあの森で助けなければこんなことにはならなかっただろう。だけどあの場で彼女を放置することもスバルツ王国に追い返すこともできなかった。あの時はあれが最良だと判断したのだ。

 全ては私の判断だ。それは認めなくては。


 その夜、私はエルマー・アーチボルトの新作『長い旅の終わり』を読み、そこに隠されている暗号を読み取った。



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