21 修道院院長イライザと古書店
バーナード様のお屋敷から帰る途中。暗号文書をどうするか、の話は簡単に決まった。
「書き損じだと思って除けておいたものです、と言って伯父に渡せばいい。そこから先は伯父の分野だよ」
「そうね、そうしましょう」
私たちはこれ以上、関わるべきではないのだ。
翌日、リードに暗号文書をバーナード様の家に届けてもらい、ジェフリーが用事で出かけた後でバーサが来た。
「奥様、お客様がいらしてます」
「あら、どなた?」
「南区修道院の院長様です」
私はまるで接点がない修道院の院長に会うためにドレスを着替えた。来客だからと言ってそれ用に着替える貴族の習慣はどうも億劫だ。根っこは何代遡っても庶民の私は「お相手が貴族ならともかく、お客様を待たせてまで着替える必要があるのかしらね」と愚痴をこぼしてしまったが、バーサは「大ありです」と断言する。
私より貴族社会に馴染んでいるバーサの意見を尊重し、私は喉元まで襟がきっちり閉まる若草色のドレスに着替えた。
「南区修道院院長のイライザでございます。突然の訪問にもかかわらず、ご対応くださりありがとうございます」
「アンナ・アッシャーです。本日はどのようなご用件でしょうか」
「夫人がお作りになった塗り薬のことでお願いがございます」
イライザさんは五十代。痩せた身体に一本芯が通った感じの姿勢のいい女性だった。
「塗り薬ですか」
「はい。うちの修道院は身寄りのない、住む家もない女性に住む場所を与えております。その一人が先日、日雇いの仕事でとあるお屋敷の庭掃除をお手伝いしたのですが、何かにかぶれたのです。最初は手の甲だけだったのに、みるみるうちに腕から首、胸の辺りまで真っ赤になりましてね。『痛い、痒い』と苦しんでおりました」
「まあ」
「たまたまそれを見た出入りの八百屋さんが『いい塗り薬を持ってる、持ってくるから試してごらん』と言って薬を分けてくれました」
だんだん話が見えてきた。
「それがとても良く効いたのでございます。驚いて八百屋さんのご主人に尋ねたら、アッシャー家の奥様の手作りの薬だと教えてくれました」
「私の薬がお役にたったのなら良かったですわ」
「そこでお願いがございます。どうかその塗り薬の販売の一端を、我が南区修道院にお手伝いさせてはいただけませんか」
二つ返事で「はい、いいですよ」と言いたいが、この人と修道院の話が本当かどうか、一度調べなくてはと思う。私とノンナだけの頃は何をしても最後の責任は自分が引き受ければよかったが、今は違う。ジェフリーの名を傷つけることやエドワード様にご迷惑をかけることは避けたい。
「一度、南区修道院を見学させていただけますか」
「はい、もちろんでございます。いつでも、今からでも私どもは大歓迎でございます」
「では今から参ります。馬車を用意しますので、一緒にどうぞ」
ノンナを誘おうと思ったが、ノンナは「やりたいことがあるからいい」とかで、私一人で行くことにした。
そして今、私は王都の南区の中でも城壁に近い家賃が安い区域の修道院に来ている。
修道院は古そうな建物だったが、庭はよく手入れされ、建物も修繕の手が入れられていた。
「管理が行き届いていますね」
「はい。皆で手分けしておりますし、信者の皆さんが『寄附の代わり』とおっしゃって修繕をしてくださいます」
「そうですか」
礼拝堂はヒンヤリとした空気の中、磨き上げられて飴色になった木製の長椅子が並んでいる。中央にはこの国の宗教の要であるエアルの像。
エアルは男性にも女性にも見える中性的な姿をしていて、神学の世界ではエアルの性別は永遠の謎とされている。
礼拝堂の次は身を寄せている女性たちの部屋を案内された。部屋は六人部屋が二つ。二段ベッドが三つ入れられた部屋は簡素だが整頓されていて清潔だった。
「つかぬことをうかがいますが、こちらに十五、六歳くらいの茶色の髪の女の子はいますか?名前はオーリなのですが」
「いいえ。うちにいるのは全員もっと歳が上です」
「そうですか」
オーリはこういう場所には来ないだろうとは思ったが。
そのあとは修道女たちの部屋。驚くことに女性たちの部屋とほぼ同じだった。
最後に院長室。
「えっ。ここですか?」
「皆さん驚かれますが、私だけが立派な部屋を使う理由はありませんから」
院長室は今まで見た中で一番狭く、飾りは一切無し。ベッド、小テーブル、小ぶりなタンスがひとつ。それだけだった。
(この人なら信用できそう)と思う。
「では応接室へどうぞ」
そう言われて案内された応接室でお茶を出してもらい、話を進めることにした。
「夫に相談してからになりますが、こちらで薬を売っていただくこと、前向きに検討いたします。ただ、周囲の薬店との兼ね合いはどうなさいますか? 信者の中に薬店の方はいないでしょうか」
院長が苦笑して
「この修道院に薬店の方は通っていません。そもそもこの地区には薬店が無いのです。高価な薬を買う余裕がない人が集まっている地区ですから」
と言う。
「あっ」
と私は自分の不用意な発言を恥じた。薬は高価だ。平民の中でも裕福な人以外は薬なんて飲むことがない。皆、時間と体力と運に任せて自力で治すのだ。
私は「なるべく力になりたいと思います」と告げて修道院を出た。まだ明るい時間だったが、黒ツグミは開いているだろうか。あの店で暗号のことをじっくり考えてみたかった。馬車で南区の繁華街に向かった。
だがさすがに酒場が店を開けるのには時間が早すぎて、ドアには鍵がかかっていた。
仕方なく近くを歩いてみる。大通りから少し離れたこの通りの両側には、ぎっしりといろいろな店や事務所などが軒を連ねていた。
そのうちの一店が『ザカリー古書店』という古書店兼貸本屋さんだった。四か所ある窓の外には、それだけは新しい茶色い布のシェードが下されていた。
普通の商店の店先のシェードは庇のように横に張り出してあるが、この古書店のシェードは地面に対して垂直に近い角度で張られている。おかげで店の中が全く見えない。
外から店を眺めていたら、中からドアが開いた。私よりいくつか若そうな男の人が顔を出してぺこりと私に頭を下げる。
眼鏡をかけたその男性は三十歳くらいだろうか。ふわふわしたくせ毛の茶色の髪。優し気な目元に泣きぼくろがあり、女性に人気がありそうな顔だちだった。
「もし良かったら覗いて行ってください」
「ありがとうございます。では失礼いたします」
「本が日焼けしないようシェードを下ろしていますから。初めてだと入りにくいですよね」
そう言ってその人はまたカウンターの中に腰を下ろした。男の人の後ろの壁には国の許可証。そこには『古書店・貸本店営業許可証 店主ウィル・ザカリー』と書いてあった。
貸本コーナーは恋愛小説と冒険小説が中心だった。
古書が置いてある面積は店の三分の一くらい。かなり値打ちがある古書が、そうでもない古書に混じって無造作に棚に並べてある。
カウンターに近い場所には扉付き書棚があった。高価な本を盗まれないようにするためなのか、ガラス扉には鍵が掛けられていた。『中の本を手に取ってご覧になりたい方は店主に声をかけてください』と貼り紙がしてあった。私がジッとガラス扉の中を見ていたら、店主のザカリーさんが話しかけてくれた。
「書棚の本をお手に取りたい場合は声をかけてください」
「はい。まずは眺めさせてください」
表紙が見えるように立て掛けて飾ってある古書は古さはいろいろだった。私はそのうちの一冊に注目した。どうにも偽物臭いのだ。他の古書と見た目はあまり変わらないが、その本だけが『いかにも年代物の本でございます』という印象が強かった。
かつて仕事で文書偽造をしていた身としては、偽造する側の気持ちがわかる。ついついやりすぎてしまうのだ。自信がない人が陥りがちなことで、組織の教官は『初心者こそやり過ぎないように』と何度も注意していた。
「気になる本がありますか?」
「あっ、はい。この『西方磁器の歴史』です」
「少々お待ちください」
ザカリーさんはガラス扉の鍵を開け、本を取り出しながら
「これは初版本で、なかなか流通してないものなんですよ」
と嬉しそうに語る。
私は礼を述べ、手袋を借りて本を受け取った。
羊皮紙のページをゆっくりめくる。私が見る限り、やはり偽物だった。ザカリーさんがこちらを見ていない時を選んで匂いを嗅いだ。昔授業で嗅がされたことのある植物の汁の匂いがごくわずかにする。意識しないとわからない程度だったし、嗅覚が鋭くないと知っていてもわからないだろう程度。
(なるほど)
「ありがとうございました」
「よろしいのですか?」
「はい。大変勉強になりました。また来ます」
そう言って手袋を返し、店を出た。
「これ、贋作ですよ」と言うのはやめておいた。






