121 カミラ、ヨラナ、デルフィーヌ
そこからはカミラ、ノンナ、私の三人で雑談をしていると、「あ、そうだ」とカミラが話を再開した。
「ランコムの組織が長期戦でしかけている作戦名が『ランダルからの客』よ。アシュベリーでランダル絡みのもめ事をいくつも起こす。政治的経済的にハグルが仕掛けているのもあるし、ランダルの人間がアシュベリーに迷惑をかけそうな事案に首を突っ込んで、もめ事をあえて大きくするのもある。アシュベリーの貴族と平民の両方に、ランダル王国に対する苛立ちを募らせるようにもっていく気の長い作戦ね」
「大公夫人の件、カミラは知ってる?」
「知っているわ。あれもハグル側が話を大きくしたはずよ」
「夫人一人を狙うには妙に大がかりだと思った」
「大公夫人の件は、ランダルの権力争いが原因。ハグルも資金を出しているけれど、主にランダルの資金を利用しているはず。ランコムは頭が回るわよね」
ノンナは黙って聞いている。この子も十六歳になれば貴族の社会で生きていく。もういろんなことを知ってもいいころだろう。私がいつまでこの子の隣にいられるかわからなくなったし。
何も知らずに大人の思惑に利用されたりしないよう、このまま聞かせよう。
「最終目標は戦争なの?」
「ええ、ハグルはランダルとアシュベリーが戦争を起こすことを願っている。裏で糸を引いて、もめたらランダルに肩入れして恩を売って、アシュベリーの金鉱が生み出す利益に一枚噛めたら大成功ってところじゃない? 金鉱が無理でも、この国の豊かな財力は周辺の国から見ると手を出したくなる魅力があるのよ」
「そんな状況のときに、軍務副大臣の妻の座に私がいた、ってことか」
「そういうこと。推測だけど、『こりゃまた便利な駒が』ってハグル側に思われたでしょうよ。ただ、ランコムの考えは読めない」
思うところはいろいろあるけれど、カミラと会えることは滅多にないから、長いこと話をした。
カミラが帰るときに第三騎士団に目をつけられないよう、私とノンナはヨラナ様の家を訪問することにした。すでに先触れは出してある。
「じゃ、私とノンナは出かけるから、程よいところで出発して。子供たちによろしくね」
「ありがとう。そうさせてもらう。子供たちは相変わらずあなたに憧れているわ。私はアンナと違ってあの子たちを同じ世界に入れたけど、それを将来後悔するか満足するかは神様だけがご存じね」
その言葉には何も返事をせず、バーサにカミラを頼んでヨラナ様の家に向かった。ジェフは今夜も遅いらしい。
ヨラナ様からは「いつでもいい。待っている」と返事を貰っている。
ノンナと二人で馬車に乗り、少ししてからノンナに小声で話しかけた。
「後ろの小窓からそっと見てごらん。私たちを尾行している人がいる」
カミラとしゃべっている時からずっと口を開かなかったノンナがガバッと上半身を起こして小窓から外を見る。しばらく眺めてから「馬で尾行しているんだよね? 見当たらない」と言う。
ノンナと交代して窓を覗いた。いる。今回は小型の馬車だ。
うちの馬車は常日頃からゆっくり走るよう伝えてある。いくらでも追い抜けそうなのに、その馬車は追い抜かない。
「馬車よ。私がお城から家までは馬だったけど」
「お母さんを尾行してるの? なんで?」
「それは今夜詳しく話すわ。ノンナ、私はあなたを私が生きていた世界に関わらせないようにしてきた。カミラは子供たちに自分の持っている情報を全て与えて育てた。どっちが正解かは、あなたたちが年を取って人生を終えるまでわからないと思ってる」
ノンナは返事をしない。
「ノンナがおばあさんになって笑顔で人生を終えたら、私の判断は間違ってなかったということになる。それまでは神の国からずっとノンナを見ているわ」
「お母さん、やめて」
そう言ってノンナが私の肩に顔を埋めた。
「お母さんが神の国に行く話なんか聞きたくないよ。ずっと私のそばにいてよ」
「もちろんジェフと二人で長生きしたいと思っているわ。例えばの話よ」
そこでヨラナ様のお屋敷に到着した。
ヨラナ様とスーザンさんが笑顔で迎えてくれて、ノンナはいつものようにスーザンさんのところに行くかと思ったが行かない。ヨラナ様が(いいの?)と言うように私を見る。
「ノンナももう十三歳ですので、私がどういう状況か教えることにしました」
「そう。そうね、そろそろ大人の事情を知らせてもいい年齢だわね。私もノンナくらいの歳に、大人たちの話に参加を許されたわ」
「今日、あの件を王妃様にお話してきました。王妃様は私たちにとって最善の方法を考えてくれるとおっしゃってくれました」
「それなら、その話は待つしかないけれど、その間にも他の打てる手を考えればいいわ。大丈夫。何かあったら私も多少の手助けはできます。あなたが安心して身を隠せる場所を考えてみるわ」
ヨラナ様がキリリとした表情でそう言ってくれる。
「ありがとうございます。でもコリン様は今や宰相様です。私のことでヨラナ様にご迷惑はかけられません」
ヨラナ・ヘインズの息子コリン・ヘイズは宰相になった。私を助けることでヨラナ様が罪に問われるような事態は避けたい。
「以前、困っているあなたを助けられなかったでしょう? 私は役に立てなかったことがとてもつらかった。今回またあなたを助けられなかったら、私は神の国に行っても苦しむわよ。これは私が心穏やかに暮らすためなの。あなたが申し訳ないと思う必要はないのよ」
「ヨラナ様……」
こんな厄介な状況の私を助けようとする人がいる。
それがとてもありがたくて、意識して笑顔を浮かべていないと泣いてしまいそうだ。
ジェフリーと腹を割って話し合おう。
私はこの先、命の炎が消えるまでジェフと共に生きたい。それを正直に伝えよう。その先は、ジェフの判断に任せよう。
ジェフが私を選んでくれたなら、クラーク様とノンナを交えて話し合おう。ノンナを連れて行くのは……あの子とクラーク様の間を割くことになるから避けたいが。ノンナはうんと言わない気がする。その場合はどうするか。
私とジェフが姿を消しても、クラーク様はノンナを妻にする覚悟があるだろうか。アンダーソン家としての判断はどうなるだろうか。それも確認しなければ。
やるべきことの順番を考えていると、ランダルの美術館でランコムが言った言葉を思い出す。
「クロエ、私たちにとって、平凡な幸せは猛毒だ」
そうかもしれない。それでも諦めるものか。最善の道を探して、私はギリギリまで努力する。
◇ ◇ ◇
その頃、王城ではデルフィーヌ王妃がコンラッド国王と話をしていた。
「陛下、アッシャー子爵夫人の状況はご存じですか」
「ハグルと内通しているかもしれない、という報告は聞いた」
「陛下はその情報を信じていらっしゃるのですか。私は信じられません。彼女は誠実で情に厚い女性ですわ」
デルフィーヌが公務に口を出したのは初めてだったから、コンラッドは驚いて妻の顔を見た。
「アンナのことをそこまで信用しているんだな」
「頻繁に接していれば彼女の人柄はわかります。彼女は信頼できる人です」
コンラッドは同情するような目をデルフィーヌに向けた。
「彼女は特務隊のエースになるような人だ。屋敷の奥深くで育った君を信用させるくらい、お手の物だとは思わないのか?」
政略結婚でありながら相思相愛で、一度も仲違いしたことのない夫婦である。コンラッドの言葉に、デルフィーヌはハッとする。
(自分の見ている景色と陛下の見ている景色は違っている)と思った。
「組織から逃げてきた彼女は、ジェフやノンナと共に静かに暮らしたいだけです。過去が工作員だったからと、いつまでも偏見を持ち続けては気の毒ですわ。金鉱だってジェフリーが彼女と結婚したからこそ見つけられたようなものです。ジェフリーだけではあんな場所に行かないでしょう。何よりも、彼女は私の影となって反乱軍と戦ってくれましたのに」
「それはそうだが」
デルフィーヌはアンナの孤独を垣間見た。
(手柄を立てても、なにかあれば「他国の元工作員だった」と言われ続ける。彼女の孤独はどれほど深いことか)
デルフィーヌが急に無言になったのを見て、コンラッドが少々慌てた。
「私は彼女を黒だと思っているわけではないよ。エドワードが言う『慎重な態度を取るべき』という考えに賛成しているだけだ。エドワードは間違いなく真の愛国者だからね」
「陛下がアッシャー兄弟を重用なさっているように、私はアンナを信じて大切にしているのです。……もうやめましょう。陛下と言い合いしたいわけではありませんので」
「そうだな」
「お茶にしましょう。それともワインがよろしいですか?」
「ワインにしようか」
常にコンラッドを立て、何があっても穏やかに接していたデルフィーヌだったが、(このまま話し合いを続ければ、まずい方向に話が進む気がする。陛下を怒らせても意地を張らせても、アンナにとって損になる)と判断して話を打ち切った。
そこからは王子の話題に変えて、普段通りの温和で従順な妻に戻った。
「そろそろ眠ります。おやすみなさいませ」
「ああ、おやすみ」
自分の寝室に入り、侍女も下がらせる。
イーガル王国で生まれたときからアシュベリー王国の王妃の座を約束されてきたデルフィーヌ。結婚以来初めて、コンラッドの意見に同意できない。
(私はアンナ・アッシャーを信じる。彼女を助けたい)
問題はジェフリーが軍務副大臣で、数年後には軍務大臣の座を約束されていることだ。その妻に裏切り者の疑いがかけられている。
このままでは国が二人の仲を引き裂くことになるのではないか。
ジェフリーという後ろ盾を失った場合、アンナはどうなるか。答えはひとつしか思い浮かばない。
(実家の父に相談するのは……だめね。イーガル王国は常に権力争いがくすぶっている。そこへ優秀な元工作員などと知らせるのは論外だ。父が指を咥えて見ているとは思えない。かといって彼女の素性を知らせずにこの話を相談をすれば、父があらぬ疑いをかけられる)
そこまで考えて、デルフィーヌはアンナが身を寄せる当てがないと答えたときの表情を思い出した。
「身を寄せる当てはないが、私なら大丈夫だ」という顔をしていたアンナの胸の内を思う。
これまでも、これからも、彼女は困難に出会うたび、自分で自分を守って生きていくのだろう。
人は皆、より良い明日を願って努力する。
彼女の知識、技術はどれほどの努力の上に成立しているのか。
そしてその努力は、彼女により良い明日を運んでくれているのだろうか。
ふいに涙が込み上げるが、「同情して泣いてる場合じゃないわ」と唇を噛む。
怪我をした女性工作員の心の傷を心配して、命がけで影役を引き受けてくれたアンナ。そんな彼女が自分を騙したり裏切ったりするとは思えなかった。
だが男たちはアンナの好意さえも「王妃に取り入る手段」と思うのだろう。
(陛下がおっしゃったように、彼女なら自分を騙して信用させることなど造作もないだろう。それでも私は彼女は信用できると感じる)
こんな根拠のない思いで誰かのために行動するなど、生まれて初めてのことだ。
(彼女が秘密裏に捕らえられ処分されたりする前に、なんとかアンナを助ける手立てを考えなくては。まずは身を隠せる場所を用意して……。でも、アンナはジェフリーと離れることを了承するだろうか。ジェフリーはアンナと軍務大臣の座のどちらを手放すだろうか)
口の堅さを信用できて、ある程度の権力もある友人は、と考える。
何人かの顔を思い浮かべたが、アンナが元工作員という事情を打ち明けても彼女を引き受けてくれそうな人、となると一人しか思い当たらない。それも彼女の夫が許可した場合となる。
もし彼女がアンナをかくまってくれるなら、引き換えにそれ相当のお礼をする必要がある。それもこの国に内緒で、だ。
デルフィーヌは、アンナ・アッシャーを守ることの難しさに、唇を噛んだ。






